監督 エリック・ポッペ イェスパー・クリステンセン、アンドレス・バースモ・クリスティアンセン
ナチスが「中立国」ノルウェーに侵攻する。降伏を迫る。それに対して当時の国王がどう向き合い、どう判断したか。その三日間を描いている。
結果的にいうと、国王は降伏を拒む。その結果、ナチスはさらに侵攻し、最終的には国王はイギリスに亡命、ノルウェーは降伏する。解放は第二次大戦の終結を待たなければならなかった。見方によっては、国王の決断がノルウェーの戦争被害を拡大したといえるかもしれない。戦力的に圧倒的に劣り、勝てる見込みがないのだから。
でも、その国王の判断は国民から支持された。戦後、亡命先のイギリスから帰国し、再び王の位に就いたし、皇太子もそのあとを継いだ。いまは孫が王になっている。
何が支持されたのか。なぜ、国王が慕われたのかが、この映画のポイントだ。
王であるけれど、民主主義を貫いた、ということにつきる。自分は国民に選ばれた王である。国民が自分を支持してくれているのだからヒトラーの要求にしたがうわけにはいかない。その主張はまた、民主主義そのものへの「信頼」を語ることでもある。この民主主義について語る部分は、非常にすばらしい。力がみなぎっている。いま世界各地で極右勢力が台頭しつつあるが、それに対する「抵抗」がこのシーンにはこめられているかもしれない。
ということを書き始めると、あまりおもしろくなくなるなあ。「意味/意義」は「意味/意義」として、わきにおいておいて。
登場人物の「人間」の描き方が、なかなかおもしろい。国王は「腰痛」を抱えている。だから腰を折って、膝を抱えるような姿勢で痛みをこらえる。そういう不格好な姿も丁寧に描いている。人が来ればきちんとした姿勢をとるために苦労する姿も描いている。毅然とした態度しか人には見せないが、その毅然の背後に誰にでも起こりうる苦痛を抱えている。「精神」ではなく、「肉体」として、それを描いている。空爆から森へ逃げるときの右往左往も、ひとりの人間として描いている。最初は国王を守ろうとしている人がすぐそばにいるが、だんだんばらばらになる。森にたどりついたころには、国王のまわりには側近はいない。ひとは誰でも、それぞれが自分のいのちを守る。そういうことが「自然」に描かれている。
逃げ込んだ森の中のシーンでは、幼い子供が木の影でうずくまっているのを見つけ、助けようとする(力づけようとする)エピソードがとてもいい。王は子供をかばう。空爆の合間に、母親が子供の名前を呼びながら子供を探している。母親の声を聞くと、子供は王の手を振りほどき、母親の方へかけだす。親子がしっかり抱きしめあう。それを王は、じっと見ている。家族がいっしょに生きているその「幸福」をあらためて実感している。王であることを忘れて、あるいは王であることを思い出して、かもしれない。王である、王でない、という区別がなくなり、「人間」として迫ってくる。国王は国王であるがゆえに、家族がいっしょにいられない。その決断をしたばかりなので、その親子の姿が胸に響くのだが、このシーンはなかなかおもしろい。
一方で、ドイツ側の外交官の苦悩も丁寧に描いている。彼にも家族がある。妻がいて、子供がいる。家族を守りたい、家族といっしょにいたい。その気持ちが、ナチスによって邪魔される。仕事と家族との間で、苦悩し、苦悩を抱えたまま国王との交渉に当たる。このあたりの、なんというか、サラリーマンっぽい揺らぎが、気弱で、貧弱な(?)人相と相まって、簡単に拒絶できない。ドイツ人(悪)だから、どうなってもいいという感じにはならない。こういうドイツ人の描き方には、ノルウェー人の「度量」の大きさのようなものを感じた。
生きているのは、いつでも「ひとりの人間」という視点が、映画全体を支えている。それがあって、国王の「民主主義」への信頼のスピーチが強く響く。
