詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ミック・ジャクソン監督「否定と肯定」(★★★)

2018-01-07 23:12:14 | 映画
監督 ミック・ジャクソン 出演 レイチェル・ワイズ、トム・ウィルキンソン、ティモシー・スポール

 ホロコーストはあったのかなかったのか、法廷で争う。ホロコースト否定論者を批判したことが「名誉棄損」にあたるという。なんだか、「論理」がよくわからない。それをさらに複雑にしているのがイギリスの裁判制度。イギリスでは、訴えられた方が「無罪の立証責任」を追う。ホロコーストがあったということ(歴史的に誰もが知っていること)を立証しなければならない。
 なんだ、これは。
 この過程で、まあ、イギリスらしいというか、さすがに「ことば、ことば、ことば」(ハムレット)の国だけあって、ほんとうに「ことば、ことば、ことば」(論理、論理、論理)の展開なのである。
 イギリス人はめんどうくさい、と思う半面、何がなんでも「ことば」で決着をつけようとするところが、うーん、すごい、とも思う。

 実は。
 この映画を見る前に、松井久子監督「不思議のクニの憲法2018」という映画の撮影があり(我が家で、私が松井監督からインタビューされた)、私の思っていることを語ったのだが、「語る」のはとても難しい。
 書くときは、書くスピードがことばを抑制する。文字をみながらことばを反芻する。でも、語るときは反芻できない。書きながら考えることができる。私は早口のせいもあるが、話しながら考えることができない。
 「ことば」が「論理」にならない。
 「声(ことば)」に考えを託し、「論理」でひとを説得するのは、かなり訓練がいるぞと思ったばかりなので、法廷の「攻防」に、何とも言えないものを感じた。
 感情のままに語るのではなく、時には感情を否定して、「論理」にする。「論理」になったものだけが「事実」としてひとに共有される。こういうことをイギリス人は日常的ではないかもしれないが、常に訓練しているのだと思い、びっくりした。
 「ことば」として「共有」されないものは存在しない。それがイギリス人の「肉体」になっている。「思想」になってしみついている。イギリス人のひとりひとりがシェークスピアなのだ。
 イギリスの法廷に引っ張りだされるレイチェル・ワイズが「感情型」のアメリカ人(ユダヤ人)なので、「ことば」と「論理」と「事実」のつかみ方が違っていて、それがさらにイギリス特有の「ことば」感覚を浮き彫りにしていて、ストーリーの展開よりも、はるかにスリリングなのである。

 それにしても。
 今回の映画に限らず、最近はヒトラーに関係する映画が多い。ネオナチなど、「極右」の動きがヨーロッパで活発になっていることが影響しているのかもしれない。このままではヒトラーが生まれてくる。そういう不安が、ヒトラーがどういう人間だったのか、ヒトラーと人々はどう闘ってきたのか、その目的はなんだったのかということを問い直そうとしているのかもしれない。
 日本には「戦争映画」が皆無というわけではないが、戦争への「反省」を踏まえての映画、日本人は戦争とどう向き合ってきたか、「抵抗」を描いたものが少ないと思う。「権力」とどう闘ってきたか、という「歴史」を継承する作品が少ないと思う。
 こういう「反省」のなさも、安倍の「独裁」を暴走させているかもしれない。日本人は権力に「抵抗する」という訓練ができていないのかもしれない。「権力」の思いを「忖度」する訓練ばかりしているのかもしれない。

 話はごちゃごちゃになるが。
 「不思議のクニの憲法2018」は2月3日から上映される。機会があれば、ぜひ、映画を見て憲法について考えてみてください。
 安倍の狙いとおりに改憲されると、国民は戦場に駆り立てられ、そこで死に、「御霊」と呼ばれることになる。
(KBCシネマ1、2018年01月07日)



 *

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天皇の言葉(天皇を沈黙させる安倍)

2018-01-07 16:20:56 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇の言葉(天皇を沈黙させる安倍)
             自民党憲法改正草案を読む/番外163(情報の読み方)

