くぼたのぞみ「ピンネシリから岬の街へ」、嶋岡晨「追悼 故片岡文雄に」、中神英子「あかつきの木」(「現代詩手帖」2014年12月号)
くぼたのぞみ「ピンネシリから岬の街へ JMCへ」(初出『記憶のゆきを踏んで』5月)。
うーん、私はつくづく「もの」を知らない。固有名詞がわからない。「ピンネシリ」は地名であるらしい。どこかの岬とつながっているらしい。「JMCへ」というのはきっと人の名前なんだろうけれど、見当がつかない。
イギリスのどこか? たしかサウサンプトンはイギリスあたりにありそう。
よくわからないが、くぼたは60年代、20代だったのだろうか。他人の60年代と自分の60年代を比較している。あるいはJMCにかわって60年代の青春を思い出しているのだろうか。
プロヴィンシャルということばも知らないが、地方と言いなおされているから、「地名」ではなく地方という意味なのだろう。そこから出て行くことを60年代の青春は思い描く。それは世界中で起きたこと--と書くならば、くぼたは「外国」にはいなくて、日本にいたということかな? 日本の地方にいて、どこかへ出て行くことを夢みていた。「ピンネシリ」から「岬の街」へ。
「アイヌモシリ」ということばから想像すると、北海道と縁のある土地のようだが。
くぼたは「地方」から出て行くのではなく、東京から北海道のどこかへ来たのか。北海道から東京へでて再び北海道へもどってきたのか。
たぶん、後者だろうなあ。
もどってきて、60年代の青春を思い出している。そういう詩なのだろう。そういう思い出に、エリオットやパウンドが紛れ込む。「地方」でも「東京」でもなく、「世界」が紛れ込む。60年代は青春は「世界」とつながっていたのだ。
いまでも、世界はどこでもつながっているだろう。青春はかけ離れた場所をまだ見ぬ「ふるさと」とすることができる。そういう特権を持っている。そんなことを思い出している詩なのかもしれない。
この詩の特徴は、そういう思い出というか、思い出を思い出すいまの感じを描くのに、やたらとカタカナをつかうことである。私はカタカナ難読症(正確に読めない、書けない)である。そのせいかもしれないが、くぼたの書いていることが、いま/ここから切り離されているように感じてしまう。カタカナのために。
ノスタルジーはセンチメンタルと同じように肉体に絡みついてくるようで気持ち悪いものが多いが、カタカナのせいで、私とは「無関係」という軽さで聞こえてくる。「ピンネシリ」がわからないせいもある。
「ピンネシリ」がわかり、ほかのカタカナのことばもわかる人には、逆に、精神(頭)にべったりとはりついてくる詩かもしれないなあ、とも思った。外国のカタカナ、その文体で世界へ出て行こうとした青春、それを生きた人には、まるで自分のことを書いているように見えるかもしれないなあ。
は、私なら、助詞を省かずに
と書くだろうなあ。「を」を省略すると「歌(歌謡曲)」のようにも感じられる。「意味」というより「声」を感じる。そこが、なんともべったりした感じなのだが、このべったりをカタカナが洗っていく。
と、私は感じるが。
カタカナに強いひとは、その「を」の省略のときの「声」の感じで、カタカナの音と意味を受け止めるかもしれない。
抽象的に書きすぎたかもしれない。
わからないことを書くと、どうしても抽象的になる。
*
嶋岡晨「追悼 故片岡文雄に」(初出『洪水』5月)。
具体的な思い出が書かれていない。かわりに、
という「哲学(思想)」が書かれている。びっくりしてしまった。びっくりしたまま読みつづけると、
追悼するかわりに、追悼を求めている。それくらい悲しい、ということなのだろうけれど、これではあまりにも「思考」が強すぎないか。
片岡のことはわからないが、嶋岡は、こんなふうにことばを「哲学」にしてしまのうが好きな詩人なのか、と思った。「意味」を考えれば、嶋岡が悲しんでいるとわかるけれど、追悼は「意味」でするものなのかなあ、と奇妙な疑問が浮かんだ。
一か所、「キリストの汗の一滴」ということばから、あ、片岡はキリスト教徒だったのか、と初めて知った。そこだけが「具体的」に見えた。「事実」が見えた。
*
中神英子「あかつきの木」(初出『群青のうた』5月)。初夏の、明け方の時間を書いている。その最後の連。
