詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

植村初子『SONG BOOK』

2018-01-22 08:43:58 | 詩集
植村初子『SONG BOOK』(土曜美術社出版販売、2017年12月25日発行)

 植村初子『SONG BOOK』は「物語(意味)」を展開する詩が書きたいのかもしれないが。
 私が読んでいて楽しいのは、たとえば「ねむれない夜のために」次のような部分。

まよなかに ねむれなくて
ほこりをみて いることがあるでしょう
電気スタンドに 吸われたり
吐きだされたりする ほこり       

 埃を見てる。けれど、電気スタンドを見ているかもしれない。吸ったり、吐いたりしている。それは植村かもしれない。「それ」というのは、電気スタンドであり、埃。区別がなくなる。

身じろぎすると それらがわきたち
むらがり
ひとつのほこりは ゆっくりせんかい
ひとつはなだれて くだったり上昇したり
光をのせて いるので
そんなものを みていたりするでしょう

 「身じろぎする」という植村の「肉体」が小さなものに響いている。埃の動きは植村の動きなのである。植村の肉体の中で何かが動いている。それが埃に反映している。光にも反映している。
 とりあえず「ほこり」と読んでいるが、「ほこり」ではなく、途中に出てくる「それら」。そのことばこそが植村の見ているものを指し示していると思う。「それら」と呼んでしまう何か。「それ」というのは植村にはわかっている「認識」、「それ」と思わずよぶしかないものである。「ほこり」という名詞で、「私とは違う存在」を指し示すのではなく、「それ」という形で「私とつながりのある何か」とし指し示すしかないもの。
 この「それら」は、また出てくる。

こういうとき あるでしょう
身をうごかすと ずっとあとで
ぬうっと ほこりがわきあがり
方々に焦点をおいて 銀河のようにまわり
やがて それらがいなくなる

 「それら」と同時に「こういうとき」がつかわれている。「こう」(これ)としか呼べないもの。自分にはとてもよくわかる。わかりすぎて、「名詞(具体的存在)」にできない。言おうとすると、「こう(これ)」が先に出てしまう。それは「私の外」にあるのではなく、むしろ「私の内」にある。「私の肉体」として動いている。

身をうごかすと ずっとあとで

 この「ずっとあとで」もおもしろい。「あと」になって「わかる」。「あと」になってことばが動く。「肉体」から出て、その直後(あるいは同時)ではなく、「あと」になって「わかる」。それらが「いなくなる(消えてしまう)」と、あ、こういうことがあったのだと「過去形」で「わかる」、そういう「現在」。
 「渚にそって走る」の次の部分も楽しい。

車窓のガラスからは
日が沈んだあとの
街が遠くまで見えてそれはちいさな大小の貝殻のようだった
そのさきのさきに続きのように
大きな開いた空がのこっていて うちよせる
雲は動かない波 息を止めたしぶきのようで
電車のなかから見るそれは ずっとつづいていた

 「それ」と呼んでしまうもの。「それ」と呼びなおしてしまうもの。その瞬間に、「世界」が植村独自のものになる。植村が「世界」の方へ出て行く。植村の見ているものが植村になる。
 こういう「世界」を「物語(意味)」にするには、主人公(登場人物)は「私」そのものになってしまう。その「私」に、どうとどまるか、という問題を植村は解決して書いてはいないような気がする。
 「五月・キツネの祠」は、この詩集の中では微妙な位置にある。「私」と「私の分離(私以外の人間になる)」の接点があり、書き出しがおもしろい。

あそこを通ると
いきなり 石段が招くように
あるので のぼっていった

どうしてのぼっていくのだろう
もう人の年月をかなりすごしてきたのだけれど
そこには時間がぽとぽとと
うすい木の陰ごとにおちている

 「あそこ」と突然はじまる。そして二連目に「そこ」が出てくると、「時間がぽとぽとと/うすい木の陰ごとにおちている」と、ことばでしか言えないものが書かれる。「それはちいさな大小の貝殻のようだった」は「ようだ」ということばで「直喩」と明確にわかるが、この「時間が……」も「比喩」なのである。
 「比喩」とは、こんなふうに「肉体」と強烈に結びついているとき、詩になる。


*


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目次

岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112  中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122


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