風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

もろもろ

2005年12月14日 | チンゲル亭裏日記

「昨日は、、、」と言う書き出しのモンゴル語の文章が、あまり悩まないで書けました。
少しずつ、自分で言いたいことがモンゴル語で表現できるようになって来ました。
普通のスピードで、話しかけられるとまったく理解不能なのですが、ゆっくり言ってもらうと、何を言っているのかわかるようになりました。

バータル先生は、「意見」という雑誌を出しています。
世界に向けた視線を持つ先生には、愛すべきモンゴル人が海外に出て認められるようになるには、いかがなものかと考える点について、意見を述べた雑誌です。

今日の授業で「DAVRAF」と言う単語習いました。
ひとたび親しくなると、上下関係も何も無く、日本人から見ると無礼なくらいになることを言うのです。
それは遊牧民のDNAがそうさせるのかなぁと、いつも思うのです。敵ではないと分かりひとたび親しくなると、家族のように助け合い境界がなくなってしまう。そうしていくことが、死と隣り合わせの遊牧生活を営んでいくのに欠かせないことなのだろうと思うのです。

夫もよく言っていました。勝手に机の上のものを使う、持って行く。
直ぐ金を貸せ、そして返さない、先生に対する尊敬の念も何も無い、挨拶をしない。親しき仲にも礼儀ありなんて、露ほども無い。
今の夫は、それを悪いと言いません。それがモンゴル人と受け止めています。

世界を見据えて意見を言うバータル先生と、モンゴルを見てそれがモンゴル人と言う夫と、視線のちがう両方の思いを聞いて、「はぁー、そうなんだぁ」と感心している私でした。

                 ☆

今日は、夫の誕生日。娘から電話があったと、嬉しそうに相好を崩す夫でした。
今日は、モンゴル語と久しぶりのオルティンドーの練習で、疲れていたところへ夕食が終わるか終わらないうちに停電。
せっかくの、ろうそくの灯も年を経た私たちには、ロマンチック気分にならなくて、眠気のほうが勝ってしまったのでした。
私が風邪をひいてはいけないと早々に布団に引き上げてしまった後で寂しく一人居眠り(笑)をしているところへの電話だったそうです。
古女房からは、「おめでとう」の一言だけで十分と考える夫でも、さすがに娘からの長距離電話は、ことのほかの喜びだったそうです。

              おめでとう!よかったね
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モンゴルの先生はこわーい

2005年12月12日 | チンゲル亭
8日のSAVE THE CHILDRENの授業はちょっと大変でした。
モンゴルの先生は浮「なぁと思いました。
私はちょっと、他のことに気をとられていました。
子どもは、敏感です。
子どもが少し騒ぎました。
それは、私がほかのことに気をとられていたからです。
騒ぎを回復するための行動に出ようとしたとき、なぜかモギーさんが教室に入ってきました。

とたんに、モギーさんの雷が落ち、私はおろおろする羽目になりました。
彼女は、何をどう怒っているのか一緒に入ってきたウツカに聞いても彼も唖然としてしまって、日本語が出てきません。
私の授業なんだから、勝手に怒りまくらないで!

どうして、こんな悪いタイミングで教室に入ってくるのよ。
やっとモギーさんの怒りが収まって、教室を出て行きました。

今日は、割り箸と糸と厚紙で剣玉を助っ人さんが作る日です。
ほんとは、お正月の歌を教える日だから、工作もやるのでは時間が足りないのです。
それでも、助っ人さんの作りたい気持ちに負けて、ウンと言ってしまいました。

それなら、日本語を止めて歌詞を教えることを日本語の授業に代えれば良かったのに、後の祭り。欲張った授業は私にはまだ無理なのです。
初めての、思うとおりにならなかった授業でした。

昨日、会った若い知人も、「私の授業なのに、勝手に子どもたちを怒らないでよ!」という場面がよくあると聞きました。
はぁ、そうなんだ。
彼女は、先生たちの指導に来ています。そのための授業をしている時でさえそのようなことが有ると言うのですから。。。

一回一回の授業を心を込めて、子どもたちのために行なうことを忘れないようにしましょう。
今日は、それを忘れていました。

それにしても、隣の部屋で剣玉の準備を助っ人さんとウツカとやっているときは楽しそうな大きな笑い声が聞こえていたのに、豹変するんだからなぁ。アー、浮ゥった。
その笑い声に、子どもたちが集中できなかったと言うこともいえるのよね。

モンゴルでは、「厳しい先生のほうが良い先生」と言う考え方があるそうです。(厳しい先生=浮「先生ではないのでしょうねぇ。)


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わぁー、すごい!

