熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

新日本フィルのブルックナー、戸田弥生のベルク

2005年05月22日 | クラシック音楽・オペラ
   新日本フィルの定期385をトリフォニーで聴いた。
   ウォルフ-ディター・ハウシルト指揮のブルックナー交響曲第7番ホ長調と戸田弥生のベルクのヴァイオリン協奏曲である。

   戸田弥生は初めてだが、93年にエリザベート王妃国際音楽コンクールに優勝した時、ブラッセルに居た同僚のアーキテクトが楽屋に詰めていたとか自慢話をしていたのをアムステルダムで聞いたので親しみを感じていた。
   ベルクは、オペラ「ルル」も「ヴォツェック」も観ていないし、趣味に合わないと思って避けていたが、この協奏曲は、「ある天使の思い出のために」と言うタイトルが付いているだけあって、思いがけず、哀調を帯びた調べが美しくて流麗なので引き込まれて聴いてしまった。
   戸田弥生のテクニックが抜群なのであろう、終曲の高いアーチを描くように哀調を漲らせたヴァイオリンのソロの何と美しいことか、天国からのサウンドの様に胸を打つ。

   ブルックナー7番は、75分の大曲。
   ブルックナーを始めて聴いたのは、何番か忘れてしまったが、アムステルダムで、コンセルトヘヴォウを晩年のオイゲン・ヨッフムが振った時である。その後、何度か聞いているが、比較的演奏されることも少なく、あまり強烈な印象は残っていない。
   この新日本フィルでも、朝比奈隆のブルックナーを聴いているはずだが覚えていない。
   昨日のブルックナー、やはり、血と地の騒ぎであろうか、生粋のドイツ正統派のハウシルトの棒は、新日本フィルから、限りなく豊かなサウンドを引き出しドイツの大地の蠢きを彷彿とさせる。
   ワーグナーの訃報を聞いて書き換えてワーグナーチューバを用いた葬送行進曲が迫る。

   新日本フィルの木管金管が素晴らしく咆哮し歌っている。音は外すは飛ばすは、特に木管金管がひどかった頃の新日本フィルを知っているので、良くここまで大成したと感激しながら聞いていた。
   このトリフォニー・ホールを小澤征爾がロストロポーヴィッチを呼んで開幕オープンして、レジデント・オーケストラになった結果が花開き、それにアルミンクが磨きをかけている。
   サイトーキネンには、およびもつかないが、それなりに小澤征爾のオーケストラになったと言うことであろう。

   随分前になるが、アムステルダムに居た頃、休暇を利用して、ドイツとオーストリアを旅行した時、ウィーンから、ドナウ川沿いに車を走らせてブレーメンに向かう途中、リンツ近くのセント・フローリアン大聖堂に立ち寄った。
   19世紀の教会音楽の大家アントン・ブルックナーは、このすぐ側の田舎で生まれて、13歳でここの聖歌学校に入り、その後補助教員、そして教師兼オルガニストとして勤めた。
   後には、リンツへ、そして、ウィーンで音楽院の教師になるが、しかし人生の多くはここで過ごし、ここで音楽を学び多くの音楽を作曲して偉大な音楽家として大成してゆくのである。
   閉まっていて入れなかったが、大聖堂の扉の隙間から、ブルックナーの弾いていたオルガンを長い間見ていた。

   この大聖堂は、ドナウの岸からそう遠くない田舎の真ん中にある。ブルックナーの悠揚迫らぬ田園を思い出させるあの豊かなサウンドは、この大地が育んだものであろう。
   遠い昔の、セント・フローリアンの田舎の風景を思い出しながら、ブルックナーの7番をじっと聴いていた。
   
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人間国宝・玉男と簑助の「冥土の飛脚」・・・一期一会の舞台

2005年05月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大阪の文楽座では、年中、吉田玉男は出演しているが、寒い12月には東京へ来ないとか、少しづつ出演を控えるようになった。
数年前、俊寛の後半を一番弟子玉女に代わったし、今回も、冥土の飛脚の最後の「道行」は、桐竹勘十郎に代わった。
玉男の豪快な立ち役がもう観られなくなって久しいが、燻し銀の様な渋いパーフォーマンスはシンプルになればなるほど益々冴えてきている様な気がする。

