地中海の平和な観光国家チュニジュアで始まった、反政府市民運動は中東各国に広がっている。バーレーンで反王制運動が起きたも驚いたが、カダフィのリビアで反政府運動までなるとは、多くの人は思わなかったであろう。もちろんこうした運動は、突如として起きたように思えるが、実際にはその基盤になるものが見えてはいた。
中東はヨーロッパ各国が近代になって、好き勝手に進行して切り刻んできた歴史がある。更には宗教的な対立に加えて、なんと言っても20世紀を引っ張ってきた石油が、大量に発掘されたことが大きな要因としてある。y-ろっぱ列強が手を引いたとたんに、イスラエル国家が建設され、ヨーロッパにとって代わったアメリカがこれを協力に支持した。
冷戦後のアメリカは、世界の全てを支配し、世界の警察を自認していたのである。中東はその最も典型的な地域でもあった。これに宗教的対立を煽ったのが、アルカイダなどのイスラム急進主義者たちである。ここ数年の新興国の台頭によって、世界は急速に多極化へと向かっている。とりわけBRICsの経済的成長は、多極化への加速基盤となった。
こうした相対的なアメリカの存在の低下が、エジプト国民に新たな意識を芽生えさせたと言える。エジプト国民の半数は、ムバラクが政権取って以降の若者である。
アメリカは、エジプトの独裁政権も、サウジの王体制であろうがイスラエルの暴力国家であろうが、アメリカになびくものであれば、何でも受け入れた。イラクに攻め入った、民主国家の建設などどうでもいいことである。アメリカにとって都合の良いものなら、制度も理念も問うことはないのである。
アメリカの意向に沿ってさえいれば、あるいはリビアのように反米を掲げていれば40年にも及ぶ長期政権を維持できたのである。そのアメリカの経済力等の低下、多極化が今回の中東各国のソーシアル型市民運動の原動力である。
こうした流れに全く抗うように登場したのが、日本の民主党政権である。政権交代は、こうした世界の変化を受け入れる絶好の機会であったが、民主党政権はアメリカに袖にされても,すり寄る政策を選択しているのである。どこかおかしくないか。