詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

広岡曜子『冬のことづけ』

2012-07-28 10:33:59 | 詩集
広岡曜子『冬のことづけ』(水仁舎、2012年06月12日発行)

 広岡曜子『冬のことづけ』は父親の介護の日々をことばにしている。「庭」という作品に、相沢正一郎、粕谷栄市の詩で読んできた「繰り返し」につながるものがある。別の変奏がある。

庭は 外の世界との
ゆるやかなつながりだと読んだことがある

中庭の飛び石は
受け継がれてきた棕櫚竹の
かすかな葉ずれとともに

晴れた 秋の空に
つながっているのかも知れない

 「庭は外の世界とのゆるやかなつながり」というのは、家(内)と外(家以外、社会)とのことを指すのだと思う。「家(内)」が広岡の詩では省略されているのは、「家(内)」というものが広岡にはことばにする必要がないほど肉体に密着しているからである。肉体から分離できない。思想になっているからである。
 だから、

晴れた 秋の空に
つながっているのかも知れない

 というとき、それは単に「家(内)」が秋の空とつながるという意味ではない。秋の空を見つめる広岡の肉体そのものが、やはり秋の空とつながるのである。
 そして、この「つながり」というのは、線としてつながるのではない。「つながり」というより「一体」になるという感じである。区別がなくなる。自由に、そこを行き来する。「つながり」という場そのものに「私(広岡)」がなってしまうということである。
 私(広岡)の肉体から離脱し、同時にその離脱することが肉体である、という瞬間。
 そこは、また、新たな「つながり」の場、「つながり」の時間でもある。

父が一日中テレビの前に座って
自分の行く末を じっと案じていた椅子

もっと昔は
祖父祖母 父母 姉とが
日々の暮らしをしていた家

 「つながり」を広岡は、そこで発見する。いや、思い出す。
 「家(内)」が「外」につながっていると同時に、「家(内)」はさらに「内」とつながっている。「過去」とつながっている。そして「過去」というのは過ぎ去った時間ではなく、「いま/ここ」にある時間である。
 父が椅子に座っていた姿を思い出すとき、父はそこにいる。祖父母を思い出すとき、祖父母はそこにいる。「もっと昔」とことばでは言うことができるが、思い出すとき「昔」と「もっと昔」の隔たりはない。「つながり」の「距離」がない。「いま-昔-もっと昔」はひとつの時間のなかで凝縮している。
 「つながり」は「ひろがり」を意味することが多い。「つながる」は「ひろがる」である、ということは、たとえば、私と広岡がフェイスブック(ネット)で「つながる」ということは、私の交遊関係が「ひろがる」ということである。それは「空間の拡大」である。あるいは「自己拡大」という具合に言うことができるかもしれない。(鈴木志郎康なら「自己拡張」というかもしれない。)
 けれど、「時間」の場合、それは単純に「拡大/拡張」とは言えない。たしかに時系列を直線で図式化すれば、それは拡大というか延長線上に表記できるけれど、友達の輪のように、「あっち」と「こっち」という具合に肉体を運んで行って、その「ひろがり」を確認するようなことは、時間の場合できない。(タイムマシンがないので、いまのことろは。)時間がつながるということは、時間が「肉体」の内部で輻輳すること。同時に複数存在することだ。時間は一秒一秒過ぎ去っていくものだが、思い出すとき、それは「一秒以内(一秒よりも短い時間)」で「昔」も「もっと昔」も瞬時にあらわれ、「いま」と同時に存在してしまう。
 この不思議な「つながり」。
 これを広岡は、「祖父祖母 父母 姉」ということばで、さらりとつなぎとめる。把握する。

 「庭は外の世界とのつながりである」ということばを繰り返し、その文のなかから「つながり」を引き取り、その「つながり」を繰り返しにみせかけながら生き直す--そのときに、「つながり」が少し変化する。異質なものになる。それは広岡が意識的にやっているのではなく、広岡のいまの肉体が無意識にやってしまう必然というものなのだが、だからこそ、それがおもしろい。
 この異質性は、相沢が書いていた清少納言の「動詞」を繰り返しながら、その動詞に「現在」をつなげるときのおもしろさと、似ているけれど、少し違う。相沢の場合、そこには「頭脳」が入ってくる。つまり意識的だ。そういう意味で、まあ、清少納言的だ。
 広岡の場合、無意識である分、それは「個性」よりも深い部分--変な言い方だねえ、ほんとうはもっと別な言い方があるのだと思うけれど、いまは思いつかない--つまり、私たちの暮らしのようなものを潜り抜けて近づいている。
 簡単に言うと、あ、この世界は知っている、こういう暮らしがあったということを肉体に思い出させる形、そういう「普遍」(ありふれた日常)を通ってやってくる。
 まあ、そこが「庭」といえば、「庭」なのかもしれない。広岡を家(内)と仮定し、そのたの人々を外と仮定した場合。

 つまり。

その気配は
ふとしたときに色濃く私の前にあらわれては
また 何処かへ静まっていく

仏壇に
裏庭の満開のアベリアを切って供える
地味な白い花からは
むせかえるほどの芳香が満ちて

玄関先に立つ
人の気配がする

 「気配」。亡くなった人の気配。亡くなった人の霊が家に帰ってくる。自分の前にあらわれる。それは私(広岡)とその霊とに「つながり」があるからだ。「つながり」をたどって、そういうものがふっとやってくる。「気配」として。
 --この宗教観(?)は、広岡の個性ではない。むしろ日本の暮らしに根付いている「普遍」のようなものである。
 そういうものと交錯し、一体になる。
 1連目の「つながり」が3連目で少し変化し、そこからさらに変化して「先祖」へとつながる。家を此岸(内)、死後の世界を彼岸(外)と定義し直せば、まあ、そういうことになるのだが、こういう再定義なんて、ふつうはしない。しないまま、そういうことをつかみ取る具合にことばが動いていく。そして、その変化は、不思議なくらい「強引」という感じがしない。そういう部分が、広岡のことばの、たぶんいちばんおもしろいところだと思う。




落葉の杖
広岡 曜子
詩学社
コメント
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