詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

安水稔和「冨上芳秀氏の公開質問状に答える」

2009-05-01 15:29:03 | 詩(雑誌・同人誌)
安水稔和「冨上芳秀氏の公開質問状に答える」(「イリプスⅡnd」3、2009年04月20日発行)

 安水稔和「冨上芳秀氏の公開質問状に答える」は、「イリプスⅡnd」3で冨上芳秀が「<出てきた>というレトリックの意味するもの」というサブタイトルをつけて書いた質問状に答えるものである。2点、気になるところがあった。

 冨上は、冨上が苦労して探し出してきた竹中郁の作品群が、安水が竹中家を訪問した時に<出てきた>かのように講演で語ったのはおかしい、と批判していた。
 これに対して、安水は次のように答えている。

 未完詩篇が出てきたと話したのは、竹中家の調査で私が見つけたと言っているのではありません。あなたから出てきたのです。『詩集成』へのあなたの研究成果の提供によって出てきたのです。

 冨上は「レトリック」を問題にしていたが、私がこの部分に感じるのは、やはり「レトリック」の問題である。日本語は主語を省略しても文意が通じる。今回の場合、「出てきた」の主語は「未完詩篇」であり、それが「出てきた」というとき、それがどういう経緯で出てきたかが一番の問題である。「詩篇」は動き回れないから、「主語」となって「出てくる」ことはできない。どうしても、誰かが「出てくる」という状態にしなくてはならない。つまり、こういうときは「出てきた」というだけでは不十分なのである。だれが、どうやって見つけ出したか、という経緯を言わないかぎり、その「出てきた」はほんとうの「主語」を隠していることになる。
 なぜ、主語を隠さなければならないのか。竹中の未完詩篇が冨上の苦労によって出てきたのなら、当然、それは「講演」のなかで明確に、「冨上が見つけ出したので、読むことができた」というべきである。
 この部分の釈明、謝罪は、不十分である、と私は思う。
 「竹中家の調査で私が見つけたと言っているのではありません。あなたから出てきたのです。」ではなく、「冨上から出てきたと、講演で正確に表現しなかったのは、私の過ちでした」と認めるべきだと思う。すでに、多くの読者は、その詩篇が冨上から出てきたという事実は知っている。(推測として、知っている。)事実ではなく、その事実をどう表現するか、どんな「レトリック」で表現するかが問われている。
 そのことを安水は誤解している。問われているのは「誰が発見したか」という「事実」ではない。

 重要なのは「発見」という「事実」であり、「表現」ではない--という意見もあるかもしれない。
 けれど、その「表現」が含む「事実」、言い換えると「表現」が隠してしまう「事実」というものもある。 
 ことばはいつでも全体の「一部」をあらわすことしかできない。どんなにことばをついやしても「事実」の全体を語りきれることはない。ひとは、ある「事実」を衝撃的に伝えるために「わざと」一部を省略することもある。「わざと」何かを隠すこともある。そういう「隠蔽」の「事実」というものがある。
 今回、冨上が問題にしているのは、冨上という「主語」を「隠蔽」している表現を問題にしている。そこには、どういう「事実」があるのか。
 「隠蔽した」という「事実」をいわずに、「私が見つけたと言っているのではありません」では不十分だ。「私が見つけたのではない」のなら、なぜ、そのことを最初に言わないのか、「私が見つけたのではない」という「事実」をなぜ明確に言わないのか、が問われているのである。なんらかの「思惑」があるのではないのか。
 「詩篇」の発見が、ものの「事実」なら、「思惑」は「心理」の「事実」である。安水は、「心理の事実」を語っているようには、私には受け止められない。「心理の事実」は安水にしか答えられない。その安水にしか答えられないものを、安水は語っているとは思えない。
 それは、もうひとつの気がかかり部分と関係してくる。
 安水は、書いている。

 「公開質問状」であなたは私が予定している評論集『竹中郁を読む』(仮題)が出版されようとしているのは許せないと言う。許せないというあなたの気持ちを知った上はこのまま事を進めるわけにはいかないと思い、出版を凍結しています。テープ起しの文言の削除加筆によってあなたが未刊詩篇の発見提供者であると重ねて明確にするにしても、あなたの諒解を得られないままに事を運ぶつもりはありません。

