詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

日米地位協定

2018-01-29 17:43:05 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
日米地位協定
             自民党憲法改正草案を読む/番外173(情報の読み方)

 「日米地位協定」がやっと国会でも取り上げられるようになってきた。
 そこで思い出すのが、先の安倍の施政方針演説。
 私は一か所、「おおおおおおっ」と声を上げてしまったところがある。
 「観光立国」という項目で語られた、ここである。

羽田、成田空港の容量を、世界最高水準の100万回にまで拡大する。その大きな目標に向かって、飛行経路の見直しに向けた騒音対策を進め、地元の理解を得て、2020年までに8万回の発着枠拡大を実現します。 

 ごく当たり前のことを言っているようだが、そうではない。
 「飛行経路の見直し」は、安倍が何を念頭において語ったことばかわからないが、羽田の飛行経路の見直しは日米地位協定に関係してくる。
 関東には「横田空域」、羽田を離発着する飛行機はそこを回避しているはずである。関西方面の飛行機は、千葉沖を経由している。遠回りしている。
 この遠回りを避けるためには、どうしても横田空域を「侵犯」しないといけない。
 さて、そんな「見直し」ができるかどうか。

 私は、できないと思う。
 アメリカが許さない。日米地位協定にかかわる。

 で、問題は。
 そういうことが、なぜ「施政方針演説」に盛り込まれたのか。
 ここからは、私の「邪推」「妄想」のたぐいだが。
 安倍の施政方針演説の「下書き」をした人間の中には、アンチ安倍がいるのだ。
 いうなれば、前川前文部次官のようなひとがいる。
 「飛行経路の見直し」ということばを差し挟むことで、野党のだれかが、「では日米地位協定の見直しをアメリカに迫ると受け止めていいのか」と国会で質問することを待っているのだ。
 ほかの「美辞麗句」にまどわされて、安倍をはじめとする官邸首脳は、羽田の「飛行経路の見直し」が日米地位協定に関係することを見落としている。

 「飛行経路の見直し」をすると言ったじゃないか、なぜしないんだ、と野党はぜひ追及してもらいたい。



#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー
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瀬尾育生「マージナル」

2018-01-29 16:58:12 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
瀬尾育生「マージナル」(「現代詩手帖」2018年2月号)

 「現代詩手帖」2018年2月号は「21世紀の批評のために」という特集を組んでいる。その巻頭に収録されているのが瀬尾育生「マージナル」。読んだが、何を書いているのか、さっぱりわからなかった。いや、ひとつ、とてもよくわかることがあった。瀬尾はたくさん本を読んでいる。
 「マージナル」(周辺?)を「超越」と関係させて書いているのだが、3の部分からとくにわからなくなる。瀬尾はルネ・ジラールの「超・超越性」に触れたあと、こう書いている。

 「超」という語の重畳は、旧約コヘレト書から北村透谷に引き継がれた「空の空なるもの」に接続している。さらに宮沢賢治の「ほんとうのほんとうの神様」「前の前のお母さん」に至り、方向を内面化させるとふたたび透谷の「各人心宮内の秘宮」「生命内部生命」へ、そして後期フロイトの「奥の奥の無意識」へとつながっている。(14ページ)

 私はルネ・ジラールも、北村透谷も、宮沢賢治も読んでいない。だから、私の認識は間違っているのかもしれないが、ルネ・ジラールって、いつのひと? 北村透谷、宮沢賢治、フロイト以前のひと? 「時系列」が違っていないか。北村透谷や宮沢賢治、フロイトはルネ・ジラールに先行する人ではないのか。
 「接続している」「つながっている」と瀬尾は書いているが、このときの「主語」北村透谷やフロイトではないのではないか。瀬尾が、ルネ・ジラールと北村透谷、あるいはフロイトを結びつけて考えているのではないのか。
 宮沢賢治から北村透谷への「方向を内面させると」というのも、賢治と透谷に交渉があって、その影響で透谷が「方向を内面化させ」たのではなく、瀬尾が、そういう方向で考えたということではないのか。
 ここに書かれているのは「歴史的な事実」ではなく、瀬尾の「意識の事実」なのではないのか。
 言い換えると、ここでは単に、瀬尾はルネ・ジラールを読んで、そういえば北村透谷にも似たような考え方があったな、宮沢賢治にもあった。フロイトの概念も結びつけて考えることができると考えたということではないのか。
 「事実」と「思いついたこと」を区別して書かないと、何を書いているのかわからない。瀬尾が「思いついた」ことは瀬尾にとっては「事実」だろうが、客観的には「事実」とは言えない。
 ルネ・ジラールは最後の方にも再び出てくる。

