詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

松井久子監督「不思議なクニの憲法2018」

2018-01-23 12:17:23 | 自民党憲法改正草案を読む
 松井久子監督「不思議なクニの憲法2018」のデモ版(サンプルムービー)が完成した。私もインタビューされている。
 それを見て、とても驚いた。
 撮影は大濠公園と自宅で約1時間半くらい。つかうのは1分くらいだろうなあと思っていた。宮崎美子は黒沢明監督の「乱」で「拘束三日、出演3分」とか言っていたし、実際にはもしかしたらあれが宮崎美子?というくらいの印象しかない。私は憲法学者でもないし、特に活動(運動)をしているわけでもない。
 なのに、けっこう長いのだ。
 さらに額のはげ上がり、顔のシミという「加齢」がとてもめだつ。
 ということよりも。

 「要約」(編集)がとても簡潔にまとまっている。
 「天皇の悲鳴」「憲法9条改正、これでいいのか」「詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント」に書いたようなことを語ったのだが、言いたいことが全部網羅されている。そうか、私はこういうことが言いたかったのだと、改めて思った次第。
 私はもっぱら一人で書いて(書きっぱなし)で、他人の手で「編集」されるという経験をしたことがない。「ひとりよがり」でことばを書いているだけだ。他人の意識を通り抜け、整理されることで「余分」がなくなった。
 その結果、言い漏らしていること、私がほんとうに言いたいことも明確に自覚できた。
 いまとりざたされている憲法改正(改悪)では、9条と自衛隊との関係が一番の焦点である。そしてもっぱら、「自衛隊」を憲法に書き加えるかどうかが重要視されている。しかし、私は、それと同時に問題にしなければならないことがあると思う。

 憲法改正には
(1)何を変えるか(何をつけくわえるか)
(2)どう変えるか(文言をどうするか)
という2点から点検していかないといけない。
(1)が重要視されるために、(2)は見落としがちになる。
 実際に改憲案が発議されたら、(2)はあまり議論の対象にはならないだろうと思う。(1)に意識が集中すると思う。
 でも(2)の方に、重大なものが含まれていることがある。
 9条に関して言えば、2017年7月の「自民党憲法改正推進本部」がまとめたたたき台では「9条」はそのままにしておいて、「9条の2」を追加するという案だった。
 その内容は

9条の2 前条の規定は、我が国を防衛するための最小限度の実力組織としての自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する。


 すでに書いてきたことなので簡略化して書くと。
 私が問題視するのは、「(国民は)解釈してはならない」「内閣総理大臣は、(略)自衛隊の最高の指揮監督権を有し」というような部分である。
 国民が「主語(主役)」の憲法に、突然「内閣総理大臣」が割り込んできて「解釈してはならない」「私が最高指揮官である」と主張している。
 これは「自衛隊」を「書き加える」かどうか以上に重要だ。
 総理大臣が、国民に対して「こう解釈してはならない」(こう考えてはいけない)というのは思想の自由、表現の自由を侵すことである。「独裁」である。
 この「文言」は「戦争時」だけではなく、あらゆるときに適用される危険がある。「戦争」にならなくても、「独裁」をできる、ということにつながる。
 文言にこそ、ことばの細部にこそ「思想」の本質がある。 
 安倍は国を守るためではなく、独裁を推し進めるために「戦争」を利用しようとしている。国民の平和や安全はどうでもよくて、ただ独裁者になりたいだけなのだ。
 「天皇の悲鳴」で書いたのも、そういうことだった。
 高齢になった天皇が、皇太子に天皇という「地位」を継いでもらい、「象徴としての務め」を果たしてもらいたいと願うことを、「譲位」ではなく「生前退位」と言うのはなぜなのか。だれが「生前退位」と言い始めたのか。(天皇ではないだろう。)
 さらに天皇が国民に語りかけるとき、どういうことばをつかったか。そのことばのなかに、天皇の「思想」が見える。さらに政府の「動き」が見える。
 天皇退位→皇太子の天皇即位という目に見える変化以上に重要なものがある。
 ことばには、もっともっとこだわらないといけないのだ。

 そういうことを、もっと書いていこうと思った。

 「不思議なクニの憲法2018」の公式サイトは
 http://fushigina.jp/
 上映会情報ものっています。
 名古屋市東区桜坂の「名演小劇場」(052・931・1701)では、2月3日-2月16日まで公開です。

「天皇の悲鳴」はオンデマンド出版。一般書店では手に入りません。
下記のサイトから発注してください。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
「憲法9条改正、これでいいのか」「詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント」(ポエムピース)はアマゾンから購入できます。

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
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小川三郎「帰路」

2018-01-23 11:15:13 | 詩(雑誌・同人誌)
小川三郎「帰路」(「Down Beat」11、2017年12月30日発行)

 小川三郎は、名前に癖がなさ過ぎて(?)、ちょっと見落としそうなところがある。作品もどういえばいいのか、「絢爛豪華」という感じがない。一見、癖がない、という感じで、どこから感想を書き始めようか私は悩んでしまう。
 「帰路」は、こうはじまる。

