詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

藤田晴央「公園の熊」、石原次郎「雨音」

2009-05-11 10:50:55 | 詩(雑誌・同人誌)
藤田晴央「公園の熊」、石原次郎「雨音」(「弘前詩塾」13、2009年05月15日発行)

 藤田晴夫「公園の熊」は、かつて熊のいた公園で見かけた風景。熊がいなくなってから久しいのだが……。

ある朝
公園を散歩していたら
池ごしの
かつて熊の檻があったあたりに
黒いものの姿があった
熊が
立って背を見せているのであった
土手の斜面に向かって
何やらむさぼっているようであった

すると
黒いものの向こうから
紺色の制服の女生徒が顔を出した
よく見ると
黒いものは
男子高校生の学生服であった
女生徒は少し恥ずかしそうに笑った
僕も笑った

熊は二つの体に分かれ
手をつないで歩きだした

 高校生がキスをしているのを見た--という単純なことを書いているだけなのだが、熊から高校生へのことばの動きがとてもていねいである。熊と見えたものが高校生だったと気づく時の頭の中(こころのなか?)の反応は1秒もかからないくらいのことなのだが、藤田のことばのなかでは、それがゆっくりと動く。そのゆっくりさかげんが、とてもていねいである。
 ことばというのは、どうしても加速する。その加速を、藤田は、しっかりと抑える。少しだけ意識を引き戻すということを心がけている。
 たとえば「かつて熊の檻があったあたりに」。「かつて」という時間と「いま」を往復する。その「往復」のあいだに、ことばはゆっくり動く。あるいは「よく見ると/黒いものは/男子高校生の学生服であった」の「よく見ると」の「よく」。「よく」という「時間」のなかで踏みとどまる。
 ほんの一瞬のことなのだが、そのほんの一瞬をていねいに描くことで藤田の世界への向き合いかたが決まる。何かをすぐには断定しない。この断定を「批判」と置き換えると藤田の思想がよくわかる。藤田は「いま」という時間にふみとどまり、踏みとどまることで「世界」を受け入れる。「世界」を「批判」する前に、その姿を受け入れる。

女生徒は少し恥ずかしそうに笑った
僕も笑った

 この落ち着いた呼応は、藤田が「世界」を受け入れる思想が、人に安心感をあたえるところから生まれる。この「受け入れ」があるからこそ、高校生が輝く。

熊は二つの体に分かれ
手をつないで歩きだした

 「二つの体に分かれ/手をつないで」という呼吸。「分かれ」て、そのまま離れていくのではなく、その「いま」に踏みとどまり、「手をつないで」また世界を引き寄せる。まるで手をつなぐために「二つの体に分かれ」たのようだ。このゆっくりとした往復--それをしっかりとことばに定着させる落ち着きが美しい。



 石原次郎「雨音」のことばもゆっくり動く。石原のことばは「現代詩」のことばからは少しはなれたところにあるかもしれないが、静かで気持ちがいい。

コーヒーカップには
まだ日の温もりが残っていた
あなたが席を去ってから
きょう初めての冷たい雨がきた

疲労のみえる午後の駅から
電車が静かにとおざかっていく
木の樹液のように
あなたの記憶を辿りはじめる

日暮れにはまだ間があるとして
ひとり身で
ますます烈しくなった雨音をきく
あなたの濡れた雨音をきく

 「樹液のように」という比喩が美しい。「あなた」は石原の内部に深く存在している。石原は、そんなふうにして「あなた」を辿りながら一本の木になって濡れる。そのとき聞こえる雨音は、「あなた」が濡れる雨音でもある。「樹液」が木の隅々にまでたどりつき、「樹液」が「雨音」を聞く時、その「雨音」のなかで、石原と「あなた」がしっかりと出会う。そんな出会いをするために「あなた」は去って行った、そんな出会いを確かめるために雨は降っている--そんなふうに思える。


ひとつのりんご
藤田 晴央
鳥影社

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『田村隆一全詩集』を読む(81)

2009-05-11 00:06:33 | 田村隆一
 「歯」のなかの「白紙」。

いくら白い紙をひろげたって
言葉が生れてくるとはかぎらない

言葉が生れたところで
文字にすぎない
乾ききった文字 呼吸もしていない言葉

まだ
純白の雪の上に刻まれた森の
小動物や小鳥の足跡のほうが生きている

積乱雲から鰯雲へ 深いブルーに変る海につづく
浜辺の夏から秋へ 海の家が解体されたあとの
砂の上に描かれた文字ほうが
生きている
白い波頭に洗われて
消えているからさ