2005年12月12日 | チンゲル亭裏日記

今までの、ツララがウソのように付いてない。
うれしいなぁ。
これで、マイナス30度の温度が来ても大丈夫。

しかし、まだ取り替えられてない木の窓枠のほうが、氷が付いていてさえも暖かさを感じてしまいます。
他の窓も、ツララが下がるのですが、目に見える隙間は無いので、部屋の温度さえ下がらないなら、この冬はこのままの木枠の窓でいいのですけどねぇ。

硬質プラスティック製の窓枠は、よく見るととても荒っぽい仕上がりです。
窓枠自体の取り付け、木枠よりも厚みがなくなったせいで、レンガがむき出しになった部分には、発泡スチロールの板が不細工にきったのをあてがってあるし、部屋の中には、ムース状のウレタンがボコボコと盛り上がっているし、この仕上げは何時してくれるのかなぁ。

昨日、我が家の取り付けのときにしていた大きな音が他の部屋でしていると言うことは、我が家には今日の作業予定はないということなのかなぁ。

何かの約束が果たされて作業が行なわれても、次の不満が却ってたまってしまって、。
作業が終わっても、終わりましたの一言もないし、片付けてと言わないと瓦礫のようなごみもほったらかし、次の作業予定の伝言も無い。

一つだけ、驚いたのは、ソファーに埃よけの布を持ってきてくれたことです。
贅沢は言うまい。。。。。目覚めのツララがなくなったのだから。

日本の技術者の水準の高さ、律儀さ、礼儀のよさ、したがって値段が高いのは、うなずけます。
作業が終わったときの、心地よさをこちらでは味わったことがないんだもの。と言うより、作業が完璧に終わらないと言ったほうが、正しいのかな。それなら、終了の心地よさを感じる訳はないのだと、無理やり思うしか無い。

              ☆

おかげで、訳あって早朝にいらっしゃったお客様に、雑然とした部屋で休憩していただかなくてはならない羽目になり。

おまけに!ザザが布団の上におしっこ!
二枚重ねの鰍ッ布団の下までしみたにおいに、一大ショック!

昨日の騒音と閉じ込めとで、ストレスがあったのでしょう。
そんな時、本来の猫はふらりと外に出て、ほとぼりが冷め、おなかがすいたら帰ってくれば良いのですが。
我が家にいる限り、もしかのことを考えて、外には出してやれません。
臨時親の都合で右往左往させられるザザの身になれば仕方ないよねぇ。

お前にとっての幸せって、何?
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工事決行

2005年12月11日 | チンゲル亭裏日記

朝10時半、サッシが運び込まれてとりあえず隙間のある一番ツララの出来る窓二つの取替えが始まりました。

バイガルさんと夫との話し合いで、目張りだけでよいという私の意見を土壇場で破棄したのです。

私は、奥の部屋に本とャbトとティーバッグを持って避難して、がぁがぁ、ジージーと言う騒音と寒さをしのぎました。
ザザもいつもは入りたくて仕方のない部屋に長時間閉じ込められると、外で行なわれていることの好奇心と退屈とで、いつもは、外から「入れてー」と鳴いているドアの内側から「だしてー」と鳴いています。

木の窓枠をレンガから引っぺがし、サッシをはめ込み、ヘアムースのようなものを充填していきました。
サッシは、コンクリートで固めるのではなくて、釘をレンガに打ち込んでとめているのですが、強風が吹いたら持ちこたえるのかなぁと不安になるくらいです。

充填剤は、時間を置くと3倍くらいに膨らんでるけど、上向きに作業をしなくてはならない場所の充填量が少ないように思えます。
大丈夫なの?