   玉男・簔助の冥土の飛脚は、数年前国立文楽座で観ているので今度が二回目で、前回は、相合駕籠で始まる道行も玉男が演じていた。
追っ手が迫って来ており捕獲されるのは時間の問題、一時間でも一日でも一緒にいる時を大切に生きたい、必死の思いの新口村への逃避行、霙霰交じりの寒風の中を転げながら裏道を落ち行く忠兵衛と梅川の姿が悲しい。この舞台、時には肺腑を抉るような浄瑠璃と三味線の情感たっぷりの伴奏が実にセツナイ。
今回、一番弟子勘十郎が、師匠簑助との呼吸抜群で実に詩情豊かな忠兵衛を演じていた。

   新町槌屋の遊女梅川に現を抜かす飛脚問屋亀屋の跡取り息子忠兵衛、身請けするのに250両必要だが用意できる金ではない。
手付けに打った50両が友人丹波屋八右衛門の預かり金の流用、友に詰られ大見得を切ってご法度の公金の封を切り散財して身請けするが、後は悲しい必死の逃避行。

   「淡路町の段」の後半、夜更けに届いた堂島蔵屋敷への300両を届けるために出かけるが、自然と足が北の堂島ではなく南の新町へ向かう。
梅川が何か用があって神の導きかも知れん、と言って心を偽るが、行ってのけようか、止めにしようか、と迷いながら西横堀をうろうろ、運命の分かれ道だが、軽快な三味線の音にのってステップを踏む玉男の巧みな芸が堪らなく悲しく胸を打つ。
結局、忠兵衛は、迷いに迷って、「エイイ、行ってしまえ」、新町に向かい冥土の飛脚になってしまう。

   クライマックスの「封印切の段」。
   新町佐渡島町「越後屋」で、八右衛門が忠兵衛の身代の棚卸を始めているのを聞きつけて、怒りに吾を忘れた忠兵衛が駆け込み、大見得を切る。死ぬ思いで2階で聞いていた梅川が必死になって駆け下り忠兵衛を口説き諭すが、忠兵衛は公金の封を切って50両を叩きつける。
   二枚目の美しいかしら「源太」の忠兵衛が、鬢が一筋ほつれ少し左に顔を背けて俯きうなだれる、身体全身で苦痛と悲しさを噛み締める玉男の至芸。
   身もだえし身体全身を忠兵衛にぶっつけて忠兵衛を掻き口説く梅川の必死の訴え、見世女郎とは言え、こんなに情の深いいじらしい女がいるであろうか、簔助の実に美しい人形使いが女の美の極致を見せて魅了する。
   死を覚悟している梅川の強さはどこから来るのであろうか。文楽の大坂男は不甲斐ないが、文楽の大坂女は実に強く潔い。
   竹本綱大夫の語りと鶴澤清二郎の三味線が堪らなく胸を締め付ける。
   玉男と簔助の近松が何時まで鑑賞出来るか、科学と違って、芸の世界は一代限り、その先を継承できないのが悲しい。

   歌舞伎で、仁左衛門と玉三郎の「冥土の飛脚」を観ているが、生身の歌舞伎役者の演じる舞台は、もっと切ない。
   蜷川演出の「近松心中物語」で、三津五郎と樋口可南子の忠兵衛と梅川の舞台も、実に美しく感動的であった。
   
   近松の戯曲、曽根崎心中も、心中天の網島もそうだが、人間の弱さ悲しさ愛しさをこれほどまでに感動的に描いた作者が居たであろうか。
   シェイクスピア劇に通い続けて随分になるが、近松はシェイクスピアに決して劣っていないし、日本の和事のパーフォーマンス・アートは、欧米に比較して決して遜色はないと思っている。
   鴈治郎の坂田藤十郎襲名が、年末に予定されているが、実に素晴らしいことである。
      

   
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簑助の政岡・正に独壇場の舞台・・・国立劇場5月文楽

2005年05月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   五月七日から、半蔵門の国立劇場で、五月公演人形浄瑠璃・文楽が公演されていて、二部の目玉が「伽羅先代萩」。簑助が政岡を演じている。
   出し物は、「竹の間の段」「御殿の段」「床下の段」だが、相当部分が「御殿の段」なので、簑助の独壇場の舞台で、悲劇の忠臣乳母政岡を実に感動的に演じていて、歌舞伎とはまた一味違った素晴らしい感激の舞台である。