夢のなかで、夢なのに、「本物の夜」を見ている。それがおもしろい。現実よりも夢のなかに「本物」がある。
そうしてみると。
この視点から嶋岡の追悼詩を読み直してみると、どうなるだろう。
具体的な片岡の思い出よりも、片岡の死を思うときにふと浮かんできた「哲学(ことばの夢)」である数行、
ここに「本物」の片岡が「いる」ということになるのかもしれない。嶋岡は嶋岡自身の考えを書いているようにも見えるが、その考えには片岡の思考も紛れ込んでいる。片岡は死についてきっとこう考えるだろう、片岡の「本物」の考えが、このことばのなかに動いている、その「本物」の片岡と、嶋岡は詩を書きながら出会っている--そういう詩なのかもしれない。
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くぼたのぞみ「ピンネシリから岬の街へ JMCへ」(初出『記憶のゆきを踏んで』5月)。
うーん、私はつくづく「もの」を知らない。固有名詞がわからない。「ピンネシリ」は地名であるらしい。どこかの岬とつながっているらしい。「JMCへ」というのはきっと人の名前なんだろうけれど、見当がつかない。
ニアサランド製のサンダルはいた
爪の先から土埃はらい落とすように
男は 真夏の岬の街から船に乗り
赤道をひらりとまたぎ
降りた港はサウサンプトン
イギリスのどこか? たしかサウサンプトンはイギリスあたりにありそう。
植民地生まれのエリオットや
パウンドみたいに 住みついて
仕込んだファッション
ほら 岬の街に帰ってきた
髭をはやした23歳
黒いスーツにネクタイしめて
手にはこうもり傘と革鞄
プロヴィンシャルの 属国の田舎者
美しい風景を闊歩する
なあんだ
60年代は世界中どこも
そんな時代だったのか
ここから出て行く
閉じ込められずに
プロヴィンシャルとは
地方とは
そんな思いを募らせる場所
よくわからないが、くぼたは60年代、20代だったのだろうか。他人の60年代と自分の60年代を比較している。あるいはJMCにかわって60年代の青春を思い出しているのだろうか。
プロヴィンシャルということばも知らないが、地方と言いなおされているから、「地名」ではなく地方という意味なのだろう。そこから出て行くことを60年代の青春は思い描く。それは世界中で起きたこと--と書くならば、くぼたは「外国」にはいなくて、日本にいたということかな? 日本の地方にいて、どこかへ出て行くことを夢みていた。「ピンネシリ」から「岬の街」へ。
粉雪が舞い狂うピンネシリの
ふもとに広がる青い幕
その彼方へ
先住びとの邪魔をせずに
アイヌモシリのすみっこに
どろん
紛れさせていただけるかな
そんな祝祭はくるかこないか
tokyo の初冬から初夏へくるり反転
岬の街まで出かけていって
青い山から幾度も 幾度も
遠く離れて 考える
「アイヌモシリ」ということばから想像すると、北海道と縁のある土地のようだが。
くぼたは「地方」から出て行くのではなく、東京から北海道のどこかへ来たのか。北海道から東京へでて再び北海道へもどってきたのか。
たぶん、後者だろうなあ。
もどってきて、60年代の青春を思い出している。そういう詩なのだろう。そういう思い出に、エリオットやパウンドが紛れ込む。「地方」でも「東京」でもなく、「世界」が紛れ込む。60年代は青春は「世界」とつながっていたのだ。
いまでも、世界はどこでもつながっているだろう。青春はかけ離れた場所をまだ見ぬ「ふるさと」とすることができる。そういう特権を持っている。そんなことを思い出している詩なのかもしれない。
この詩の特徴は、そういう思い出というか、思い出を思い出すいまの感じを描くのに、やたらとカタカナをつかうことである。私はカタカナ難読症(正確に読めない、書けない)である。そのせいかもしれないが、くぼたの書いていることが、いま/ここから切り離されているように感じてしまう。カタカナのために。
ノスタルジーはセンチメンタルと同じように肉体に絡みついてくるようで気持ち悪いものが多いが、カタカナのせいで、私とは「無関係」という軽さで聞こえてくる。「ピンネシリ」がわからないせいもある。
