谷川俊太郎「詩の鳥」(「現代詩手帖」1月号)
谷川俊太郎「詩の鳥」。不機嫌なのかなあ。
「詩でも書くしかない新年だ」と書いているが、発表が「新年」(実際は年末、新年は雑誌の名目)であって、それに間に合わせるために「旧年」のうちに書かれたもの。
「書く」というよりも「読む」方に重点が移動している。
ここが、読み落としてはいけないポイントだと思う。
「書く」ではなく「読む」に重点が移動しているのは、つづく行を読めばあきらかになる。
「言葉は……」から「……悪臭紛々」までは、流通している「詩」を読んだ谷川の感想である。
そういう「詩」しかないから、自分で「詩でも書くしかない」と言っているのだろう。「だが待った!」という行をはさみ、ここから「書く」に移動していく。「詩でも書くしかない」と書いているときの「詩」の定義のようなものが展開される。
というのは、谷川の詩そのものを思わせる。「詩の鳥」とは谷川自身のことになる。だからこそ、それが「書く」という動詞といっしょに動くことになる。「言葉の出自がいささか違う」というのは自負だろう。
で、そのあと、最後の四行はどうだろう。
これは谷川の「自画像」? 読者からは、そうみられているかもしれないなあ、という不安?
では、
うーん、これは「詩の鳥」をあなたは見つけられるかと問いかけられている気がする。「詩の鳥」を見つけたら、ひとは「どうする?」と問われるまでもなく、感動する。感動して、そのあと何をするかはわからない。でも、まず感動するということが起きるはずである。そのあと何をするかわからないというのは、感動とは自分が自分でなくなることだからである。そのあと何をするかまでは、だれもわからない。
それが詩。
だから、ここでは「どうする?」と問われているのではなく、「見つけられるか」と問われているのである。
谷川は「詩を書く」。年が改まっても(新年になっても)、それしかできない、と宣言している。そのうえで、谷川の詩が大繁盛の詩とはどこが違うのか、その違いを「見つけられるか」「見分けられるか」と問いかけている。この問いは、一般の読者ではなく、「詩を書く読者」に向けての厳しい問いかけである。
うーむ。どう答えよう。
私は、私の書いてきたことが、私の「見つけた」ものであると答えるしかない。
(1)一行目の「書く」という動詞は、「読む」という動詞(体験)を踏まえたことばであり、「書く」と書きながら意識を「読む」に転換する「書き方」に詩を見つけた。
(2)最後の「見つけたら」「どうする?」という問いは、「見つけられるか」ということを間接的に言いなおしたものである。その「言い直し」の「間接性」に詩を見つけた。この「間接性」は、「コケ嚇しに空威張り」というような直接的な(露骨な?)批判のことばの裏返しの「態度」である。
(3)この詩の中では、「書くと読む」、「直接性と間接性」が入れ替わるように動いている。「見つけたら」「どうする?」という間接的な問いは、「見つけられるか」という直接的な批判でもある。
とても入り組んでいる。その「入り組み方」に私は、谷川の「不機嫌」を感じた。
「旧年」に書かれたこの詩はこの詩として、私は「新年」になってから書いた谷川の詩を読みたい。
*
「詩はどこにあるか」11月の詩の批評を一冊にまとめました。
(12月号は、いま制作中です。完成次第、お知らせします。)
詩はどこにあるか11月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
目次
カニエ・ナハ『IC』2 たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15 夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21 野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34 藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40 星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53 狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63 新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74 松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83 吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91 清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
*
詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
ここをクリックし、「製本の注文はこちら」のボタンを押してください。
谷川俊太郎「詩の鳥」。不機嫌なのかなあ。
詩でも書くしかない新年だ
言葉は紙上の市場で
天使のいない雲の中で
あれやこれやの大繁盛だが
コケ嚇しに空威張り
でなきゃ泣き言ホラ話
思想観念主義主張
言葉の掃き溜め悪臭紛々
だが待った!