 鮎川信夫は一九八四年、ジラールのことばを受けて次のように言っている。《イエスの受難を一つのモデルと見做すのと、最終的なモデル(=モデルの廃止)と見るのとでは、そこに天地の隔たりがある。この場合、それが〈隠されていたこと〉の唯一の意味である。すなわち、人類は、そこで、過去の一切の意味を失うという経験をしたのである。〈神〉の明白な自己否定であり、イエスは最初の無神論者だったといっても、強ち強弁ではないだろう》。(21ページ)

 この鮎川のことばは、ルネ・ジラールのどのことばを「受けて」いるのか。最初に引用されている『世の初めから隠されていること』(一九七五-七七、小池健男訳)を指すのなら、「時系列」としては成り立つが、鮎川は、その文章の中でルホ・ジラールを引用した上でそう言っているのか。それとも瀬尾がルネ・ジラールと鮎川を結びつけているだけなのか。
 北村透谷や宮沢賢治の例があるだけに、そのまま読むことができない。



 この論の中で、瀬尾は杉本真維子の「集団」という詩を取り上げて批評している。

屋上に集団がいる
という情報をとじない瞼が捉え
後じさりして、視界の箍をはずすと
男女混合の雑多なひとで
ある。においは鴉に似て
形は木を模倣し
風が吹けば髪がはがれ
むき出しの頭皮から鼻にかけて
怨みのようなものを放っている
(あれは光かどうか)

 これを、瀬尾は、こう読んでいる。

「屋上に集団がいる」ということが「情報」としてやってくるが、それをとらえるのは《とじない瞼》である。とじない瞼は「情報」がとびかう空間の外にあって、開きっぱなしになったスクリーンのようなものになっている。そこに映される写像をとらえようとすれば後じさりしてこのスクリーンそのものを別のスクリーンに映してみなければならない。すると風が髪を剥がしとって頭皮をあらわにするようにして、ようやく「像」が現れる。像は男女混合であり、鴉のような臭いがし、木を模倣したような形をしており、頭皮から鼻にかけて怨みのような情動が放たれている。

 まだつづくのだが、何のことかわからない。特に「そこに映される写像をとらえようとすれば後じさりしてこのスクリーンそのものを別のスクリーンに映してみなければならない。」がわからない。「後ずさり」することが、どうして別のスクリーンに映すことになるのだろうか。杉本も、瀬尾も後じさり、と書いているから私の把握している意味は違うかもしれない。「後ずさり」は単に後ろに下がる、身を引くくらいのことであり、いくら考えても「別のスクリーンに映す」ということばにはつながらない。
 瀬尾は「情報」を「写像」ととらえ、そのあとで「像」と言いなおしているのだが、これもわからない。
 「情報」は「恥じない瞼」「視界」ということばとともにつかわれているのだから、それは「見えるもの(像)」だろう。なぜ「映像」ととらえる必要があるだろうか。「実像」では、どうしていけないのか。「とじない瞼」は「とじることのできない瞼」ではなく、「開いた瞼」とどう違うのか。
 私は単純に、こんなふうに読んだ。
 「屋上に集団がいる」とだれかが叫ぶ。このとき「私」は「集団」がどのような集団か聞き漏らした。「集団」とだけ聞こえた。それで視線を屋上に向けると、たしかに「集団」がいる。
 「後じさりして、視界の箍をはずすと」というのは「肉体」の運動というよりも「意識」の運動である。「後じさり」と「箍をはずす」は、同義である。常識的には「こう」見える。でも、その「常識」のタガを外して(つまり、常識を後退させて)その「集団」を見る。そうすると、それは