 これでは、出版の責任を冨上に押しつけることになる。責任の転嫁である。冨上は安水の出版の妨害をしている、という誤解をあたえかねないのではないか。
 どの部分を削除し、どのような加筆をしますという具体的な提案をし、出版をご了承下さいと申し入れないかぎり、解決にはならないのではないか。
 何をすべきか、冨上に問いもとめるのではなく、これこれのことをします、と具体的に「公開」の場で提案することが、いま、必要な「レトリック」なのではないのだろうか。「テープ起しの文言の削除加筆によって」では、「事実」が不明確である。何ができるのか、という「事実」がもとめられている。何ができるか、という「事実」は、そして、安水にしか書けないことである。
 安水にしか書けない「ことば」を、もう一度、読んでみたいと思う。


安水稔和詩集 (1969年) (現代詩文庫〈21〉)
安水 稔和
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木村祐一監督「ニセ札」(★★)

2009-05-01 11:48:29 | 映画
監督 木村祐一 出演 倍償美津子、青木崇高、木村祐一

 題材は非常におもしろいし、「ニセ札」づくりが「軍国主義批判」にかわるのも楽しいのだが……。
 一つ一つの映像が長すぎる。編集し直せばおそらく半分とはいわなくても5分の3程度の長さにはなりそう。一つ一つの映像が長いと、見ていて緊張感がなくなる。
 たとえば、倍償美津子が世話をしている知恵遅れの青年が、軍隊あがりの青年が仲間を銃殺するのを目撃するシーン。ぱっと見て、ぱっと逃げる。思わず亀を落としてしまう、と2秒もかからないシーンなのに、役者に演技をさせてしまう。そうすると、よほど演技力がないと、スクリーンの緊張感が保てない。間の抜けた、というか、むりやり演技している顔がスクリーンに残ってしまう。
 人だけではなく、風景のショットも少しずつ長い。風景に演技をさせるというのはとてもいいことだと思うけれど、長くなると、風景に必然性がなくなり、安手の観光案内のように見えてしまう。

 いちばん問題が多いのは、倍償美津子の法廷での証言シーンである。そこでは、この映画の重要なテーマ「軍国主義批判」が展開されるのだが、それは「ことば」だけであり、あ、こんなことばを伝えたいのなら、映画ではなくて「小説」の方がいいだろう、と思ってしまう。映画はまず映像でなくてはならないという基本が最後で完全に踏み外されている。その証言のあとに、法廷に1000円札が飛び交うという美しくなるはずのシーンも、ことばの説明のための紙芝居的映像になってしまう。
 また、倍償美津子が証言で語るもう一つの事実、「やっているうちに楽しくなった」が、やはりことばだけなのも大失敗である。「ニセ札」づくりで倍償美津子や他の登場人物が楽しくてやめられなくなった、という印象は、とても感じられない。紙漉き職人が白すかし、黒すかしの違いをとくとくと語るシーン、軍隊あがりの青年が「ニセ札」の原盤の写真撮影の露光時間をめぐって写真屋と対立するシーンなど、ちょっとマニアックな歓びの瞬間もあるのだけれど、それが増幅していかない。
 この原因のひとつは、「ニセ札」づくりの集団と村人との関係にある。
 倍償美津子は、村人から「ニセ札」づくりのための資金を調達するという重要な役割である。そこに村人と犯罪集団の「親和関係」のようなものが発生し、それが犯罪をささえ、歓びをもりあげる(深める)はずなのに、その「親和関係」、あるいは一種の「共犯関係」、うさんくささがもつおもしろさがうまれるはずなのに、それがない。提供資金に小銭が混ざっていたり、金がないので子山羊を金の代わりに提供したりという細部も描かれるは描かれるのだが、いまひとつ、しっくりこない。描写にていねいさがない。ストーリーの紹介に終わっているせいである。
 小さな村のことである。そんな村では何かを隠れてやるということは不可能である。そんなところで何かをやれば、それがたとえ犯罪であっても、それは一種のお祭りに変わるはずである。その犯罪からお祭りへの加速度的なふくらみ、それを伝える映像がこの映画にはなかった。
 だから、倍償美津子がいくら法廷で「楽しかった」といっても、そんなことを言われてもねえ……とため息が出てきてしまう。

 映画は一種のカーニバルである、ということは監督の木村祐一には分かってるはずである。カーニバルであると分かってるからこそ、最後を、1000円札の紙飛行機が飛び交う法廷シーンにしたかったのだと思う。その狙いが分かるだけに、実際に、映像がそうなっていないのを見るのは、とても無残である。
 意図だけがあって、形がない。意あまって血から足りず、という映画であった。


木村とご飯 Vol.1 [DVD]

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『田村隆一全詩集』を読む(71)

