詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「Passion  美への情熱 石橋正二郎生誕 120年を記念して」

2009-05-04 21:36:40 | その他(音楽、小説etc)
「Passion  美への情熱 石橋正二郎生誕 120年を記念して」(石橋美術館)

 石橋正二郎とは誰だったのだろう。私はいままでコレクターを中心にして絵を見たことはなかった。いつも誰が描いたかしか見て来なかった。これからも、やはり誰が描いたかしか見ないとは思う。けれど、私のように誰が描いたかだけを見る視点が可能なのは、石橋正二郎のように、優れた作品を多くの人に知ってもらいたいという情熱をもって作品を収集し、残す人がいるからなのだということを、今回はじめて知った。
 今回、久留米の石橋美術館で展示されているのは 100点強である。青木繁、坂本繁二郎、ピカソ、ルノワール、セザンヌ……。どの作品も有名なものばかりである。美術の教科書、さまざまな図録に収録されているもの。ある意味では、なじみのあるものばかりなのだが、その「なじみのあるもの」という印象に、私はまず圧倒された。なぜ、こんな作品を?という疑問が一瞬たりともわかない。あ、この絵も、この絵も、この絵も石橋が収集し、公開しようと力を注いだのか、と驚く。その情熱を受け止める方法を私は知らない。そういう情熱に出会うとは、私はいままで考えたこともなかった。
 なぜ、こんなことができたのか。その答えは、私には、いまは、ほんの少しの手がかりさえもみつからない。



 いつくもの作品に感動したが、2点について感想を書いておく。
 青木繁「海の幸」。実物を見るのは、初めてである。教科書や図録では気がつかなかったこと、新しく気づいたことがいくつかある。いちばん印象的だったのは、左の二人の描きかたである。中央の人物にはしっかり焦点があたっていて、その肉体は、ある動きの一瞬を明確に再現している。しかし、左の二人は動きが定まっていない。足が動いている。視界の外側で、アニメーションのように、あるいはぱらぱらマンガのように、足が動いている。下書きというか、形を定める前の、複数の線がそのまま残っていて、それが足の動き、体の動きを連想させるのである。よく見ると、右端の人物も、同じような「ぶれ」の内部に存在する。
 横長の構図のなかにあって、左右の人物は「ぶれ」ている。焦点の外側にある。そして、そこに動きがある。その影響が、不思議なことに(当然なことと絵に詳しい人なら言うかもしれない)、中央の人物群をくっきりと浮かび上がらせる。動きを超越した存在感として浮かび上がる。
 特に、後ろから4人目の女。ほんとうは男なのだろうけれど、私にはなぜか女に見えた。彼女だけは、進行方向を見ずに、視線を画家の方に(鑑賞者の方に)向けている。その白い顔が、幻想のようにくっきりと浮かんで見える。
 ある集団がある。そのなかの誰かとふいに視線があってしまう。そう気づいた瞬間、目に見えるのは視線だけである。その他のものも視界には入っているのだが、焦点の外に弾き飛ばされてしまう。すーっと消える。消えないまでも、ぼんやりしたものになる。
 そのときの「視野」そのものを、このえはつかんでいる。進む方向からさしてくる朝日の赤い色、空気のなかに残る夜の影--それが交じり合い、漁師たちを動かしている。それは、いま、ここで生まれた「人間」という感じがする。もう何年も生きているのだけれど、ある方向へ向かって歩く動きと、その動きを突き破って真っ正面からぶつかってくる視線の、垂直なぶつかりあいが、そのなかから何かが生まれてくるという印象となってあらわれる。いま、ここで、何かが生まれているという印象になって、私に襲いかかってくる。