さて、これで明日のツララの具合はどうなんでしょうね。
楽しみです。
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サッシ取替え

2005年12月11日 | チンゲル亭
 新しいサッシが付きました 
                      充填剤が詰められて。。。


              ザザチェック「フムフム」      ありゃりゃ、壁に穴ですね。


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ツララのできる窓

2005年12月11日 | チンゲル亭裏日記

このアパートに入居する前から、ベランダの扉は反っているから取り替えてくださいと、入居条件の上位にお願いしてあったのが、今頃になって取り替えますと言ってきた。
それも、8つある窓全部を取り替えるからと大威張りで言ってきた。

あのね、夏に日本から返ってきたときに1階の自分たちの住まいだけさっさと木の窓枠をアルミのものに取り替えてたよね。
それって、家賃をガイジン価格で払っているわたしんちの窓枠を先にするべきじゃなかったのと、言いたいのを我慢してたの。

ここの大家さんはテレルジにツーリストキャンプを作っているらしく、工事人さんがすべてそちらに出払っていたらしい。
寒くなって、戸外の工事が出来なくなって暇になったからって、勝手にそんなこと決めないで。
それより、トイレの便器を取り替えてくれないかなぁ。

先週、もう一つの1階の部屋を工事しているときに見学したら、まぁ、相当なごみが出て、窓枠のはまっているレンガを壊し、出窓の敷板も完全にはずしていたよ、日数もかかっていたのを目撃しています。
それを直ぐ出来るから大丈夫と言ってくれました。

ちがうよ!貴方の大丈夫は、長年の付き合いで、大丈夫じゃないってこと分かってきたわよ。

日中でもマイナスになるこの時期に、人の住んでいる部屋の二重窓の工事をするって、無謀じゃない?

アー、もう何てことだろう。
目張りをするだけにして頂戴、寒いのはごめんですよ。
見鰍ッはどうでも良いから、室温24度を保つようにくれぐれもお願いしますね。
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夕食ご招待

2005年12月10日 | チンゲル亭裏日記

イチカ夫妻、バットマー夫妻、ソユルマー(ジャガーの)お姉さんに招待されて、私たち夫婦は、タイ料理レストランに向かいました。

イチカ夫妻は、UBでも名士で何でもご存知です。
バットマーさんのご主人は、去年お目にかかったときより若々しくなっていらっしゃって、夫は「サイン ザロー(素敵なわかもの・若々しいねぇー)」と褒めていました。
彼は、大きい体を細くして照れていました。まるで、夫がヒューと言う口笛と共に冷やかしたかのようなシーンです。

夫は、感じたことをまじめに言ったはずなのですが、モンゴル人の友人たちには、夫がまるで冷やかしたかのように受け取られているようです。

ふーん、夫が日本にいる時に周りの人から受けている印象とは違う親しみをモンゴルの友人に持たれているのは、良い意味の誤解と、言葉より思いが伝わっているせいなのだと思ったのです。

なぜか、夫はUBでは、良くしゃべるのです。
時にしゃべりすぎて相手に、しゃべる隙を与えないこともあります。
どうしてなのかなぁ?

イチカさんのチョイスはいつも的確で、シェアしながらとても楽しくおいしくいただけます。
そして、いつも会話が盛り上がり、ほとんど分からないモンゴル語と英語の飛びかうのですが、バットマーさんが時々私に発する質問は心温まり、離れかける気持ちを会話に引き戻してくれます。

彼らは、みんなロシアで教育を受けた方たちです。
UBの先端を行く穏やかなリーダーたちです。賢くやさしくその上愉快で遊び好きな人たちです。バットマーさんは、ダンスが大好きです。
最近は、健康のためお酒を止め、目を見張るくらい野菜をもりもり食べるようになっていました。
私より、高齢のはずですから、この年令になって、肉中心から酒を断ち野菜を食べるようになったのには、尊敬に値する変換でした。

私がモンゴル語を片言で話すようになったことを何より喜び、この寒さを大丈夫かと心配してくれました。
来週は、マイナス30度に耐えるコートを買いに行こうと誘ってくれました。
暖かいコートにありつけそうです。夫も去年のちょっと寒いコートで我慢すると私には言い張っていたのですが、おかげで買う気になってくれたようで、一安心。
私の留守の間に、寒そうに一人で歩いているイメージは暗いですもの。

楽しかった
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ザザプロジェクト IV

2005年12月09日 | チンゲル亭裏日記

隙を見て、いつもは入れないようにしている私の寝室のベッドカバーに、異臭が!
ザザが、う○ちをしていた!
なんだこれは!
一瞬むっとして、別れの置き土産?と思いました。

いつもは侵入できないところだから、ザザにとっては戸外と思ったのかもしれない。
それならば、ザザのトイレ以外でも排泄が出来るということだから、大大オッケー!!