そこに降り立つ〈詩の鳥〉一羽
火の鳥ほどのパワーはないが
生まれは宇宙育ちは地球
言葉の出自がいささか違う
アジプロを拒み抒情に流れず
魂の奥の奥から生まれる言葉を
おずおずと差し出す優雅……
と言いたいのは山々だが
詩の鳥の群れは言葉の森で
鳴かず飛ばずの毎日らしい
一羽でも詩の鳥を見つけたら
あなた どうする?
「詩でも書くしかない新年だ」と書いているが、発表が「新年」(実際は年末、新年は雑誌の名目)であって、それに間に合わせるために「旧年」のうちに書かれたもの。
「書く」というよりも「読む」方に重点が移動している。
ここが、読み落としてはいけないポイントだと思う。
「書く」ではなく「読む」に重点が移動しているのは、つづく行を読めばあきらかになる。
「言葉は……」から「……悪臭紛々」までは、流通している「詩」を読んだ谷川の感想である。
そういう「詩」しかないから、自分で「詩でも書くしかない」と言っているのだろう。「だが待った!」という行をはさみ、ここから「書く」に移動していく。「詩でも書くしかない」と書いているときの「詩」の定義のようなものが展開される。
生まれは宇宙育ちは地球
というのは、谷川の詩そのものを思わせる。「詩の鳥」とは谷川自身のことになる。だからこそ、それが「書く」という動詞といっしょに動くことになる。「言葉の出自がいささか違う」というのは自負だろう。
で、そのあと、最後の四行はどうだろう。
詩の鳥の群れは言葉の森で
鳴かず飛ばずの毎日らしい
これは谷川の「自画像」? 読者からは、そうみられているかもしれないなあ、という不安?
では、
一羽でも詩の鳥を見つけたら
あなた どうする?
うーん、これは「詩の鳥」をあなたは見つけられるかと問いかけられている気がする。「詩の鳥」を見つけたら、ひとは「どうする?」と問われるまでもなく、感動する。感動して、そのあと何をするかはわからない。でも、まず感動するということが起きるはずである。そのあと何をするかわからないというのは、感動とは自分が自分でなくなることだからである。そのあと何をするかまでは、だれもわからない。
それが詩。
だから、ここでは「どうする?」と問われているのではなく、「見つけられるか」と問われているのである。
谷川は「詩を書く」。年が改まっても(新年になっても)、それしかできない、と宣言している。そのうえで、谷川の詩が大繁盛の詩とはどこが違うのか、その違いを「見つけられるか」「見分けられるか」と問いかけている。この問いは、一般の読者ではなく、「詩を書く読者」に向けての厳しい問いかけである。
うーむ。どう答えよう。
私は、私の書いてきたことが、私の「見つけた」ものであると答えるしかない。
(1)一行目の「書く」という動詞は、「読む」という動詞(体験)を踏まえたことばであり、「書く」と書きながら意識を「読む」に転換する「書き方」に詩を見つけた。
(2)最後の「見つけたら」「どうする?」という問いは、「見つけられるか」ということを間接的に言いなおしたものである。その「言い直し」の「間接性」に詩を見つけた。この「間接性」は、「コケ嚇しに空威張り」というような直接的な(露骨な?)批判のことばの裏返しの「態度」である。
(3)この詩の中では、「書くと読む」、「直接性と間接性」が入れ替わるように動いている。「見つけたら」「どうする?」という間接的な問いは、「見つけられるか」という直接的な批判でもある。
とても入り組んでいる。その「入り組み方」に私は、谷川の「不機嫌」を感じた。
「旧年」に書かれたこの詩はこの詩として、私は「新年」になってから書いた谷川の詩を読みたい。
現代詩手帖 2018年 01 月号 [雑誌] | |
クリエーター情報なし | |
思潮社 |
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「詩はどこにあるか」11月の詩の批評を一冊にまとめました。
(12月号は、いま制作中です。完成次第、お知らせします。)
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オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
目次
カニエ・ナハ『IC』2 たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15 夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21 野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34 藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40 星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53 狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63 新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74 松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83 吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91 清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
*
詩集『誤読』を発売しています。
1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
オンデマンド形式なので、注文からお手もとに届くまでに約1週間かかります。
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