 パブロ・ピカソ「女の顔」。ギリシャ古典というか、ギリシャ彫刻につながるような女の顔である。白い肌、白い布が光を強くはじき返している。その印象が、さらにギリシャという印象を強くする。眉の下にできる影、その黒い調子も強烈である。健康的な光があふれている。
 ピカソは、この女を「色」だけではなく、「線」でも描いている。耳や顔の輪郭、布の境目(境界線?)を黒い線で描いている。その黒い線の、頬から顎にかけての部分が絶妙に美しい。顔の背景は青。額の部分は、青い背景、白い額の、ちょうど境目にすっきりと線が入っている。黒い線は顔の輪郭そのものである。ところが頬から顎にかけては少し違う。白い肌の内側の方に「ぶれ」ている。輪郭そのものではなく、輪郭そのものよりも内側に黒い線がある。それも、丸いというよりは、どちらかといえば直線的な線である。この不正確な(?)線が、女をとても強いものにしている。たとえて言えば、大理石の彫刻のような頑丈さ。そして、頑丈でありながら、固いのではなく、その固さを突き破ってはみだしていく肉の力。そこには、何か矛盾したものがぶつかりあっている。そのぶつかりあい、その矛盾が美しい。

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進一男『見ることから』

2009-05-04 19:27:53 | 詩集
進一男『見ることから』(詩画工房、2009年03月06日発行)

 「カンナ」という作品がある。そのなかで、進は詩と絵を比較している。

ゴッホは一体どれほどの ひまわりの絵を描いたことか それらのひまわりは皆 それぞれに一つのひまわりで 決してひとまとめにした一つのひまわりではない 勿論それぞれのひまわりはそれぞれに多少とも違って描かれているにしてもである しかし私のカンナの詩は一体どうなのだろうか 何篇書こうとも 私にはそれはすべて同じ一つのカンナの詩のように思われてならないのである 例えそれらがそれぞれに違うように書かれていても それらはそれぞれ一つの作品ということにはならずに 全然違わない同じ一つの作品という気がしてならないのである 

 あ、おもしろいなあ。おもしろいことを考えるなあ、と私は思った。そして同時に、進はひとつとんでもない勘違いをしていると思った。
 進はゴッホのひまわりの絵を「鑑賞者」として定義している。一方、「カンナ」の詩については「作者」として定義している。判断の基準が二つある。これでは何かを比較したことにはならない。比較というのは「一つの基準」からおこなわないかぎり、どうしたって複数の「答え」が出てしまう。
 ゴッホにしてみたって、ひまわりは何枚描こうと「1枚」なのである。そして、その「1枚」は、永遠にたどりつけない「1枚」である。その「1枚」にむかって、あらゆるひまわりが動いていく。
 進がどれだけ「カンナ」を書いても、そのむこうに永遠に書けない「1篇」のカンナがあるのと同じように。作者を基準にすれば、作品というのは、いつも永遠に書けない(描けない)「一つ」をめざしている。
 その「一つ」をどこからとらえるか。作者か、鑑賞者か。そして、そのときの「基準」は? 存在か、運動か。
 私は「何を」という「存在」として作品を見るのではなく、そこでどのような「運動」がおこなわれているかを、いつも基本に考えたいと思っている。
 ゴッホも進も、その創作活動を「運動」という基準でとらえ直せば、同じになると思う。いくつかの「ひまわり」(絵)、いつかの「カンナ」(詩)。それは皆、それぞれに作者のなかにある「永遠のひまわり」「永遠のカンナ」へ向かって動いている。「永遠」にいたる道はひとつではない。複数ある。だから作品はいくつも描かれる。いくつも描かれるからそこには必ず差異は生まれる。けれど、その差異は、それぞれの作品を個別化するだけではなく、逆に、差異を含むことで「同じもの」をめざしていることを明確にする。複数の差異がたがいにぶつかりあいながら、まだ描かれていない「永遠のひまわり」「永遠のカンナ」という存在を浮かび上がらせる運動をするのだ。

 進はおびただしい数の著書を出版している。この詩集には付録として、その「目録」がついていた。私は面倒なので、その数を数えなかったが、たいへんな量である。
 なぜ、進はこんなにたくさんの詩集を出す? それは、やはり進の描こうとしている「永遠」が描けないからだろう。書いても書いても「永遠」にたどりつけず、その結果として、すべてが「永遠」にはたどりつけなかったものという「一つ」になってしまう。そういう気持ちがどこかにあるのだと思う。そして、この気持ちは、書けば書くほどつよくなるものなのだと思う。ひとはいつでも、そうやって矛盾を生きるしかないのだとも思う。これは、どれだけ矛盾をかかえこむことができるかによって、「思想」の広がりがでてくるかがきまるということにつながるのだが、ちょっと説明が面倒なので省略。(私が、何度も何度も、「矛盾」ということばをつかうのは、その「矛盾」を評価しているから。「矛盾」ということばを私はよくつかうが、私はそれを否定的な意味ではほとんどつかわない。そこに肯定すべきものがある、それをはっきりさせたいというときにつかう。)

