2016年4月20日
その日は、夢松風のお稽古の日。
帰りに私は、『「一駅我慢」と「だるまさんがころんだ」以外に、何か手はないかと、思いを巡らせる。』と言っている。
あれから、2年経っている。
何か手はないかと、模索していたが、それ以上の手は探せてない。
ただ、この処、伸びやかに、(そのころよりは、と、注釈が付くけれど、)声が出るようになったと思う。
体力任せができなくなるにつれて、省エネの声の出し方をするようになったのと相まって、限りなく丹田へと、意識を集中することができるようになったことかな。
効率よく、燃費の良い発声ができるようになったのかなぁ。。。。。
深息法と、前と後ろの支えが均一になったことで、出せるようになったと思う。
そうなったのは、山田先生のご指導と双方による「人体力学井本整体」のおかげです。
それでは、かねてからの懸案である和歌に取り組みましょう。
先月は時間切れで、行えなかった和歌を教場で、恥をかきながら、始めることにいたしましょう。
教える立場って、辛いこともあるねぇ。恥ずかしいことも、あるねぇ。
その日は、夢松風のお稽古の日。
帰りに私は、『「一駅我慢」と「だるまさんがころんだ」以外に、何か手はないかと、思いを巡らせる。』と言っている。
あれから、2年経っている。
何か手はないかと、模索していたが、それ以上の手は探せてない。
ただ、この処、伸びやかに、(そのころよりは、と、注釈が付くけれど、)声が出るようになったと思う。
体力任せができなくなるにつれて、省エネの声の出し方をするようになったのと相まって、限りなく丹田へと、意識を集中することができるようになったことかな。
効率よく、燃費の良い発声ができるようになったのかなぁ。。。。。
深息法と、前と後ろの支えが均一になったことで、出せるようになったと思う。
そうなったのは、山田先生のご指導と双方による「人体力学井本整体」のおかげです。
それでは、かねてからの懸案である和歌に取り組みましょう。
先月は時間切れで、行えなかった和歌を教場で、恥をかきながら、始めることにいたしましょう。
教える立場って、辛いこともあるねぇ。恥ずかしいことも、あるねぇ。