   傾城にうつつを抜かして国政を省みず、蟄居に追い込まれた領主の跡継ぎ・幼少の鶴喜代を、陰謀毒殺から守るために、必死で仕える乳母が、この政岡。
   御殿の段の冒頭「飯炊き」の場は、幼い鶴喜代君と実子千松相手の一人舞台、竹本住大夫の名調子に合わせて、居間の茶道具で器用にご飯を炊いてお結びを作るのだが、外部からの食事の差し入れを一切拒絶しているので、空腹に苛まれる苦痛を必死にこらえようとしている幼い主君に涙する。
   決して美声ではないが、人間国宝住大夫のなんと爽やかで若々しい若君と千松の語り口であろうか、それに、政岡の威厳と品格、その優しさを少し抑えた調子で語っていて、途中で、語りを忘れるくらいのめり込ませる。
政岡の赤い着物が目に痛いほど映える。
この何ともいえない二人の人間国宝の至芸、やはり、世界遺産である。
   名調子の三味線に合わせてリズミカルに左右にスイングしながら米を洗う政岡の動きがせめてもの救いか。親雀が小雀に餌を運ぶのを羨み、チンがご飯を食べるのを見てチンになりたいと言う幼君をなだめ賺しながら主君としての誇りと自覚を促す、実に根気の要る役柄で、下手な役者がやれば完全にダレル舞台である。
   歌舞伎では、芝翫と玉三郎の政岡を見たが、実に感動的であった。

   後半の「忠義の段」八汐達の幼君毒殺の試みが失敗して千松が殺される修羅場の舞台は、政岡の命の起伏の激しい、本音と建前の相克の世界で、初めて、実子を見殺しにしなければならなかった理不尽な生き様に慟哭する。人間・政岡を、簑助は感動的に演じて場内を圧倒する。

 若君毒殺の為に、栄御前と八汐が将軍からの贈り物と偽って毒饅頭を持って登場、若君に食べさせんとするが、日頃から主君の為に毒見を使命としている千松が現れて代わりに食べて倒れる。
   毒饅頭の発覚を恐れて八汐が千松を押さえ込んで短刀で首を刺し、若君と政岡の面前でキリキリ刺しながら嬲り殺そうとする。忠義の為とは言え顔色一つ変えない政岡、急いで、若君を別室に移す。
   皆が立ち去り一人になった政岡、初めて吾に返って、千松をかき抱いて号泣する愁嘆場、簔助の万感の思いを腕二本に託した至芸が政岡に乗り移り、忠君愛国の理不尽すぎる悲哀を、そして、何にも代えがたい親子の悲痛な命の叫びを語り尽くして余りある。
   簑助の「うしろぶり」の素晴らしさ、人形にしか出来ない優雅で悲しい、しかし、実に美しい後姿になって苦しみをかきくどく。
   最後に、姿を背にして千松を高くさし上げて別れを告げる政岡の慟哭。
   敵役の八汐が、大変な役で、歌舞伎でも、立ち役の大役者が演じる。私は、団十郎と仁左衛門を見ているが、夫々に凄かった。
   この文楽では、3人の人間国宝に次ぐ吉田文吾が演じていたが、これがまた入魂の舞台、政岡の介添えで死んだ千松に止めを刺される最後の場まで、息がつけない。

   兎に角、素晴らしい先代萩であった。
   残念ながら、後半の「桂川連理柵」は、私用があってみられなかったが、この舞台で十分であった。

   次には、素晴らしい玉男と簑助の「冥土の飛脚」をご紹介したいと思っている。
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キャプリス・ド・メイアン・・・ツートン・カラーの薔薇

2005年05月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   イギリスから帰った年、10本ほどの薔薇を植えた。
   何年か大切に育てたが、ヨチヨチ歩きの孫の為に総て切ったが、植木屋さんが切り忘れた一本がこのキャプリス・ド・メイアン。
   表はビロードの様な真紅だが、裏地は、黄色がかったクリーム色で、実に優雅な花である。
   やはり、フランス生まれの花であろうか、扱い方が少し難しいが、秋になると、もっと、鮮やかな紅に染まる。
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レジオン・ドヌール勲章画家「松井守男展」・・・光の躍動

2005年05月19日 | 展覧会・展示会
   高島屋日本橋店で、コルシカに生きる光の画家、「松井守男展」が開かれている。
   レジオン・ドヌール勲章を受けた在仏38年の画家だが、繊細で緻密な、しかし、時には静かに時には大地の底から蠢くような躍動感に満ちた凄い絵を描いている。