(KBCシネマ1、2018年1月14日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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ナチスが「中立国」ノルウェーに侵攻する。降伏を迫る。それに対して当時の国王がどう向き合い、どう判断したか。その三日間を描いている。
結果的にいうと、国王は降伏を拒む。その結果、ナチスはさらに侵攻し、最終的には国王はイギリスに亡命、ノルウェーは降伏する。解放は第二次大戦の終結を待たなければならなかった。見方によっては、国王の決断がノルウェーの戦争被害を拡大したといえるかもしれない。戦力的に圧倒的に劣り、勝てる見込みがないのだから。
でも、その国王の判断は国民から支持された。戦後、亡命先のイギリスから帰国し、再び王の位に就いたし、皇太子もそのあとを継いだ。いまは孫が王になっている。
何が支持されたのか。なぜ、国王が慕われたのかが、この映画のポイントだ。
王であるけれど、民主主義を貫いた、ということにつきる。自分は国民に選ばれた王である。国民が自分を支持してくれているのだからヒトラーの要求にしたがうわけにはいかない。その主張はまた、民主主義そのものへの「信頼」を語ることでもある。この民主主義について語る部分は、非常にすばらしい。力がみなぎっている。いま世界各地で極右勢力が台頭しつつあるが、それに対する「抵抗」がこのシーンにはこめられているかもしれない。
ということを書き始めると、あまりおもしろくなくなるなあ。「意味/意義」は「意味/意義」として、わきにおいておいて。
登場人物の「人間」の描き方が、なかなかおもしろい。国王は「腰痛」を抱えている。だから腰を折って、膝を抱えるような姿勢で痛みをこらえる。そういう不格好な姿も丁寧に描いている。人が来ればきちんとした姿勢をとるために苦労する姿も描いている。毅然とした態度しか人には見せないが、その毅然の背後に誰にでも起こりうる苦痛を抱えている。「精神」ではなく、「肉体」として、それを描いている。空爆から森へ逃げるときの右往左往も、ひとりの人間として描いている。最初は国王を守ろうとしている人がすぐそばにいるが、だんだんばらばらになる。森にたどりついたころには、国王のまわりには側近はいない。ひとは誰でも、それぞれが自分のいのちを守る。そういうことが「自然」に描かれている。
逃げ込んだ森の中のシーンでは、幼い子供が木の影でうずくまっているのを見つけ、助けようとする(力づけようとする)エピソードがとてもいい。王は子供をかばう。空爆の合間に、母親が子供の名前を呼びながら子供を探している。母親の声を聞くと、子供は王の手を振りほどき、母親の方へかけだす。親子がしっかり抱きしめあう。それを王は、じっと見ている。家族がいっしょに生きているその「幸福」をあらためて実感している。王であることを忘れて、あるいは王であることを思い出して、かもしれない。王である、王でない、という区別がなくなり、「人間」として迫ってくる。国王は国王であるがゆえに、家族がいっしょにいられない。その決断をしたばかりなので、その親子の姿が胸に響くのだが、このシーンはなかなかおもしろい。
一方で、ドイツ側の外交官の苦悩も丁寧に描いている。彼にも家族がある。妻がいて、子供がいる。家族を守りたい、家族といっしょにいたい。その気持ちが、ナチスによって邪魔される。仕事と家族との間で、苦悩し、苦悩を抱えたまま国王との交渉に当たる。このあたりの、なんというか、サラリーマンっぽい揺らぎが、気弱で、貧弱な(?)人相と相まって、簡単に拒絶できない。ドイツ人(悪)だから、どうなってもいいという感じにはならない。こういうドイツ人の描き方には、ノルウェー人の「度量」の大きさのようなものを感じた。
生きているのは、いつでも「ひとりの人間」という視点が、映画全体を支えている。それがあって、国王の「民主主義」への信頼のスピーチが強く響く。
(KBCシネマ1、2018年1月14日)
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