 ひとは何を描いても、どんなに自己から逸脱していっても、どこかで「一つ」のものとつながってしまう。これは、どうしようもない「真実」のように私には思える。

 「ある旅のこと」に、とてもおもしろい行がある。「奥の細道」をたどる旅に出たくなったのだが、それがかなわず、芭蕉の生地、伊賀を歩いた、と書きはじめる詩の2連目。

伊賀はまた 横光利一の縁の地でもある
私は氏の中学時代の逸話のある伊賀上野城の高い石垣に立ち
それから柘植の町を歩いた
ひところ凄く好きな作家だったが
ある時 何故か違うところへ行くように感じられて
ついつい離れてしまっていたのだが
それでもやはりどこかで引かれていたのだろうか

 どんなに離れても、どこかで惹かれる。そういうふうにしてつづいていく運動がある。それは、膨大なことばのなかで、あるときふっと見えてくる何かである。ゆらぎながら、ゆらぎのなかで、「一つ」になる。
 進は、この詩集では、そういうことがらを「無意識」に書いているように思われる。とても「正直」になった。「正直」な進が、静かに歩いている--そう感じさせる詩集である。
 この詩は3連目で、戦争で死んでしまった友人のことを書いている。芭蕉、横光利一、友人と、追いながら「心の旅」をしている。その動きがとても「自然」で、その自然さのなかに「正直」をつよく感じた。



進一男詩集 (日本現代詩文庫 (94))
進 一男
土曜美術社出版販売

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『田村隆一全詩集』を読む(74)

2009-05-04 00:25:08 | 田村隆一

 田村の改行、あるいは連の構成(1行あき)のあり方、連から連への移動は、「散文の論理」からみるとずいぶん逸脱している。
 「海の言葉」にも、その「逸脱」がある。

あの
黒い土の下には
どんな色彩と音楽が流れているのだろう?
乳白色の 緑色の
血液のリズム
北半球の星座の燃えつきるまで透明な
光のリズム
球根からおびただしい芽がのびてきて
そののびてくる緑色の芽の爪が
人間の指や毛髪にからみつき
驟雨が走り去ったある朝
だしぬけに花が開くのだ
乳白色と緑色の血液でつくられた
深紅の鐘形 人間の目にも見える鐘の


それから

海にむかって毛細血管のような
細い道
を歩き江戸時代からの床屋の裏をぬけると
相模の海がゆるやかにひろがっていて
伊豆半島までは見えるが
大島は春風ととともに水平線から消えて

濃紺の海が もうエメラルド・グリーンに
変ってしまって 変らないのは
人間だけかしら?
ぼくらの遠い先祖は海で生まれたというのに
海の言葉 桜貝のささやきが
聞きとれるのは
犬だけかもしれない

 1連目は、何の花か具体的にはわからないが(私にはわからないが)、花が開く様子を描いている。「乳白色と緑色の血液」は植物を描写する時、田村が何度もつかう表現である。
 春がきて、花が開いた。鐘の形の花である。
 そのときの花の内部の運動、土と花とのかかわりを、田村は1連目で書いている。ディラン・トマス、エリオットの詩と通い合うものを感じる。「緑色の導管」あるいは「四月は残酷な月」。
 田村独特な感じがするのは、1連目の最後の「音」である。その前の行からつづけて読むと、「人間の目にも見える鐘の/音」。「目に見える音」という感覚の融合、「肉眼」が聞いてしまう「音」に、田村の個性、「肉体」を感じる。
 1連目は、変ないい方になるかもしれないが、すでに知っている田村である。いままで田村の詩について書いてきた感想を書き換えなければならないようなもの、追加すべき感想があるとは、私には思えない。
 ところが、その後の連の展開がとても不思議である。2連目。たった1行。

