詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

天沢退二郎「大福山系画幅志 2」

2009-05-27 08:37:06 | 詩(雑誌・同人誌)
天沢退二郎「大福山系画幅志 2」(「現代詩手帖」2009年05月号)

 いくつかの断章(?)で構成された連作である。その「五」の部分に、とても惹かれた。竹藪がある。「1センチの隙間さえない密生林」なのだが、その竹藪のなかから「あかり」が漏れるのをみた人がいるという。その「あかり」の真相とは……。

見棄てられた畑地が篠竹やぶになるに先立ち
某女が使っていた古井戸のわきに
一本、実生(みしょう)のビワの樹が移植されていて
順調に行けば数年後には実もつけるはずだった
それが、やがて生い茂る篠竹に囲まれ、おおい隠され
陽もささず、それでも風は通るし雨や地下水には
めぐまれて細々と生き延びていたが
それも限界があって、しばらく前から
危篤状態になってしまった。
周囲の篠竹たちも心配して
夜はうす灯りをともして看病したが
ついにはかなくなってしまったという。
竹の精たちがその遺体を処理して
古井戸の底へ埋めたあと、
せい一杯の灯をともして葬儀をしたのだった。

 なぜ、この部分をおもしろく感じたのか、私にはよくわからない。(と、書くと天沢に申し訳ないのだが……。)
 ビワがビワではなく、竹が竹ではなく、人間のように見えたから--としか言いようがないのだが、それが人間のように見えた理由は何だろうか。「危篤」「看病」「葬儀」というような、人間のいのちにかかわることばがつかわれているからだろうか。
 それももちろんあるだろうけれど。
 それよりも、「それが、やがて生い茂る篠竹に囲まれて」の「やがて」、「それでも風は通るし」の「それでも」、それから次々に行に出てくる「めぐまれて」「それも限界があって」「しばらく前から」となどの「口調」の「ていねいさ」に理由があるように思える。ゆっくり進むことばに、引きつけられるのである。
 「物語」というと奇妙な言い方になるのかもしれないけれど、天沢の書いている「夢」とも「幻」ともつかないような作品は、それがいわゆる「現実」ではないだけに、ことばがどれだけスピードをあげても速すぎるということはない。むしろ、速いほうが快適、気持ちがいいということもある。え、こんなところまで想像力は行ってしまうことができるか、と感激する。飛躍が多く、どんどん「いま」「ここ」から遠ざかるそのスピードにかっこいいなあ、と思ったりもする。
 ほんらい、そういう超スピード感で取り仕切られるはずのことばの運動のなかに、こういうゆったりと、時間をていねいに追った「口調」が、「理由」といっしょに語られると、ぐいと、そこに引き込まれてしまう。この「引き込む」は、そして、天沢が引き込むというより、思わず私のほうから天沢の方へ近づいていく、のめりこんでゆくという感じなのである。「かっこいいなあ」と見とれているのとは逆に(逆に、というのは少し変かもしれないが、ようするに「距離」をとって眺めているのではなく)、一歩、ことばのなかへ踏み込んでいく感じがする。
 そして、それは、天沢がここで書いている「やがて」や「しばらく前」が単に「時間」を指し示すだけではなく、その「時間」に「理由」がぴったり寄り添っているから、そういう印象が生まれるのだとも思う。「時間」と「理由」が重なり合う。あるいは、「理由」が「時間」を作り上げているといえばいいのだろうか。「時間」は単に何秒、何分、何時間という計測単位とともに「不変の形」(一種の「物差し」)としてあるのではなく、何か「理由」があれば、その「理由」によって伸び縮みするものなのだ。
 逆に言えば(別の角度から言えば?)、天沢は、「時間の経過」に「理由」を織りまぜることで、「時間」を伸び縮みさせている。そういう変化がはっきりとことばのなかにあらわれるように、ていねいにことばを動かしている。それも、何か新しい表現によってというのではなく、むしろ、長い長い文学の歴史のなかで語られつづけ、語られつづけることによって、「無意識」にまでなってしまったようなことばをつかうことによって。
 そして、それは、

ついにはかなくなってしまったという。

 という1行に凝縮する。「死んでしまった」ではなく「はかなくなる」。「はかなく」ということばの美しさ、その「美しさ」に「なる」という動き。
 あ、ことばとは、こんなふうに「美しくなる」ことで生きていくんだなあ、「美しくなる」ことで「時間」を超えるんだなあ、というようなことを、ふと考えてしまうのである。
 同時に、あ、昔は(?)、こんなふうにして、「時間」をゆっくりとていねいに見る視点があったのだあ、とも思う。
 書かれている内容ではなく、その書き方、そのことばの動きかたに、引きつけられ、いいなあ、と思うのである。




