福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』(港の人、2018年1月11日発行)
私は詩の好き嫌いが激しい。
福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』は、最初の詩でつまずいた。「ふりわけられし水」というタイトルから嫌いである。「ふりわけられし水」の「し」って何なのだ。こんなことばを、いま、福田はつかっているか。つかっていないだろう。たぶん詩だからつかったのだろう。つまり福田にとっては「ふりわけられし」の「し」が詩なのだ。
この「し」は作品の最後に出てくる。そして、そのうえでだめ押しの「詩」が追加されている。
福田は「エートス」ということばを知っている。「ふりわけられし」の「し」と同じように知っている。そしてつかっている。同時に「エートス」については、読者がそのことばを知らないということも知っている。だから註釈をつけている。
ここが、私は大嫌い。
知らないことばをつかうひとを、私はうさんくさいと思ってみている。しかし、つかうならつかうでかまわないと思っている。ほんとうにそのことばしかないのなら、それをつかうしかない。ただし、そんなふうにしてつかわなければならないことば、大事なことばなら、それは必ず言いなおされるはずだ。その「言い直し」に触れることで、「知らないことば」の何かがわかるはずだ。
福田は「言い直し」をどう展開しているか。
この直前の連が、実は「先取り」の「言い直し」である。こう書いている。
「水」の「輪廻転生」、その変化が描かれている。
つまり、福田は「言いなおす」というよりも、あることがらを逆に「要約」する形で「エートス」という普通の人が知らないことば(知らないだろうと福田が判断していることば)をつかったのである。
あなた方は知らないだろうけれど、こういうことを「エートス」と言うのですよ、というわけだ。
ぎょっとするねえ。
詩とはもともと完全に個人的なことば。何語にも翻訳できないことば。「日本語」に見えるが、実は「福田語」としかいえないものが詩だろう。それは、誰も知らないことばに決まっている。だからこそ、それに価値がある。そして、誰も知らないオリジナル言語(福田語)であるからこそ、何度もそれを言いなおすことで、読者と共有できるものにする。それが「詩作法」というものだろう。
福田は、しかし、こういう方法をとらない。
いくつかのことばの運動を展開したあとで、それを「要約」する。しかも、その「要約」に読者の知らないことば(なじみのないことば)を持ってきた上で、そのことばに註釈をつける。
これは「解釈」の押し付けであると同時に「手抜き」である。言いたいことを言うために、よそからことばを借りてきて代弁させている。他人のことばに頼っている。「福田語」を生み出すことをやめてている。
また、詩は作者のもの、作者が「意図」したとおりに読まなければならないという意識が生み出した「暴力」であるとも言える。
こういう詩に対しては、私は語りふるされたことばで対抗したい。「美しい」ことを「美しい」ということばをつかわずに書くのが詩。言い換えると「エートス」を「エートス」ということばをつかわずに書くのが詩。「エートス」ということばをつかい、それに註釈までつけくわえるのは、詩ではなく、手抜きの解説文。いわゆる「あんちょこ」である。
受験勉強をしたいわけではないのだから(どこかを受験するのではないのだから)、詩のことばは、完全に解放されていないといけないと私は考えている。
詩集の後半、「入り江から」の作品群のなかにはとても興味深いものがあるのだが、最初の作品でいやな気持ちになったので、感想は省略。いまは、書く気持ちになれない。
*
「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか12月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112 中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
ここをクリックし、「製本の注文はこちら」のボタンを押してください。
私は詩の好き嫌いが激しい。
福田知子『あけやらぬ みずのゆめ』は、最初の詩でつまずいた。「ふりわけられし水」というタイトルから嫌いである。「ふりわけられし水」の「し」って何なのだ。こんなことばを、いま、福田はつかっているか。つかっていないだろう。たぶん詩だからつかったのだろう。つまり福田にとっては「ふりわけられし」の「し」が詩なのだ。
この「し」は作品の最後に出てくる。そして、そのうえでだめ押しの「詩」が追加されている。
どこにいくのだろう
私たちのはかないゆめ
ふりわけられし水
の エートス*は
*エートスethos
ここでは出発点、出現の意。あるいは芸術作品における気品。Ethos はギリシャ語で
本来「いつもの場所」を意味し、一般的に習慣、特性を意味する。
福田は「エートス」ということばを知っている。「ふりわけられし」の「し」と同じように知っている。そしてつかっている。同時に「エートス」については、読者がそのことばを知らないということも知っている。だから註釈をつけている。
ここが、私は大嫌い。
知らないことばをつかうひとを、私はうさんくさいと思ってみている。しかし、つかうならつかうでかまわないと思っている。ほんとうにそのことばしかないのなら、それをつかうしかない。ただし、そんなふうにしてつかわなければならないことば、大事なことばなら、それは必ず言いなおされるはずだ。その「言い直し」に触れることで、「知らないことば」の何かがわかるはずだ。
福田は「言い直し」をどう展開しているか。
この直前の連が、実は「先取り」の「言い直し」である。こう書いている。
放たれた、毀(こぼ)たれた、最期はいつも
見えないものに触れている
夢は陽炎となって天空にのぼり
急速に冷気に晒されて液体となる
陽炎の雨は天空にとどまり
六層の水にふりわけられる
「水」の「輪廻転生」、その変化が描かれている。
つまり、福田は「言いなおす」というよりも、あることがらを逆に「要約」する形で「エートス」という普通の人が知らないことば(知らないだろうと福田が判断していることば)をつかったのである。
あなた方は知らないだろうけれど、こういうことを「エートス」と言うのですよ、というわけだ。
ぎょっとするねえ。
詩とはもともと完全に個人的なことば。何語にも翻訳できないことば。「日本語」に見えるが、実は「福田語」としかいえないものが詩だろう。それは、誰も知らないことばに決まっている。だからこそ、それに価値がある。そして、誰も知らないオリジナル言語(福田語)であるからこそ、何度もそれを言いなおすことで、読者と共有できるものにする。それが「詩作法」というものだろう。
福田は、しかし、こういう方法をとらない。
いくつかのことばの運動を展開したあとで、それを「要約」する。しかも、その「要約」に読者の知らないことば(なじみのないことば)を持ってきた上で、そのことばに註釈をつける。
これは「解釈」の押し付けであると同時に「手抜き」である。言いたいことを言うために、よそからことばを借りてきて代弁させている。他人のことばに頼っている。「福田語」を生み出すことをやめてている。
また、詩は作者のもの、作者が「意図」したとおりに読まなければならないという意識が生み出した「暴力」であるとも言える。
こういう詩に対しては、私は語りふるされたことばで対抗したい。「美しい」ことを「美しい」ということばをつかわずに書くのが詩。言い換えると「エートス」を「エートス」ということばをつかわずに書くのが詩。「エートス」ということばをつかい、それに註釈までつけくわえるのは、詩ではなく、手抜きの解説文。いわゆる「あんちょこ」である。
受験勉強をしたいわけではないのだから(どこかを受験するのではないのだから)、詩のことばは、完全に解放されていないといけないと私は考えている。
詩集の後半、「入り江から」の作品群のなかにはとても興味深いものがあるのだが、最初の作品でいやな気持ちになったので、感想は省略。いまは、書く気持ちになれない。
*
「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか12月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112 中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
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