   交換留学生として渡仏して一心に絵を描き続けたが、苦難の時期が長かったと言う。遺作の積もりで書いた「遺言」が認められて、一躍スターダムにと言うことのようだが、どうしてどうして、それ以前の絵も凄い。
   スーラの点描画とは少し趣が違うが、短い線や小さな模様をを縦横に躍らせて、画面一杯に色の洪水を描く。
   コルシカやヨーロッパの風景を描いた水彩画の数々、モナコの大聖堂の為に描いたキリストとマリアの素描等も展示されていて、幅の広さを感じる。

   私が感動したのは、小品だが、コルシカン・ブルーを描いた数点の「青」の絵。国籍は日本を通すがコルシカに永住すると言う松井が、如何に、この限りなくブルーの地中海の青に魅せられたか、その命の躍動と喜びが感じられる。
   地中海のブルーは断片的にしか見ていないが、正にあの青い色である。ブラジルの宝石、アクアマリンとエメラルドをミックスしたような、あの青である。
   兎に角、素晴らしい絵を久しぶりに見せてもらった。
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フランクフルト国立管弦楽団・・・重厚なドイツ音楽の夕べ

2005年05月18日 | クラシック音楽・オペラ
   昨夜芸術劇場でフランクフルト国立管弦楽団のコンサートが開かれた。
   曲目は、サービス満点で、「未完成」、「皇帝」、「田園」、そして、アンコールは「フィガロの結婚・序曲」なので、客席には、小市民もちらほら、日頃、コンサート・ホールから足の遠ざかっていたクラシック・フアンも帰ってきた感じで、会場は華やいでいた。

   最初のシューベルトの未完成は、私には、極めて荒削りな演奏で、ドイツの無骨さが出た感じで、少し違和感を感じた。
   仕方がない、と言うのは、もう17~8年前に、アムステルダムで聴いたレナード・バーンスティンがコンセルトヘボウを振った「未完成」が忘れられないからである。
   芳醇な年代モノのボルドーの赤の様なコクとビロードの様に滑らかと言うか、えも言えない美しいサウンドをコンセルトヘボウから引き出し、モーツアルトとは少しちがうのだが、最後まで、天国からの音楽の様な「未完成」を聞かせてくれたのである。
   コンセルトヘボウは、世界有数トップクラスの楽団だと思うが、定期公演に3年通いながら、後にも先にも、あんなに美しいサウンドを聴いたことはなかった。

   「皇帝」は、ピアニストが、ジュリアードで学んで欧米で活躍中の「谷川かつら」。実に繊細で優しい、しかし、時には豪快なタッチでベートーヴェンに挑戦、爽やかな心地よい演奏であった。こうなると、さすがに、ドイツのオーケストラで、実に、ベートーベンの曲想の盛り上げ方が上手く、つきつはなれつ、ソロピアノをバックアップする。

   私は、この「田園」が、一番今夜のフル管が燃えた素晴らしい演奏だと思った。緩急自在、あの入れば抜け出せないような「黒い森」の雰囲気がチラッと現れたり、優しい牧場に連なる小さな森や小鳥の囀る田園地帯が展開される。女性楽員のフルートとオーボエのソロが実に優雅で美しい。
   やはり、ドイツの楽団にベートーベンを演奏させれば他の追随を許さない。音を飛ばすこともあるが、骨の髄から沁み込んだようなベートーベン・サウンドは、N響と言えども、この楽団には及ばないであろう。

   とにかく、有名すぎる名曲を揃えたサービスしすぎの演奏会、下手をするとダレテシマッテぶっ壊しになるが、指揮者の「浮ヶ谷孝夫」、実に上手く、フル管のドイツ魂と言うかドイツ気質を引き出して、縦横無尽に歌わせていた。
   最後のフィガロで、上手くダイナミックで劇的ななテンポに乗って演奏会を締めくくるなど、実にサービス精神満点であった。

(追記) 添付の写真は、フル管と関係のない某米国楽団のモノ
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海外雑記ー5   ニューヨーク   メトロポリタン歌劇場   

2005年05月17日 | 海外生活と旅
   昨秋、ニューヨーク旅行の準備で、真っ先にしたことは、メットのスケヂュール・チェックとチケットの手配である。2004-2005シーズンは、9月下旬に始まっているので、丁度、都合が良い。
   大体、海外旅行の時のスケヂュール設定からホテルの予約、チケットの手配など一切自分でやるので、メットのチケットも、当然、インターネットでホームページを開いて手配をする。
   ネット予約の開始時期が少し後だったので待ったが、予約可能なのは、ドミンゴの「ワルキューレ」、「カルメン」と「蝶々夫人」であったが、一日、ニューヨーク・フィルにでも行こうかと思ったので、ワルキューレとカルメンだけにした。
   ドミンゴがジークムントを歌って最上席のグランド・ティアが190ドル、2万円なので、急がなければと思って焦ったが、何のことはない、当日券も十分取れるほど空席があった。
   
