詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

深作欣二監督「仁義なき戦い」(★★★★★)

2014-12-21 13:34:52 | 映画
監督 深作欣二 出演 菅原文太、金子信雄、松方弘樹

 40年ぶり(?)に見た。あのときは年上の、一匹狼的なやくざに見えた菅原文太が、年下の純粋な男に見える。目が純粋だ。鯉の入れ墨を見せながらのセックスシーンは、うぶで、へたくそだ。最後の「弾はまだ残っている」という台詞がかっこいい。
 純粋、へたくそ、かっこいい--というのは、なんだかばらばらな感想だが、意外とそうではないのかもしれない。純粋だから(自分の気持ちしか考えていないから)、生き方がへたくそ(上手に相手をリードできない)、そしてそういうとき行為やことばに、抑えきれない激情があふれる。ほんとうは別なことがしたい。でも、いまはそうしないで、自分を抑制している。それは描かれることはない別の「事件」を予想させる。その予想を観客は生きる。妄想を予想(予感)のなかで暴走させ、カタルシスを自分の肉体のなかに抱え込む。
 そうすると。
 映画館を出るとき、まるで菅原文太になっている!
 何も「仁義なき戦い」だけがそうなのではなく、やくざ映画はたいていがそういうものなのだろうけれど。
 どこが、ほかのやくざ映画と違うのだろう。なぜ、40年前、夢中になり、いまもこの映画に夢中になるのか。
 映像が、特にはじまりの映像がドキュメンタリー風だからである。戦後の混乱した闇街(?)でちんぴらが暴れる。手持ちのカメラが、揺れながら、その動きを追う。この「カメラの演技」がすごい。まるで、その混乱のなかに引き込まれたような感じ。
 でも、これはあくまで「カメラの演技」。実際にその場にいたら、人間の視線はしっかり対象を見つめていて、ぶれることはない。走って逃げるとき、道路が(地平線)が揺れるわけではない。肉眼は揺れを自動修正してしまう。ところがカメラはこの自動修正がきかない。だから激しく揺れる。そんな「映像の揺れ」は肉眼(自分の目)では体験でできない。そのために、まるで、それを「他人の実感」として感じてしまう。映像を見ながら「他人」になってしまう。「他人になる」というより、「他人に乗っ取られる」といった方がいいかもしれない。「感情移入」するのではなく、役者の感情(感覚)が観客の感覚を乗っ取ってしまう。
 このとき菅原文太の純粋な目、透明な目の輝きが生きてくる。極道になりながら、自分は「純粋」だと信じることができる。純粋に友達のことを思い、やむにやまれず復讐する。それはう犯罪かもしれないが、そうしないことには自分の気持ち(純粋)を守れない。復讐しなければ、行為は「純粋」(無罪)でいられるかもしれないが、こころは「極道」になる。
 菅原文太は行動は「極道」でも、こころは「純粋」を守る。言ったことは実行する。「仁義」(親をいちばん大切にする)は守る。こころの「純粋」を貫けば貫くほど、周囲の「汚れ(精神の極道)」が次々に見えてくる。「ずるい」動きが見えてくる。
 この「ずるい動き」をカメラは「揺れず」、しっかりととらえる。カメラはそこでは演技をせずに、役者に演技をさせている。この対比もおもしろい。この対比が、映画に奥行きを与えているということがわかる。
 たとえば最初の殴り込みをかけようと相談しているとき、田中邦衛は、突然泣き出す。「女房が妊娠している。自分の身に何かがあったら、残される妻とこどもが心配だ」という。それを菅原文太は醒めた目で見ているが、そのときカメラは揺れない。あるいは、田中邦衛が松方弘樹の隠れているホテルを地図で示すとき、その示し方を見ながら菅原文太が気づく。警察に梅宮辰夫を売ったのは田中邦衛だと。このとき、カメラは揺れない。
 カメラが揺れる演技をするのは、あくまで「肉体」が激しく動いているときであって、こころは動いていない。こころは一途に思っていることを思いつづけている。カメラが静止しているとき、その映像のなかでは、こころが動いている。こころが何かを発見している。
 何度か、カメラが止まり、役者の動きも止まる瞬間がある。ある瞬間の断面が、流れる映像のまま固定され、字幕で人物が紹介される。あるいは、誰それが死んだ、ということが語られる。これは、いわば「客観的事実」。菅原文太の(あるいは、そこに登場している人物の)こころとは関係がない。その動かしがたい「事実」を途中途中にはさみこむことで、この映画は菅原文太のこころと行為を「主観」の強さのまま観客にぶつけてくる。
 「カメラの演技」を考え抜いた映画だ。カメラが演技する--ということを、この映画で私は初めて知ったのだと思う。いま、思い返すと。
              (2014年12月20日、「午前十時の映画祭」天神東宝6)



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三つ目の信号を、

2014-12-21 01:28:16 | 
三つ目の信号を、

三つ目の信号を、という文字の上に傍線を引き、交差点を三回渡ったときと書き直し、さらに横断歩道を三回渡ったと書き直そうとしたとき、

タンクローリーがクラクションを鳴らした。
交差点の東西南北が入れ代わりビルが脱皮する蛇のようになまめく。
裸のアメリカスズカケの梢がコンビニエンスストアの自動ドアのなかで逆立ちする。

三つ目の信号を、という文字の上に傍線を引き、交差点を三回渡ったときと書き直し、さらに横断歩道を三回渡ったと書き直そうとしたとき、

灰色のアスファルトの上にひかれた白い線の上に光が落ちてきて、
何のカギだろうか、複雑な輪郭をもった小さな金属を反射させた。その反射に誘われ、
角の花屋の黄色い花の色がすぐそばまでやってくる。
ことばは、その瞬間のカケラを書きたいと思う。

けれど、だれの目がそれを見たと書けばいいのだろう。そのあとにつづく惨劇を、だれに押しつければ、いちばん美しい空白ができるのだろう。歩いている人の足がとまり、まるい円を描くために集まってくる、その空白が。




*

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