団塊の世代以前の人たちの多くは、年金暮らしである。確かに馬車馬のように、エコノミックアニマルと揶揄され、懸命に働いた世代でもある。彼らの年金は、概ね250~350万円ほどである。
国民の預貯金額は1300兆円程度と言われている。その75%以上は年金生活者と言われている。年金生活者は、仕事もすることなく悠々自適の方が多いが、住宅や家電製品や車などの家庭インフラは、ほとんど整っている。扶養家族もいないことが多い。
その一方で、恒常的に解雇に怯える非正規雇用者で、年収が200万に満たない若者の世代がこの国にいる。労働者の20%にもなると言われている。彼らは、住宅は勿論のこと家電製品なども、ほとんど持ち合わせていないことも少なくない。扶養家族を抱えていることも、少なからずある。
若い頃「近頃の若い者は」とよく言われた。自分は長じても絶対のこのフレーズは用いないつも りでいたが、いつしか口にするようになった。エジプトのピラミッドの落書きにも「近頃の若い者は」という、落書きが見つかっているそうである。3000年前も今も、若者を年長者は憂れいているのである。
しかし、新自由主義者たちが市場原理こそ不変の真理、市場経済が国家再建の命題と「改革」こそ必要と、登場してからこの国は本当におかしくなってしまった。上手く立ち回ったものが、格段に収入が多くなる仕組みである。体を動かす実体経済を担う人たちより、金を抱える連中の方が収入が多くなる社会になってしまった。
もう自分のことだけやっていればいい世代が、これからの社会を担う世代よりも、収入が多いような現実が現れた。「父さん母さんご苦労さんでした。これからは私たちが面倒をみますからゆっくりしてください」と、かつては親たちを労わったものである。現代は、親孝行どころではない。更には、年金の存続や環境悪化などの、将来不安の方が先立ってしまう。
市場原理主義が生んだ格差社会は、職業間格差や地域間格差に加えて、世代間格差まで生んでしまったのである。ここにきて「近頃の若い者ときたら」と言えなくなってしまい、同情するようにもなった。活力を失った次世代が、社会を担うことができるのだろうか。この国の未来はどのような姿になるのであろうか。