2009-05-01 00:57:05 | 田村隆一
 「雪は汚れていた」のなかに「ぼく自身が行方不明だった」ということばがある。探偵小説の編集をしていたころのことを描いたものである。

そうだ ぼく自身が行方不明だった
ブロンドの美人には活字の世界でしかお目にかかれない
タフでハンサムな探偵は
神田多町(たちょう)にはいなかった みんな栄養失調のような顔をして
葉巻をくゆらしているアメリカの大金持ちと裸体を毛皮でつつんだ
美女の活字の世界のなかで労働していたのだから
低賃金の労働と性的な夜間飛行の
香水の匂いとは水と油である

 この「行方不明」は、きのう読んだ詩とは別の意味での「不定型」である。田村が訳出している探偵小説のどのような「動詞」とも無関係である。探偵小説のなかの「動き」と重なり合う動きが田村自身のなかにない。探偵小説のなかのことばは田村の「動詞」になることはない。ことばと田村が重なり合わないということである。
 田村は、ことばを通して「変身」する。そのことを間接的に語っている。

朝鮮戦争がやっと終って
特需の反動で日本はと不況に見まわれる
「彼女はティッシュ・ペーパーで涙をぬぐった」
原書にもそうあるが
だれもティッシュ・ペーパーを見たことがない
辞書ひいたって
薄葉紙
としか出ていない

 どのような「動詞」となることもできないまま、探偵小説を訳している。そこでは、「世界」は「ひとごと」である。
 そういう状態のままでは、人間は存在することができない。ことばと分離したままでは、人間は、少なくとも田村は、生きていけない。
 田村は、ことばと、美しい和解を試みている。その部分が、私はとても好きだ。

The night was young and so was he,
The night was sweet but he was sour.

「幻の女」の二日酔いの青年みたいに
ぼくは焼け残った銀座裏の裏通りをフラフラ歩いていたっけ
「雪」
という小さなバーがあったので
ぼくは扉をおして中に入った
美しいマダムがただ一人
ポツンと坐っているだけ 客はいない
彼女の中にある雪
ぼくの中にある雪
その雪の色を想像しながらウイスキーを飲みつづけて
ぼくの黒いコートのポケットには
ジョルジュ・シムノンの殺人小説
「雪は汚れていた」
が入っている

 「彼女の中にある雪/ぼくの中にある雪」。この2行の「なかにある」という状態が「不定型」としての人間のありようなのだ。つまり、「ぼくの中にある雪」の「雪の色を想像する」とは、実は、その「雪の色」に「なる」ことだ。そして、この「なる」が「変身」(変形)である。
 「夜は若く、彼もまた若かった/夜は甘かったが、彼は酸っぱかった」という生き方、生存のあり方が田村の「動詞」となるように、「雪」、いま、ここにない雪になって、バーで酒を飲む。
 青春の一こまの描写--ただ、それは単なる描写ではない。「変身」の具体的な報告である。

 そして。

 と、私が、これからつづけて、書くこと。「そして」という接続詞でつないで書くことは、とんでもない空想、誤解かもしれないのだが。
 田村が引用している英語の2行のなかの「was 」(be動詞)と「ぼくの中にある雪」の「ある」、そして「なる」の交差(重なり具合)が、私には、とても興味深く感じられる。
 be動詞は主語の状態をあらわす。夜は若かった、そして彼も若かった/夜は甘かった、けれど彼は酸っぱかった。それは若いという状態に「ある」(あった)、甘いという状態にあった(ある)、酸っぱいという状態にあった(ある)ということだろう。この2行目のbe動詞は「なる」とは訳せないだろうか。
 ハムレットの「to be, or not to be 」と同じように、それは「ある」と同時に「なる」とも訳せるのではないだろうか。「どうあるべきなのか、どうあるべきではないのか」であると同時に「どうなるべきか(生きるべきか)、どうならないべきか」。「大人になったら何になる?」というときの「なる」はbe動詞である。「ケセラセラ」には「When I was just a little girl /I asked my mother what will be」という用法がある。
 英語では「ある」と「なる」が重なり合う。
 同じようにも、日本語でも「ある」と「なる」が重なり合うときがある。「彼女の中にある雪/ぼくの中にある雪」の「ある」は、「その雪の色を想像」するとき、「なる」と重なる。
 --ここには、「翻訳」を生きた美しい「成果」のようなものがある。美しい「影響」がある。私には、そんなふうに見える。


泉を求めて―田村隆一対話集 (1974年)
田村 隆一
毎日新聞社

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