高原の寒村の雪も溶けるだろう
小動物や小鳥の描いた森の言葉だって
春とともに土にかえるだろう

消えない言葉
溶けない文字

そんなものは
ぼくは信じない

 「生きている」。田村がこだわっているのは、「いのち」の感覚である。「ことば」にいのちがあるかどうか。それを、田村は、ことばが「消える(とける)」とむすびつけて考えている。「消える(とける)」ことばこそが生きている。
 ふつう、文学でいわれる「生きている」ことばとは違った意味で田村は「生きている」をつかっていることになる。
 たとえば「源氏物語」。1000年前に書かれたことば。それは「生きている」。いまも「消えず」に存在し、読まれている。古典は「死なない」から「生きている」。
 田村がつかっている「生きている」は「消える(溶ける)」と対になってはじめて成立する考え方である。「消える」「とける」は、「死ぬ」と言い換えてもいいかもしれない。存在しつづけるのではなく、存在しなくなる。そうなることが「生きている」証拠になる。

 この考え方は、いままで見てきた矛盾→破壊→生成という動きのなかに戻すとわかりやすくなる。
 矛盾することばは互いを破壊する。解体する。そして、枠をなくして溶けてしまう。そういう運動をすることばが「生きている」のである。「生きている」ということは矛盾することと同義なのである。生きて、矛盾して、矛盾が止揚して何かになるのではなく、矛盾の原因である「生(いのち)」そのものが破壊しあい、その形をなくす。そのあと、そこから何かが生まれてくる。最初の「矛盾」をつくりだしたことばは、そのときは、そこには跡形もない。跡形もなくなることが「生きている」ことなのだ。
 田村が描きたいのは、矛盾し、消えていく激しいことばなのだ。消えていく時、激しく火花を散らし、燃え上がることばなのだ。

八月十五日の正午
本郷の菩提寺へ行った
大きな墓にかこまれて小さな墓があった
文久二年没とだけあって
名前は読めない

そんな詩が書きたくなった
書きたくなった

 「文久二年」に没したのは田村の誰にあたるのだろう。「名前」は田村はもちろん知っている。知っていて「読めない」。これが、たぶん、この詩のいちばんのポイントだろう。
 雪の上の動物たちの足跡、砂の上に書いた文字、雪が溶けて消えてしまう足跡、波が洗って消えてしまう文字--それが「あった」ということを知っているかどうか。知っている人間だけが、それが「消えた」ということも理解できる。
 「生きる」ということは、そういうことなのだ。いまは、そこには存在しない。けれど、それが存在したと知っている--その知っているという意識のなかでのみ、生きるものがある。
 矛盾→解体→生成。結果的に「残る」のは「生成」かもしれない。しかし、その過程をたどってきた人間には「矛盾」が「生きていた」ということは決して消えない。そういうことばを田村は「書きたくなった」と2回、つづけて書いている。

 この詩と対をなしているのは「歯」。田村がイギリス、ロンドン郊外の村を旅した時のことが書かれている。そこで田村は「ゴドーを待ちながら」や「ミルクウッドの木の下で」を演じたことがあるという男に出会っている。彼はしかし役者ではなくパブのおやじである。そういうことを聞きながら、田村が感じているのは、その男のなかで、ベケットのことば、ディラン・トマスのことばが「生きている」という感覚だ。その男が、いま、ゴドーやミルクウッドを再現できるかどうかはどうでもいい。いや、できないからこそ、意味がある。そのことばをくぐり抜けた。そのことばが「ある」ということを知っているということが、いま、その男を存在させている。そして、その「知っている」という「場」をくぐり抜けて、田村の前に、あらわれたのだ。彼は、最初からそこにいるのではなく、田村と出会って話すことで、ベケットを、ディラン・トマスを「知っている」という「場」から時間をくぐりぬけてあらわれたのだ。
 この瞬間に田村は詩を感じている。そして、その瞬間を書き留めているのだ。

 「歯」の最後の4行。

酒神よ
ぼくをして目茶苦茶に作詩せてめ給え
一本
その一本の歯が抜け落ちるまで

 この4行が、私はとても好きだ。特に「目茶苦茶に」ということばが。田村がめざしているのは「目茶苦茶」だと思う。「目茶苦茶」としかいいようのない「いのち」の瞬間だ。
 「酒神よ」という呼びかけもうれしい。酒は、誰かと会うための方便である。イギリスのパブで田村がベケットを演じたという男に出会ったのは「酒」があったから。「酒」を通して、ベケットのことばを「知っている」という男があらわれたのだ。



詩人のノート―1974・10・4-1975・10・3 (1976年)
田村 隆一
朝日新聞社

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