   カルメンは、ロイヤル・オペラで、ドミンゴと「サムソンとデリラ」を歌って圧倒的な人気を博したロシアのオルガ・ボロディーナが歌うので期待していた。
   主席指揮者のレヴァインが、小澤征爾の後のボストンを掛け持ちした為に、ロシアのギルギエフが力を入れるようになるのか、ワルキューレもカルメンも主役をロシアの歌手陣が占めていて雰囲気が大分変わっていた。

   メットに始めて行ったのは、もう30年以上も前のウォートン時代で、フィラデルフィアから、ペン・セントラル鉄道のアムトラックに乗って何度か出かけた。最初は、確か「ラ・ボエーム」だったような気がするが、よく覚えていない。その後、ニューヨークへの出張の時に、付き合いをキャンセルして何度も出かけた。コベントガーデンに続いて良く行った劇場である。
   
   トーランドットで、フランコ・コレルリのカラフを聴いたのも、カール・ベームの「薔薇の騎士」に感激したのもこの劇場だが、別な「薔薇の騎士」の時に、時間に遅れて一幕をミスり、地下の小さなモニターテレビで、パバロッティのイタリア人歌手を聴かざるを得なかったのが残念で仕方がなかった。
   あの頃、まだ、アンナ・モッフォが歌っていて、「パリアッチ」のネッダを聴いた。ケネディ夫人ジャックリーヌとパーティで悶着を起こして「私が美人だから嫉妬したのよ」と言ったとか言わないとか、兎に角、凄い美人で魅力的なソプラノであった。天は二物を与えず、はウソである。

   兎に角、思い出深い劇場で、オペラを本当に好きになったのは、このメットのお陰かも知れない。正面左右の大きなシャガールの美しく幻想的な壁画を見ながら、何時もそう思う。
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今年最後の椿・王冠

2005年05月16日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   昨年9月から、入れ替わり立ち代り咲いてくれていた椿。
   この蘂が大きくて、花弁が控えめな「王冠」が今年庭に咲く最後の椿。
   他の椿は、一斉に元気に新芽を出して若葉が萌えている。
   暑い夏が終わると、また、椿の季節がやって来る。
   どんな花が咲いてくれるのか、待ち遠しい。
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グリーンスパン議長のウォートン・スピーチ・・・退任示唆だけではない貴重な演説

2005年05月16日 | 経営・ビジネス
   今日の朝刊は、日経を筆頭に、グリーンスパンのウォートン・スクールのMBA授与式でのスピーチ草稿をFRBから受け取って、ほんの冒頭部分”I have more in common with you graduates than people might think. After all, before long, after my term at the Federal Reserve comes to an end, I too will be looking for a job." だけを読んで、退任を報道し、次の議長は誰か等誰でも知っている分かりきった記事で紙面を埋めていた。

   Wharton alumni 、と呼びかけているので資格ありと思ってFRBのホームページから草稿をコピーして読んで見た。示唆に富んだグリーンスパン哲学の片鱗が垣間見えて興味深いので、纏めてみたい。
   
   60年の自分の軌跡を振り返りながら、次代を背負う新MBAに対して、
「行動を規制するルールはあるが、ルールは人格の代わりにはなれない。これからは、人生やビジネスでの成功を決定するのは、誠実さ、思慮分別、その他人格の高貴さ等に対するレピュテーション如何になるであろう。自分達の子供達に、どんなに成功していても、それは正直に、そして、生産的な仕事(work)をした結果なのだと言うことを、そして、自分が遇して欲しいと思う通りに人を遇してきたのだと言えるようになって欲しい。」と言う。
   最初から最後まで、倫理(ethics)をメインテーマに、過去のアメリカ資本主義を振り返りながら、今日のビジネス・エシックスを語って、餞としている。
 
   情報技術の進歩によって巨額の金融資産取引が瞬時に的確に処理されるようになる前は、かなり多くの取引は違法に行われていた。取引の妥当性は、当事者のトラスト(信頼?信用?)に置かれていたのである。
   商取引の必須条件としてのトラストは、19世紀に顕著で、正直に取引すると言うレピュテーションが価値ある資産であった。
   多くの問題はあったが、倫理的な商行為が規範であり、企業統治に大きな問題がなかった故に、今日のアメリカの高い生活水準と生産性の高さが確保されてきたのである。