室内飼いだからトイレで排泄することしか考えなかったのですが、そのほかの場所でもできると言う発見は、平原に行くだろうザザにとっては、とたんに安心へと代わっていったのです。
そうだといいなぁ。

野生のものを家に閉じ込める方向よりは、野に帰すほうが意外と心配しないでも良いのかもしれないしね。
いまだに、離れがたいと言うオーラを放っている夫よりも、私のほうがすっぱりと我が家で飼い続ける事に見切りをつけて、次のことを考えているのです。
ナンダカ損な役回りのような気がするなぁ。
帰国するのだから、私のほうがそうしないとね。

                ☆

好奇心たっぷりのザザは、とうとう洋服ダンスの家の中では一番高いところにのぼり、そこから手の届くぬいぐるみを叩き落とした。
降りるのも、難なく降りて、ほっとしました。

しかし、日本ならいざ知らず、草原では、高いところは無い。。。
いやいやそんなことは無い、テレルジの草原は岩や木や一杯高いところがある。
何かに追いかけられて逃げて登る必要も出来るかも。。。
良し良し。勢いで登っても、降りられなければね。

今は、じゃれた挙句に少し手に引っかき傷が出来るので、爪を切っているけれど、草原に行ったら爪を切る人も居なくて、しっかり爪を立てて、木にのぼり、そして降りてくるのよ。

がんばれざざ!
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ピアノ

2005年12月08日 | チンゲル亭


日本人の松崎順司ことシモシュとモンゴル人のエンフトルのピアノコンサートが国立ドラマ劇場で開催されました。


エンフトルはモンゴル件p大学の先生で、モスクワチャイコフスキーアカデミー、モンゴル件p大学で音楽教育を受け、モンゴルの最も優れたピアニストであり、今後期待される音楽家です。おそらく20代の青年。

シモシュは、36才、日テレ毎週火曜日午後5時の「音楽王国」に出演、アートユニット オリジナルパフォーマンス「交響的未来伝説」と題した舞台で最優秀賞受賞。パントマイムと音楽の立体的な舞台「インディアハイマット」をプロデュースし好評を得る。第17回全国リコーダーコンテストにおいて「リコーダーオーケストラのための組曲」金賞受賞。
など、面白い活躍をしている人です。

一見左の写真が日本人のように見えますが実はモンゴル人のエンフ。
右の写真が日本人のシモシュ。
音楽のコンサートにおいて、まじめにまっとうに演奏するのが日本人で、即興で曲を弾いたり、観客に受ける曲をちょいと挟んだり、遊びを取り入れるのは外国人というイメージをいまだに持っています。

今日のコンサートを聴いて、日本人がクラシックにおいてもリーダーの立場になっているのを見て、目を見張りました。

シモシュは、クラシックの曲をタンゴのリズムでロック風に弾いたり、自作を演奏したり、昨日訪れたモンゴルの田舎の朝をテーマに即興演奏したり、エンフやモンゴル人のほとんどの観客にとっては驚くばかりの演奏だったと思います。

この国立ドラマ劇場のピアノは25年間沈黙していたピアノです。
その演奏に当たっては、いろいろとご苦労があったと思います。
エンフの演奏のときは、高音に来るとピーンと言う私にも分かる耳障りな音がして、休憩時間に調律師が音をなおしていたりしました。

エンフはにこりともせずにスーツ姿で登場しましたが、シモシュは倹lさんかと思うほどの満面の笑みで登場。その黒と白のコントラストの強い衣装は一歩間違えばピエロになりそうな斬新なものでした。

