「昨日は、、、」と言う書き出しのモンゴル語の文章が、あまり悩まないで書けました。
少しずつ、自分で言いたいことがモンゴル語で表現できるようになって来ました。
普通のスピードで、話しかけられるとまったく理解不能なのですが、ゆっくり言ってもらうと、何を言っているのかわかるようになりました。
バータル先生は、「意見」という雑誌を出しています。
世界に向けた視線を持つ先生には、愛すべきモンゴル人が海外に出て認められるようになるには、いかがなものかと考える点について、意見を述べた雑誌です。
今日の授業で「DAVRAF」と言う単語習いました。
ひとたび親しくなると、上下関係も何も無く、日本人から見ると無礼なくらいになることを言うのです。
それは遊牧民のDNAがそうさせるのかなぁと、いつも思うのです。敵ではないと分かりひとたび親しくなると、家族のように助け合い境界がなくなってしまう。そうしていくことが、死と隣り合わせの遊牧生活を営んでいくのに欠かせないことなのだろうと思うのです。
夫もよく言っていました。勝手に机の上のものを使う、持って行く。
直ぐ金を貸せ、そして返さない、先生に対する尊敬の念も何も無い、挨拶をしない。親しき仲にも礼儀ありなんて、露ほども無い。
今の夫は、それを悪いと言いません。それがモンゴル人と受け止めています。
世界を見据えて意見を言うバータル先生と、モンゴルを見てそれがモンゴル人と言う夫と、視線のちがう両方の思いを聞いて、「はぁー、そうなんだぁ」と感心している私でした。
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今日は、夫の誕生日。娘から電話があったと、嬉しそうに相好を崩す夫でした。
今日は、モンゴル語と久しぶりのオルティンドーの練習で、疲れていたところへ夕食が終わるか終わらないうちに停電。
せっかくの、ろうそくの灯も年を経た私たちには、ロマンチック気分にならなくて、眠気のほうが勝ってしまったのでした。
私が風邪をひいてはいけないと早々に布団に引き上げてしまった後で寂しく一人居眠り(笑)をしているところへの電話だったそうです。
古女房からは、「おめでとう」の一言だけで十分と考える夫でも、さすがに娘からの長距離電話は、ことのほかの喜びだったそうです。
おめでとう!よかったね