詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

常木みふ子「壁画」、田原「風を抱く人」、平田俊子「こころ」

2014-12-19 10:55:07 | 現代詩年鑑2015(現代詩手帖12月号)を読む
常木みふ子「壁画」、田原「風を抱く人」、平田俊子「こころ」(「現代詩手帖」2014年12月号)

 常木みふ子「壁画」(初出『星の降る夜』3月)は文体が控え目だ。

サーミア・ハラビー 一九三六年生まれ
あなたは ニューヨーク在住の美術家
黒く太い眉を持つ アメリカ国籍のパレスチナ人
一九四八年まで 家族は代々エルサレムに住んでいた

 この書き出しには、何の特徴もないかもしれない。サーミア・ハラビーという美術家がニューヨークにいる。彼女は以前はパレスチナに住んでいた。「事実」だけがわかる。その「事実」は常木が自分で直接調べたものか、誰かが何かで紹介してることの要約なのかわからないが、「事実」として共有されていることがらであろう。
 常木は、まず、そういう「事実」を大切にして、そこからことばを動かしはじめる。「共有された事実」を「事実」として共有する。その姿勢が「控え目」で、ことばを落ち着かせている。
 ここから出発して、常木はサーミア・ハラビーの壁画を描写しはじめる。パレスチナのオリーブの巨木が描かれている。

私は オリーヴの
深く捩じれた太い幹と静かに向き合い
サーミアのうたう詩(うた)を聞く

オリーヴの樹の縦糸 サーミアの紡ぐ横糸
この豊穰の大地に
神より前に人は住み
降る星の下 人は睦み合った
うねる歴史の中の 人々の声が聞こえる
人々の魂に 深い皺となって刻まれる歳月と祈りを
サーミアは紡ぎ出す

 オリーブの木が描かれている。そこまでは「事実」。そこにサーミアのうたう詩がある(聞こえる/聞く)というは常木の感覚。印象。
 壁画がサーミアが書いた。そこにサーミアの思いが反映しているのは「事実」かどうか、かなかむずかしいけれど、一般的に作品にはその人の「思い」が反映していると考えていいと思う。「事実」から出発して、常木は「事実」になりきれていない(?)もの、「事実」として共有されていないもの(ことばになって共有されていないもの)を追い求めている。サーミアは何を思ってこの壁画を描いたのか。そこにはどんな思いがこめられているのか。
 そうして、常木はパレスチナの人を思い、歴史を思うのだが、このとき、サーミアの「思い」に常木が加わっていく。サーミアの絵を「縦糸」にして、常木のことばを「横糸」にして布を織るような感じ。組み合わさって「ひとつ」になる感じ。こういうとき「強い自己主張」は「織物」を壊してしまう。縦糸の強さに横糸の調子をあわせないといけない。そうしないと乱れる。
 常木は、だから、どこまでもサーミアの絵を壊さないように控え目にことばを動かす。この感じが、とてもいい。



 田原「風を抱く人」(初出『現代詩文庫・田原詩集』3月)は、「風を抱く人」の訃報に接したときのことを書いている。田原も、常木がサーミア・ハラビーに寄り添って控え目にことばを動かしたように、控え目なことばで「風を抱く人」を書きはじめるが、2連目から変化する。

中国からの小さな訃報は
異国のニュースの数十秒しか占めなかったが
私の心を震えさせた
背骨が熱くてまるで溶岩が噴出するようで
時間を引き裂く見えない手が
目の前で長くなるのを感じた

テレビを消して 窓を開け
空に大声を張り上げたかったが
声は喉に引っ掛かって死んでしまった
目を閉じた 二筋の熱い憤怒の涙が
黙々と流れ黄河と揚子江になった

 田原は自分の「肉体」のなかで起きたことを書く。自分の「事実」を書きはじめる。その「事実」のなかに、「背骨が熱くてまるで溶岩が噴出するよう」という、日本人には思いつかないようなことばが動く。日本語で書かれているが、これは「中国語」である。田原は中国人であるという「事実」が動いて、ことばになっている。次の「時間を引き裂く見えない手が/目の前で長くなるのを感じた」も強烈である。
 この田原のなかに存在する中国が「目を閉じた 二筋の熱い憤怒の涙が/黙々と流れ黄河と揚子江になった」という、私たちの知っている中国の「河/固有名詞」に還っていく。そして、そのとき田原は「風を抱く人」と「一体」になっていること、こころから追悼していることがわかる。そして、「大声を張り上げたかったが/声は喉に引っ掛かって死んでしまった」という人間に共通する「肉体」へと引き返してきて、私を感動させる。
 田原は日本人がニュースで伝えることを客観的な「事実」としてしか認識できないが、田原は「中国」そのものの悲しみとして「肉体」で感じているということがわかる。
 1連省略して、5連目。

彼はかつて黄河の北岸に昇ったわずかな紫色の日射しだ
世界は彼の光芒を浴びた
彼はかつて中国大地でゆらゆらと揺れた紫陽花だ
民衆は彼の芳香を嗅いだ

 「紫」がとても美しい。田原が「風を抱く人」を「紫」の色として見ていたことが、わかる。



 平田俊子「こころ」(「読売新聞」3月17日)は谷川俊太郎の『こころ』の「競作」? 

ある時はまなざし
ある時はゆびさき
また ある時はコップの水に
こころは隠れているのかもしれない

 そう思う。けれど、

こころというもの
ひとというもの
狡さ 儚さ
危うさというもの
こころを信じたいこころ
ひとのこころの温もりというもの

 と「概念」で「意味」を語られてしまうと、私のこころは離れてしまうなあ。
 ことばは「もの/こと」に寄り添うと、詩が生まれる。

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ことばを書こうとして、

2014-12-19 01:31:33 | 
ことばを書こうとして、

ことばを書こうとして、ことばが見つからず
握りつづけていた鉛筆が生ぬるくなってくる。

書いているときはことばがことばであることを忘れて書いているのに、
書けないときは、ことばがことばであることを忘れることができない。

ねっとり脂がにじんだ鉛筆をティッシュで拭いていると、
自慰をしながらの射精できないときのように頭がいらいらする。




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