片言のモンゴル語で挨拶をし、客席に笑顔を見せながら弾き始める様子や、にこやかにあくまでも楽しそうに演奏する彼はピアノを習う子どもたちにはどのように写ったでしょう。
ピアノって楽しいのねと思ったのだったら良いなぁと思ったことでした。

モンゴルに来て、外から、発展、成熟し先を走って行く日本の姿を見ることができます。
ピアノを習っていなくても、今日演奏された曲は、どこかで聴いたことがあります。
それは、UBで考えたらすごいことなんだなぁと思うのです。

クラシックの国際的コンクールに日本人が当たり前のように優勝したり、リーダーとして活躍しているのを見て、日本は文化的にも後進国ではないのだと言う実感を深めます。

文化的な成熟は、我武者羅だけでは出来ないことで、時間を味方にゆっくりとした熟成期間が必要なのだと思います。
その熟成期間と私との生長期間が同じ時期だったのですね。

ふーっ。
その誰かががんばったことで、日本に対する良い評価を背負わせてもらっているから、私が日本人であると言うことだけで、UBでは、一目おかれる立場にいられるわけです。

これこそ他人の○○○○で相撲をとるということになるのよね。

考えすぎるとおもーくなるから。
いつの間にか身につけさせてもらっているものに感謝して、UBでの日々をすごすことにしましょう。









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車と運転手

2005年12月08日 | チンゲル亭
外は、マイナス20度。
タクシーを拾うのがだんだん困難になり、待っているとしんしんと寒さが忍び寄ってきます。

外出に、送り迎えの車があるとほんとに助かります。

知人は、白タクの運転手さんでとても気の良い正直な方を専属の運転手さんに雇ったそうです。

今日も、SAVE THE CHILDRENに行くのに、いつもお願いしていた運転手のエルデメは、車が故障したので来られなくなりました。

SAVE THE CHILDRENは場所柄、行きはよいよい帰りは浮「ところです。
来るかもしれないこないかもしれないタクシーを待っているのは、この寒さになると浮「ものがあります。

それで、知り合いの運転手さんをお願いすることになりました。
彼は、大きな会社の臨時雇いの運転手です。
まじめに勤め上げれば、常勤になる可能性がありますから、その会社の仕事を優先にと言うことが約束です。たとえOKをもらっていても、その会社の仕事が入るとキャンセルになるので、ぎりぎりのタイミングでお願いする必要があります。

毎週、はらはらするようになるかもしれません。
あるいは、ウツカが家を出るときに拾ってくる白タクに、少々お金を払って待っていてもらうか、帰る時間までに必ず来てもらうよう頼む方法もあります。約束時間と言うのが、ちょっと不安なUBですから、乗ってみて正直そう約束を守ってくれそうな人に頼んでみるのです。

待ち時間1時間に1,000トグの人もいれば、2,000トグを要求する運転手もいます。
浮「ほどの寒さを我慢してタクシーを待つか、ちょっとぼられてもお金を払うか。。。
この際、1時間2,000トグは高いぞと思っても、200円だからと目をつぶるか、いやいや相場が、、、とこだわるか。。。

運転手をどうするか決めかねています。そして、後2回行くと当分お休みしますから、せっかく雇っても律儀に他の人に雇われないで待っていてくれるとは限りません。

2月からの一番寒い時期にどうしても必要ですから、夫に適当な人を見つけてもらうとしましょう。

車をこちら持ちで、月曜から金曜まで雇って、一ヶ月200ドルから250ドル。
車持込で、一ヶ月300ドル以上、その場合ガソリンをこちら持ちというのが多いようです。

気候のよい時は、歩いたり突然出かけたくなったりで、時間をあらかじめ決めて車を呼ぶと言うのは、夫も私もちょっと束縛を感じてしまいます。
それで、今まで、なじみの運転手を決めることに積極的では有りませんでした。

去年は、出かけても便利な場所にしか行きませんでしたから、同行のモンゴル人がタクシーを拾ってくれました。
今年は、ゲル地区に足を向けることになって、初めて、運転手の問題がおきました。

夏は観光客向けの仕事をしている人も、今の時期は暇です。
上手に探せば、時間を守る安全運転の人ガ見つかるでしょう。
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