そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

無機農業など本来ないのである

2011-02-02 | 政治と金

有機農業は安全のシンボルのように扱われ、それを売りにするたくましい農家、あるいは流通・販売業者が正義の味方のように農業について語る。有機農業には必ず無農薬、あるいは減農薬がセットになっている。

私たちは、生物か化学化の授業で「植物の三大要素」を習った。試験に必ず出るところである。答えは窒素・リン・カリである。これらの不足しているものを補ってやれば、植物(作物・農産物)は育つ・・・と教えられた。19世紀の、時あたかも科学が世界を理解し始めたころにとなえられたものである。

化学者の言うとおり無機類のコントロールによって、植物は生長し収穫が上がった。それは土地に地力が残っている間の出来ごとに過ぎないと、気が付くにはもう少し時間がかかった。こうした概念(理論でもなければ原理でもない)によって、新大陸に産業革命後のヨーロッパ民族は出かけ開拓したのである。

先住民族を追い出し、当然のように大型化農業は単作(モノカルチャー)になり、機会と農薬を必要とした。大量の水も石油も必要とした。最大の面積から最大の収穫量を追及する農業は、最早工業としての側面が強く農業本来の姿を失ってきた。近年は遺伝子操作によって、更なる収穫量のアップを図ってきている。これは非持続的農業と言える。

こうした農業に対するのが、持続可能な農業と言える。持続可能な農業こそが有機農業と言える。“有機”とは化学用語である。オーガニック(organic)は、本来”器官的・機能的・機能的あるいは本質的”という意味である。化学肥料や農薬を使わないという意味に限定すると、遺伝子組み換えや水耕栽培などの非持続農業も“有機”農産物の範疇に入ってしまう。

硝酸塩やリン酸塩の代わりに、土壌微生物などによって土壌に蓄えられた、炭素貯留物の多い有機的土壌に依存する農業が再評価されている。被覆作物や緑肥、堆肥の利用や輪作、小面積による土壌の生態系の維持管理する農業が本来の農業なのである。大型の無機的農業は農業ではないのである。農産物を価格だけで評価するTPPでは、こうした無機的農業が過大評価されることになる。

今西欧の無機農業の考えを見直し、江戸時代に糞尿を巧みに取り入れた日本の農業や、アメリカから経済制裁を受けているキューバの農業が見直されている。TPPの参加で、農業は地上から消えるかもしれない。

コメント (1)
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