岬多可子「その庭へ向かう径」、山口賀代子「ともだち」(「左庭」13、2009年04月30日発行)
岬多可子「その庭へ向かう径」は、なんのことなのかよくわからないが、ことばがことばとして独立していて、怖いところがある。
最終連に「人なのか 部分なのか」ということばが出てくるが、その表現を借りていえば、ここに書かれたことばは「全体」なのか「部分」なのか--それがよく分からない。それが、怖い。
たとえば、
この1行。2か所ある「1字空き」はいったい何なのだろう。この1字空きによって、ことばが「独立」というか、「部分」になっていく。「意識」ということばもこの詩に出てくるが、意識が運動していくのを逆らうように、わざと立ち止まらせている。それこそ「休止なのか 停止なのか/知らない」けれど、それが立ち止まるたびに、寸断されたことばがそれだけで「独立」するのだ。
「生乾き」はありふれた(?)ことばだが、「布の夜」は少し違う。「布」も「夜」も誰でもが知っているが、「布の夜」って何? 布に夜がある? そんなものはない。ないということは、この「布の夜」というのは「比喩」ということである。
いったん「比喩」という脇道へ入ってしまうと、そこから先は、もちろん「比喩」の世界である。「いま」「ここ」でありながら、「現実」ではない。日常の現実ではなく、あくまでことばが築き上げる世界である。
「ふっさりと地上を覆う」。「ふっさり」とは「ふさふさ」。でも、これは「布」が「ふさふさ」ということ? 違うだろう。布を「ふさふさ」とはいわない。違うのだけれど、なんとなく「イメージ」がある。
「布の夜」と同じである。
1行のなかで、また、少し「比喩」のずれがひろがったのである。そして、そのずれは、修正されることはない。むしろ、そのずれを利用して、ことばは、「いま」「ここ」から、「いま」「ここ」ではないところへ入っていく。1字空きによって、退路を断ちながら進んで行く。
なんのために? わからないけれど……。
しかし、そんなふうに意識を断って動いてみても、意識というのは、どうしても「間」を飛び越えてつながってしまう。どんな断絶があろうと、意識というのはかってにそれを飲み込んでしまう。「黒が本質」ということばが出てくるが、「意識」とは「黒」、すべてを飲み込む「黒」、ブラックホールかもしれない。
すべてを飲み込み、一体化しようとする意識(黒)と、それから逃れ「独立」しようとすることばが、互いに戦っている。(神経戦)ということばを、岬はつかっているが……。
その戦いとは、どんなものか。
が、おそろしい。
私の「肉体」感覚では、五官は(そして五感は)融合し、一つになり、変形し、もう一度生成されて(再生して)、「意識」に揺さぶるものだが、岬は、五官を融合させるのではなく、分離させる。分離させながら、それぞれを輝かせる。そして、その果てにあるものを見ようとしている。
五官を分離したあと、それは
わからないけれど、その分離されたものは、確かに、「独立」して存在し得る。「布の夜」「ふっさりと・覆う」のような、微妙なずれとしてだけではなく、「ぎゃるり ぎゃらろ ぎゃらりおお」のような輝く音そのものとしても。
何が岬を動かしているか。
(四月、もえいづ)には、次の行がある。
この意識の「黒」(闇)は、「わざと」選びとられたものである。そして、「わざと」黒をえらびながら、黒のなかの「輝き」、暗くなることで輝くなにかと向き合おうとしている。暗くなることで輝く何かを「独立」させようとしている。
そんなことを感じさせる詩である。
*
山口賀代子「ともだち」は「股関節脱臼でまっすぐ歩くことのできなかった」時代、森の木漏れ日や風を「ともだち」として生きてきたと語る詩である。
この「明るい」ことばの奥に、ふと岬の書いた「黒・意識」がよぎるのを感じる。そんなふうに受け止めてはいけないのかもしれないが、そう受け止めた方がいいのかもしれない。
という1行に動く意識。1字空きもなく、「みずをため」ときっちり結びつけて「そのすくないみずを」と言い換える時、「ともだちがおおい」の「おおい」とは逆の、限定されたものたちとの深い深いつながりがふいに襲いかかってくる。この深いつながりがあれば、ともだちの「多さ」は何の意味もない。
岬多可子「その庭へ向かう径」は、なんのことなのかよくわからないが、ことばがことばとして独立していて、怖いところがある。
(三月、神経戦)
生乾きの 布の夜が ふっさりと地上を覆うと
匂いが 勝ってくる
ぎゃるり ぎゃらろ ぎゃらりおお
と 猫は春
黒が本質 と思っていて
咲けば 花 花 と 浮く足元も 常のこと
量が多いということは
地につかぬゆえ
満開 大群 断たれた毛束
なんでも おそろしい
黒が本質 というのは
意識のことだから そこから
五官を手足を 切り離していって
一輌ずつ ばらばらの行き先を目指す列車の
さみしいような 金属の