それから

 この「それから」は何だろうか。なぜ、独立しているのだろうか。
 「それから」を独立させず、前後の1行あきを取り除くとどうなるのだろうか。
 「主語」の変化に、混乱する。
 1連目の「主語」は何の花かはわからないが、ともかく「花」だ。ところが、3連目は「花」ではない。「細い道/を歩き」ということばからわかるように、「ぼく」である。「ぼく」が細い道を歩き、海へ歩いているのだ。そして、海を見るのだ。
 もちろん1連目も「ぼく」が「主語」であり、そこには「ぼく」が見ている「花」(「ぼく」が見た「花」)が描かれていると言えるのだが、そのように考えた場合でも、その見ている対象が「花」から「海」へ動いていくその移動のきっかけが

それから

 というのが、さっぱりわからない。なぜ、それから?
 これは、たぶん、田村にもわからない。
 「花」について書いてしまった。もう、書くことはない。「それから」何を書くべきか。わからないので、中断する。きままに、ことばを離れ、散歩することにする。すると、再び、ことばが動きだす。
 「海にむかって毛細血管のような」の「毛細血管」には「乳白色と緑色の血液でつくられた」ということばが通ってきているし、「黒い土の下」の根(花の、草の、根)もつながっている。その細い根のような、「細い」道を歩いて海へ向かう。そのとき、ことばが動きだす。
 このとき、とても不思議なことばが田村の詩の全体を動かす。

江戸時代からの

 これは、単に道に面した床屋が「江戸時代」からつづいているといえばそれだけのことなのだろうけれど、こいういうときに、突然「江戸時代」がでてくるところに、田村の個性がある。
 「江戸時代」がでてくることで、この詩は、「花」の詩から、突然「時間」の詩へと転換するのである。「花」の描写も実は「時間」の描写だったということがわかるのである。「それから」は、「花」を描写したときにかすかにつかんだ「時間」の何かを、その「花」のなかだけではな表現できなくなって、別な次元で展開するための飛躍の、そして、その飛躍をつくりだすための「間」なのである。
 「花」は、芽から蕾、花へと変わる。そして、変わるけれど、その変わるということ自体は「時間」のなかでは変わらない。花の成長自体は「時間」のなかで繰り返される普遍である。「時間」のなかには、「かわるもの」と「かわらないもの」があり、それが同じように「間」をつくる。
 だが、それをどう「論理」として、展開できるだろうか。「哲学」として、他人と共有できる形で言語化できるだろうか……。
 田村は、それをうまく展開できない。「大島は春風とともに水平線から消えて」と中途半端にことばを終えて、もう一度、1行あきをもってくる。断絶を、「間」をもってきて、その断絶を乗り越えていくことばの力に頼る。

 ことばは中断する。
 「論理」のことばは、そこで終わるのだけれど、詩のことばは論理ではないから、その中断を乗り越えてあふれていくことができる。「間」をそれがなかったかのように乗り越えていくのが、詩、のことばである。

 「江戸時代」ということばとともに、田村は「時間」に触れる。「江戸時代」も抽象的といえば抽象的なのだが、そこに床屋という具体的なものが存在することによって、何か、具体的なもののように「肉体」に迫ってくる。その「肉体」のてざわりを頼りにして田村は、ことばを動かしているように感じられる。
 「時間」とともにかわるものと、かわらないものがある。
 人間は? 人間は、どんなふうにかわるのか。かわらないのか。
 人間は海から生まれた。海から変化をつづけて人間になった。その変化のなかの「時間」。そして、変化してしまったために、もう海のことばが聞きとれない。そのとき「時間」の「間」と、人間と海との断絶の「間」が重なっているのか、いないのか……。

 田村は、その「間」をぴったりと重ね合わせたいと願っている。「時間」によって押し広げられた「間」。それをどうやって解体すれば、「いま」と「太古」がぴったりと重なり、その瞬間に、たぶん人間は、もういちど生まれ変わることができる--そんな夢を、このことばの運動のなかに託している。



 「それから」という1行。どんな論理の展開も拒絶して、ただ飛躍するためだけの1行。ことばを論理にとじこめるのではなく、論理からあふれださせるための1行。
 田村はいつも、論理からあふれだしていくことばを書こうとしているようだ。
 矛盾→破壊というのも、何かをあふれださせるためである。「いのち」を、と、私はとりあえず呼んでおくのだけれど。



インド酔夢行 (1981年) (集英社文庫)
田村 隆一
集英社

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