男女混合の雑多なひと
である。

 ということは、それは「男女混合のひと」ではないということだ。「常識」のタガをはずせば男女の「集団」に見える。でも、それは「男女の集団」ではない。
 では、何か。
 鴉の集団である。
 言いなおすと、こういうことだ。
 だれかが「あ、屋上に鴉の集団がいる」と叫んだ。見ると、たしかに鴉がたくさんいる。でも、もしかすると、あれは鴉ではなく人間ではないのか。ふと、鴉が人間に見えた。鴉の中には、なんとなく木の形に見えるものもある。あるいは木に止まったふりをしているものがあるということか。目を凝らせば、風が頭の髪を吹きさらしているのが見える。(ここからは、近くで鴉を見たときの記憶がまじっているかもしれない)。頭から鼻(嘴?)にかけての独特の形。そこに「怨み」を感じているということなのではないのか。
 鴉と人間の区別(区切りとしての「タガ」)をなくなって、鴉が人間に見え、人間に見えるものが鴉にも見える。
 鴉を見ながら、杉本は鴉になって、鴉を見ている杉本を見ていることにもなる。
 瀬尾は、「後じさりして、視界の箍をはずすと」の「箍をはずす」を読み落としていると思う。「スクリーン」を「別のスクリーン」に映しなおすというのは「スクリーンという箍」を「別のスクリーンという箍」に変えることであって、「箍をはずす」ことにはならない。
 また「スクリーン」にこだわれば、「臭い」ということばが出てくるのもおかしい。いまでこそ雨が降ったり匂いが飛び出す映画館もないではないが、スクリーンからは「臭い」がしない。
 「視界」という「箍を外す」、意識を「視界」に限定しない。そうすると「臭い」も可能になる。視界というのは目と対象との距離によって決まるが、そういう「距離」のタガも外してしまう。地上から屋上を見る、という距離感を通り越して、近くで鴉を見たときのことを思い出し、その細部を「間近」に感じてしまう。一体感だね。そこから「怨み」というような「感情」も手に触れるように感じられる。そういう「瞬間」を杉本は書いたのではないのか。





*


「詩はどこにあるか」12月の詩の批評を一冊にまとめました。

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目次

岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112  中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122


オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com



あたらしい手の種族―詩論1990-96 (五柳叢書)
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五柳書院
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自衛隊は違憲か(身勝手な論理2)

2018-01-29 07:14:04 | 自民党憲法改正草案を読む
自衛隊は違憲か(身勝手な論理2)
             自民党憲法改正草案を読む/番外172(情報の読み方)

 安倍は、
(1)「災害救助に当たる自衛隊員を違憲であるというのでは、自衛隊員の子供がかわいそうである」
(2)「自衛隊は違憲であると主張しておいて、実際に北朝鮮が攻撃してきたら助けてくれ」というのは「身勝手」である、と言っている。

 ここには、とんでもない「論理のすりかえ」がある。
 「自衛隊」は「自衛隊員」が自ら結成した組織ではない。
 その資金源は「自衛隊員」が自腹で負担しているわけでもない。
 国民のおさめた税金の中から予算が組まれ、自衛隊員には給料が支払われている。その軍備も国民のおさめた税金から支出されている。
 「自衛隊が違憲である」というのは、実は、

自衛隊の軍備に金を支出することが違憲である。

 という意味である。
 これは言いなおせば、

自衛隊の軍備に金を出すような予算を組む内閣が憲法違反をしている。
安倍が憲法違反をしている。

 安倍自身へ向けられた批判を、安倍は、あたかも国民が、あるいは憲法学者が自衛隊員を批判しているかのように論理をすりかえている。
 自衛隊員に同情するふりをして、自衛隊員を利用している。



#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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谷川俊太郎の『こころ』を読む
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