熱と軋み
敷布の下 しばらく動いていたものも
観念して
しまいには 鎮まる
けれど それが
人なのか 部分なのか
休止なのか 停止なのか
知らない
最終連に「人なのか 部分なのか」ということばが出てくるが、その表現を借りていえば、ここに書かれたことばは「全体」なのか「部分」なのか--それがよく分からない。それが、怖い。
たとえば、
生乾きの 布の夜が ふっさりと地上を覆うと
この1行。2か所ある「1字空き」はいったい何なのだろう。この1字空きによって、ことばが「独立」というか、「部分」になっていく。「意識」ということばもこの詩に出てくるが、意識が運動していくのを逆らうように、わざと立ち止まらせている。それこそ「休止なのか 停止なのか/知らない」けれど、それが立ち止まるたびに、寸断されたことばがそれだけで「独立」するのだ。
「生乾き」はありふれた(?)ことばだが、「布の夜」は少し違う。「布」も「夜」も誰でもが知っているが、「布の夜」って何? 布に夜がある? そんなものはない。ないということは、この「布の夜」というのは「比喩」ということである。
いったん「比喩」という脇道へ入ってしまうと、そこから先は、もちろん「比喩」の世界である。「いま」「ここ」でありながら、「現実」ではない。日常の現実ではなく、あくまでことばが築き上げる世界である。
「ふっさりと地上を覆う」。「ふっさり」とは「ふさふさ」。でも、これは「布」が「ふさふさ」ということ? 違うだろう。布を「ふさふさ」とはいわない。違うのだけれど、なんとなく「イメージ」がある。
「布の夜」と同じである。
1行のなかで、また、少し「比喩」のずれがひろがったのである。そして、そのずれは、修正されることはない。むしろ、そのずれを利用して、ことばは、「いま」「ここ」から、「いま」「ここ」ではないところへ入っていく。1字空きによって、退路を断ちながら進んで行く。
なんのために? わからないけれど……。
しかし、そんなふうに意識を断って動いてみても、意識というのは、どうしても「間」を飛び越えてつながってしまう。どんな断絶があろうと、意識というのはかってにそれを飲み込んでしまう。「黒が本質」ということばが出てくるが、「意識」とは「黒」、すべてを飲み込む「黒」、ブラックホールかもしれない。
すべてを飲み込み、一体化しようとする意識(黒)と、それから逃れ「独立」しようとすることばが、互いに戦っている。(神経戦)ということばを、岬はつかっているが……。
その戦いとは、どんなものか。
五官を手足を 切り離していって
が、おそろしい。
私の「肉体」感覚では、五官は(そして五感は)融合し、一つになり、変形し、もう一度生成されて(再生して)、「意識」に揺さぶるものだが、岬は、五官を融合させるのではなく、分離させる。分離させながら、それぞれを輝かせる。そして、その果てにあるものを見ようとしている。
五官を分離したあと、それは
人なのか 部分なのか
休止なのか 停止なのか
わからないけれど、その分離されたものは、確かに、「独立」して存在し得る。「布の夜」「ふっさりと・覆う」のような、微妙なずれとしてだけではなく、「ぎゃるり ぎゃらろ ぎゃらりおお」のような輝く音そのものとしても。
何が岬を動かしているか。
(四月、もえいづ)には、次の行がある。
ただ 在る よきもの
そのために 官能を全部ひらき
悪路を隘路を むしろ えらびとって
この意識の「黒」(闇)は、「わざと」選びとられたものである。そして、「わざと」黒をえらびながら、黒のなかの「輝き」、暗くなることで輝くなにかと向き合おうとしている。暗くなることで輝く何かを「独立」させようとしている。
そんなことを感じさせる詩である。
*
山口賀代子「ともだち」は「股関節脱臼でまっすぐ歩くことのできなかった」時代、森の木漏れ日や風を「ともだち」として生きてきたと語る詩である。
こどものころ
ともだちは
そこかしこにいて
木漏れ日からも
空からも降ってきた
(略)
わたしはみずをのむ
まるめた手のひらに
みずをためそのすくないみずを
ごくりとのむ
耳もとで葉がさわさわとゆれ
風がわたしをなぶっていく
風もわたしのともだち
わたしにはともだちがおおい
この「明るい」ことばの奥に、ふと岬の書いた「黒・意識」がよぎるのを感じる。そんなふうに受け止めてはいけないのかもしれないが、そう受け止めた方がいいのかもしれない。
みずをためそのすくないみずを
という1行に動く意識。1字空きもなく、「みずをため」ときっちり結びつけて「そのすくないみずを」と言い換える時、「ともだちがおおい」の「おおい」とは逆の、限定されたものたちとの深い深いつながりがふいに襲いかかってくる。この深いつながりがあれば、ともだちの「多さ」は何の意味もない。
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