道のまん中に
大きな岩が転がっていて
それ以上は進めなかった。

 これは地震とか大雨のあととかに報道されるニュースの一こまのよう。何か災害があったのだろう、と想像する。平凡なことばで語られているので、「これが詩?」と思ってしまう。詩は「新奇なことば」で書かれている、という思いが私の肉体の中に残っているから、そう思ってしまう。
 二連目。

岩は
空から落ちてきたに違いなかった
昨夜あたり
きっとどーんと落ちてきたのだ。

 これは詩というより童話かな? 童話ならありそうな描写だ。昔の物語(昔話)にもあるかもしれない。岩が「空から」落ちてくる、というのは現実にはありえない、と私は思っている。
 三連目。

岩に近づいて
匂いを嗅いでみる。
鉄の青臭い匂いがする。

 おっ、と思う。
 ここで、「感想を書いてみたいなあ」と思う。
 岩の匂いを嗅ぐ、か。その匂いは近づくことで「わかる」匂いだ。「近づいて」が、そのことを語っている。匂いを嗅いで、それが鉄の匂いだと思う。どうして鉄の匂いだと思ったかというと「青臭い」からだ。この「青臭い」に小川の「肉体」が動いている。刃物を砥石で研いだあと、「青臭い」匂いがたしかにする。錆を落として、「生々しくなった」鉄、刃物の「生々しさ」の匂いだ。
 小川は、刃物を研いだことがあるのかな? 私はいなかの百姓の子供なので、鎌なんかをとがされた。包丁も研いだことがある。そのときの、いわば「危険」ととなりあわせの「生々しい」匂いを思い出す。「青臭い」と「青」が混じり込むのは、刃物の「青光り」のせいかもしれない。
 このあと、小川の詩は、また「展開」する。

とても人間的な匂いだ。
子供のころ
友達はみんな
こんな匂いをしていた。

 小川は「青臭い」を「人間的」と言いなおしている。さらにその「人間的」を「子供」と言いなおしている。「大人」のにおいではないのだ。「青臭い」は。
 未成熟な考えを「青臭い」というが、しかし、「子供」の「青臭い」は「未成熟」ではないだろうなあ。やはり、「生々しい」だろうなあ。「未成熟」以前なのだ。「未成熟」には「成熟」を感じさせるものがあって「未成熟」ということばになる。「未成熟」の「未」以前が「青臭い」なのだろう。
 私は、そんなことを考える。
 最終連は、また新しい展開である。

私と岩は
一緒にゆっくりと地面にめり込んでいった。

 あ、そうか。何かを思い出すということは、こういうことなのかと思う。思い出すというよりも、思い出にのめりこまれていく、思い出の中に沈んでいくというのが思い出すということなのか。
 岩から鉄の青臭い匂いがする。青臭い匂いは子供のころの友達の匂い。それを思い出すとき、小川は子供になっている。子供になって、その匂いを嗅いでいる。いま、小川は「子供の世界」にいる。
 これを小川が「子供の世界」に入っていったということもできるし、「子供の世界」が小川を包み込んだということもできる。でも、それでは何かが「不十分」だ。だから、小川はそれを「めり込んでいった」と言う。
 「青臭い」匂いの発見と同じように、この「めり込んでいった」(めり込む)という「動詞」が発見されているのだ。
 「一緒に」ということばも大事だ。小川は「岩」とも「青臭い匂い」とも「友達」とも「一体」になっている。何かと「一緒」(一体)になることを「めり込む」と言うのだ。
 これは三連目の「近づく」からはじまっている。小川の思想(肉体)のキーワードは「近づく」という動詞かもしれない。対象に「近づいて」「一緒になる」。そこから詩がはじまる。小川だけのことばが動く。

 同じ号の「夏下」も不思議な詩だ。どこか「俳句」に通じる「太さ」がある。目新しいというよりも、「いつもそこにある」という感じの「強さ」がある。ことばに「嘘」とか「見え」とかがない。
 

*


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目次

岡田ユアン『水天のうつろい』2 浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』6
石田瑞穂「Tha Long Way Home 」10 高見沢隆「あるリリシズム」16
時里二郎「母の骨を組む」22 福島直哉「森の駅」、矢沢宰「私はいつも思う」27
川口晴美「氷の夜」、杉本真維子「論争」33 小池昌代『野笑』37
小笠原鳥類「魚の歌」44 松尾真由美「まなざしと枠の交感」、朝吹亮二「空の鳥影」47
河津聖恵「月下美人(一)」53 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』58
大倉元『噛む男』65 秋山基夫『文学史の人々』70
中原秀雪『モダニズムの遠景』76 高橋順子「あら」81
粕谷栄市「無名」、池井昌樹「謎」86 深町秋乃「であい」92
以倉紘平選詩集『駅に着くとサーラの木があった』97 徳弘康代『音をあたためる』107
荒川洋治「代表作」112  中村稔「三・一一を前に」117
新倉俊一「ウインターズ・テイル」122


オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。



以下の本もオンデマンドで発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。

問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

象とY字路
小川 三郎
思潮社
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