夢でない夢
天沢 退二郎
ブッキング

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『田村隆一全詩集』を読む(97)

2009-05-27 00:18:47 | 田村隆一

 「第八景 夜の江ノ電」。この作品には「江ノ電について」という注釈がついている。その最後の部分。

 その景観は、小さなカーブをいくつも曲がりながら家の軒先・生垣をかすめ、車と並んで路面電車になり、湘南の波を眺めながら海岸線を辿り、やがて高架鉄道にもなる。
 古都鎌倉の新しい情緒である。

 「新しい情緒」。「夜の江ノ電」から見える風景、そして、その風景を見て動くこころの動きを「新しい情緒」と田村は定義している。
 具体的に見るとどうなるか。田村が描いた「夜の江ノ電」から何が見えるか。

腰越は鎌倉という村の入口で
ここまででポルノのポスターやブス猫はおしまい
江ノ電は
まず高架鉄道を走り
それから
路面電車にかわり
ポルノのポスターの可愛いお婆ちゃんに別れをつげると
文化人が住んでいる
鎌倉村に入っていく
たった十キロの藤沢-鎌倉の距離で
よくも文化村と云ったものだ
ぼくは
人の顔と別れをつげて
腰越から
鎌倉に入る

 ポルノのポスター、しかも可愛いお婆ちゃん。それはアンバランスである。アンバランスというのもひとつの「矛盾」である。調和とは正反対にあるもの。その「正反対」という感覚を引き起こすものが「矛盾」である。
 アンバランスは、感覚を覚醒させる。少なくとも、既成の感覚、美意識というようなものをひっくりかえす。そのとき、いつも見ていた風景も新しくなる。
 「新しい情緒」と田村がいうとき、重要なのは「情緒」ではなく、「新しい」である。そして「新しい」ものには「情緒」があるのだ。

ブンカジン大嫌い
夜の海が前面にひろがる
漁火が見える 小さな灯台の光が見える
相模湾の黒くて青い水平線

 「大嫌い」が田村の視線を「ひと」から遠いものへと引っぱっていく。それは「大嫌い」によって、「新しく」洗われた風景である。誰もが見る風景も、「大嫌い」という気持ちといっしょに見ると違ったものに見えてくる。「新しく」なる。

こんな愉快な村はめったにない
宗教法人税法のおかげで
説教したがる坊主に
妾が四人もいるとは
ちっとも知らなかった 夜の江ノ電の
窓から見える
白い波頭 夜のなかの

白い波頭
乗客は
ぼく一人

 「新しい」はまた「知らなかった」ということでもあるのだが、その「知らなかった」は実は知っていたということでもある。「坊主」が「妾を四人もっている」というような世界、そういうものがあることくらい田村は知っている。そういうことは話にも聞けば、本でも読んだことがあるだろう。そういう知っているはずのことが、「大嫌い」というアンバランスのなかで、もう一度見えてくる。
 その、もう一度見えてくる、ということが詩なのである。
 「新しく」というのは、実は「古い」ものがもう一度見えてくるということである。「古い」もののなかには、なにかしら「気持ち(感情)」というものが残っている。それが「新しい」何かに触れて「情緒」を引き出すのである。「情緒」というものは、たいていが「古い」。いわばなじみのあるものである。それがアンバランスな何かによって洗い清められ、「新しく」なる。
 「古い」ものが「新しくなる」というのも、矛盾である。矛盾だから、そこに詩がある。

 「ちっとも知らなかった」以後の、「1字あき」、行わたり、改行--その、いっしゅのぎくしゃくとした動き、ぎくしゃくのなかに、「新しい」ものがある。ぎくしゃくが、既成のものを新しくする。
 田村は、なめらかさではなく、ごつごつした「手触り」を好む。なめらかにことばが滑っていくのではなく、滑ることを拒否して動くことを好む。滑ることを拒むたびに、ことばは、そこで抑制されたエネルギーをため込み、爆発するのである。そういう動きを、田村のことばはめざしているように感じられる。

 最後の1行、「ぼく一人」がとても美しい。



靴をはいた青空〈3〉―詩人達のファンタジー (1981年)
田村 隆一,岸田 衿子,鈴木 志郎康,岸田 今日子,矢川 澄子,伊藤 比呂美
出帆新社

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