鳩山由紀夫前総理が普天間移設に関して、「抑止力として必要だった」と言ったのは、”方便”だったと述べた。方便とは広辞苑によると、①梵語で衆生を導く巧みな手段で②目的のために利用する便宜的手段と説明されている。
つまり方便とはその場を言い逃れるために、ついた嘘のことを一般に指すものである。鳩山は、普天間の最低でも県外できれば国外と言ったのを嘘ついたばかりか、やっぱり必要だったと方針転換したのも嘘だったと言うのである。県内回帰を前提にした後付けの理由であったことがはっきりした。
沖縄県民はこれを、精いっぱいの皮肉をこめて受け入れた。極めて言葉の軽いこの男の思いつきを、意味なく県内回帰にした理由が方便であり、米軍の思惑しか考慮しなかったことを、ホレ見たことかと白けた目で見たのである。抑止力は琉球語で「ユクシ(嘘)力」と皮肉った。
民主党のこうした動きを見ていると、後一年もすれば『平成の開国』といったのも、アメリカの意向を考慮した“方便”であったと、菅前首相は言いかねない。それほど、民主党の政治家の言葉は軽く、アメリカの顔色を伺うばかりである。
政権公約・マニフェストを次々見直しながらも、いまだマニフェストは変えないなどと言いきっている。公約を変えるのはその根拠があれば、当然やるべきである。必要なのは説明責任が生じることである。それもなくただひたすら実行を強調するのは政治家として責任のないことを意味する。
やっと方針転換を認めたと思ったら、方便であったはないだろう。鳩山の引退宣言も同じである。TPP参入は方便だった、と言われるのもそれほど遠くはないだろう。