「ピンネシリ」がわかり、ほかのカタカナのことばもわかる人には、逆に、精神(頭)にべったりとはりついてくる詩かもしれないなあ、とも思った。外国のカタカナ、その文体で世界へ出て行こうとした青春、それを生きた人には、まるで自分のことを書いているように見えるかもしれないなあ。
ニアサランド製のサンダルはいた
爪の先から土埃はらい落とすように
は、私なら、助詞を省かずに
ニアサランド製のサンダル「を」はいた
爪の先から土埃「を」はらい落とすように
と書くだろうなあ。「を」を省略すると「歌(歌謡曲)」のようにも感じられる。「意味」というより「声」を感じる。そこが、なんともべったりした感じなのだが、このべったりをカタカナが洗っていく。
と、私は感じるが。
カタカナに強いひとは、その「を」の省略のときの「声」の感じで、カタカナの音と意味を受け止めるかもしれない。
抽象的に書きすぎたかもしれない。
わからないことを書くと、どうしても抽象的になる。
*
嶋岡晨「追悼 故片岡文雄に」(初出『洪水』5月)。
具体的な思い出が書かれていない。かわりに、
齢(とし)も順序もわきまえず
才能のありなしにも会釈せず
死はてっていしたデモクラシー
という「哲学(思想)」が書かれている。びっくりしてしまった。びっくりしたまま読みつづけると、
おまえさんもキリストの汗の一滴なら
わたしの頬にしたたり 語り
つづけて人生の 脇腹のまっ赤な穴から
わたしへの悼(いた)みの声を もらしてくれ。
追悼するかわりに、追悼を求めている。それくらい悲しい、ということなのだろうけれど、これではあまりにも「思考」が強すぎないか。
片岡のことはわからないが、嶋岡は、こんなふうにことばを「哲学」にしてしまのうが好きな詩人なのか、と思った。「意味」を考えれば、嶋岡が悲しんでいるとわかるけれど、追悼は「意味」でするものなのかなあ、と奇妙な疑問が浮かんだ。
一か所、「キリストの汗の一滴」ということばから、あ、片岡はキリスト教徒だったのか、と初めて知った。そこだけが「具体的」に見えた。「事実」が見えた。
*
中神英子「あかつきの木」(初出『群青のうた』5月)。初夏の、明け方の時間を書いている。その最後の連。
誰かと無性に自分たちを問い合いたい奇妙な渇きのある
夜。どこかに深い深い群青の本物の夜が川になって流れて
いると思える夜。川はやがてその大きな木の元で夜明けの
光を帯びる。まだ、遠い。そこだけうっすらと朱に染まり、
枝枝を豊かに広げた黒い姿を見せるあかつきの木、です。
夢のなかで、夢なのに、「本物の夜」を見ている。それがおもしろい。現実よりも夢のなかに「本物」がある。
そうしてみると。
この視点から嶋岡の追悼詩を読み直してみると、どうなるだろう。
具体的な片岡の思い出よりも、片岡の死を思うときにふと浮かんできた「哲学(ことばの夢)」である数行、
齢も順序もわきまえず
才能のありなしにも会釈せず
死はてっていしたデモクラシー
ここに「本物」の片岡が「いる」ということになるのかもしれない。嶋岡は嶋岡自身の考えを書いているようにも見えるが、その考えには片岡の思考も紛れ込んでいる。片岡は死についてきっとこう考えるだろう、片岡の「本物」の考えが、このことばのなかに動いている、その「本物」の片岡と、嶋岡は詩を書きながら出会っている--そういう詩なのかもしれない。
影踏み―嶋岡晨詩集 | |
嶋岡 晨 | |
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谷川俊太郎の『こころ』を読む | |
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「谷川俊太郎の『こころ』を読む」はアマゾンでは入手しにくい状態が続いています。
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ご要望があれば、署名(宛名含む)もします。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」 | |
ヤニス・リッツォス | |
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