 古い記事だが……。
 2017年12月30日読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。

90年慮泰愚氏来日/「痛惜の年」陛下意向/日韓の歴史「気持ち伝えたい」

 本文は、こう書いてある。

  天皇陛下が1990年、当時の盧泰愚(ノテウ)・韓国大統領を迎えた宮中晩餐会のお言葉で、日韓の歴史に言及しながら表明された「痛惜の念」は、陛下のお気持ちをくみ、政府が盛り込んだ表現だったことがわかった。当時の首相海部俊樹氏(86)が読売新聞の取材に明らかにした。このお言葉は、昭和天皇が84年に伝えた「遺憾」よりも、踏み込んだ表現を求めていた韓国側に高く評価されたが、政府は内閣で調整したという説明にとどめていた。

 天皇の言葉「痛惜の年」そのものについては、私は特に感想をもたない。注目したのは、

「痛惜の念」は、陛下のお気持ちをくみ、政府が盛り込んだ表現だった

 この一文である。「天皇の言葉」は天皇だけで書いているのではない。註釈に、書いてある。

〈お言葉〉天皇や皇族が公に発信する言葉を指す。天皇が宮中晩餐会や全国戦没者追悼式などでお言葉を述べるのは、憲法に規定された「国事行為」ではなく、象徴の地位に基づいて公的な立場で行う「公的行為」に分類される。お言葉は天皇の意思だけでなく、国民の期待も考慮して作成され、その内容について内閣が責任を負う。

 ここで注目するのは、

お言葉は天皇の意思だけでなく、国民の期待も考慮して作成され、その内容について内閣が責任を負う

 である。
 「お言葉は天皇の意思だけでなく」「その内容について内閣が責任を負う」で思い出すのは、2016年の「生前退位意向」が明らかになった後の「天皇の言葉」である。8月8日に、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を天皇はビデオメッセージとして発表している。
 あれもまた、天皇が独自に書いたものではない、と言えるだろ。
 このことは「天皇の悲鳴」に書いた。
 ビデオメッセージには、とても不自然なことばがある。天皇なのに「申す」という動詞をつかっている。「思います」「考えます」で十分なのに「思われます」「考えられます」と婉曲的に言っている。
 なぜか。
 その部分には「内閣(安倍)」からの「圧力」があったのだ。「圧力」があったために、天皇のことばは歪んでいるのだ。
 そういうことを、私は「推測」として書いた。
 90年の盧泰愚来日時のことばが、天皇と内閣との「交渉」の結果「成文化」されたものであるなら、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」もまた天皇と内閣(安倍)の交渉の結果、成文化されたのだろう。そのことが「間接的」に証明されたといえるだろう。
 2017年の「新年のおことば」は高齢の天皇に配慮して、負担にならないよう「中止」ということだったが、これもまた「配慮」というより、天皇と内閣(安倍)の交渉の結果だろう。2016年末、安倍はパールハーバーを慰問している。そのときスピーチをしている。そのスピーチをつくるのに安倍側が忙しくて、天皇の「新年のおことば」を「調整」している時間がなかったのだ。だから、「中止させた」のだ。
 安倍が「天皇を沈黙させた」のだ。

 安倍は、天皇を「抹殺」しようとしている。「生きたまま」の「抹殺」。それが「生前退位」である。
 天皇さえ「沈黙している」、国民は天皇を見習い「沈黙しろ」。
 これが安倍の「独裁」の主張だ。
 憲法を改正し、戦争を引き起し、国民を戦場におくりこみ、「御霊」にする。つまり「戦死させる」。そのために、「護憲派天皇」がいては困るのだ。

 こういうことを「推理・分析」したのが「天皇の悲鳴」である。天皇のことば、皇后のことば、安倍のことばを比較し、同時に報道された「政局」の細部のニュースから、そういうことを浮かび上がらせている。
 自分で書くと「自画自賛」になってしまうが、読んだひとの間で評判になっている。オンデマンド出版なので、アマゾンや一般書店では買えません。
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