   今日の企業不祥事は、雁字搦めの法制度でも裏をかくモノが居ることを示し、再び、ビジネス慣行におけるトラストとレピュテーションの重要性とその価値が浮上してきた。
   企業不祥事が摘発されると、企業の信頼性が疑われてレピュテーションが地に落ち、市場は、その企業の株やボンドを暴落させて鉄槌を振るう、良い解毒剤である。

   The Sarbes-Oxley Act of 2002は、会計原則に基づく証明だけでは不十分であったのを、CEOに、会計および情報公開手続きの健全性を証明する明確な責任を課すなど企業経営の健全化に大きく資した。
   株主が会社の所有者であり、経営者は経営資源を最大に活用し株主に貢献すべきであるとの基本原則を強化した。
   しかし、経済が成長し企業が大きくなると、一般株主のコントロールは消滅し、役員選任等は一握りの少数株主が握るなど、株主の目的は、本来の企業のオーナーではなく投資者に変わり、経営は益々CEOの双肩に掛かってくる。

   ところが、IT革命による情報システムの進歩によって、企業の誰でもが重要情報にアクセス出来るようになって情報が拡散してしまい、今まで重要な経営情報を握って経営戦略を自分達だけで打ち立てていた特権を経営者から奪ってしまったのである。
   その結果、CEOは、益々、これまで以上に注意深く経営を行いモニタリングしなければならなくなった。倫理規範が必須要件なのである。

   高い倫理観と高貴な企業目的を持って、正直に誠実に正しく生きよ。今一番求めれれているのは、高い倫理観を持った経営者であることを、若いMBAに強く訴えたかったのであろう。
   
最後の、60年の経験を総てさらけ出してアドバイスをすると言って述べた言葉、
   「I could urge you all to work hard, save, and prosper. And I do.]

   蛇足ながら、
   「自由市場資本主義システムは、経済の総ての当事者が、最善の結果を確保する機会が与えられなければ、十分効率的に機能しない。
   総ての人々に機会を与えることに成功すれば、わが国富は、もっと豊かになることは殆ど間違いない。」
   金融操作の卓越した舵取りグリーンスパンは、リベラルな自由平等主義者、案外、レッセフェール、金融を操作することではなく、人々の経済感覚、気持ちの動きを操作していただけなのかもしれない。
   
   
   
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蜷川幸雄の華麗な舞台・・・ロンドンでの評価あれこれ

2005年05月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   蜷川演出の舞台が、ギリシャ悲劇をアテネでやり、シェイクスピア戯曲をロンドンでやって、本場の聴衆を感動させ熱狂させるのは、やはり、蜷川の人間の本質を追求しようとする普遍性のような気がする。
シェイクスピア戯曲の本拠地・ロイヤル・ナショナル・シアターで「マクベス」を、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの当時のロンドンのメイン劇場・バービカンで「テンペスト」を演じて、ロンドンの聴衆の拍手喝さいを浴びるのは、至難の業、大変なことをしでかしていたのである。
   
   国際的な指揮者・小林研一郎氏が言っていたが、ロンドンの聴衆は一番怖い、聴いてやろうじゃないかと言って待ち構えている、と言う。悪ければ、何時でも叩き落してやると言うことである。
栗原小巻のマクベス夫人が、ロンドンであれだけ高く評価され認められたのは、蜷川演出のみならず、栗原の女優としての研鑽と卓越した芸術性の賜物であろう。  
   
   松本幸四郎が、「王様と私」をサドラーウエールズ劇場で演じ、華麗な舞台で聴衆を引き付けていたが、ユル・ブリンナーの亡霊が余りにも強くて、ロンドン公演では恐らく孤独であっただろうと思う。(蛇足ながら、晩年のユル・ブリンナーの王様と私の舞台をブロードウエイで観たが、幸四郎の方が遥かに輝いていた気がした。)
それだけ、演劇の本場、英国の舞台芸術を見る目は厳しく、ここで喝采を浴びるのは大変なことなのである。
6代目菊五郎が、ロンドンで鏡獅子を演じて聴衆を唸らせたいと熱望しながら、船旅4ヶ月の為諦めたと言う、その思いは良く分かる。
   
   余談ながら、コベントガーデンのロイヤル・オペラに通っていて、ロンドンのオペラは、流石シェイクスピアの国だけに違う、演劇性があり役者としても上手い、と感じたことがある。イギリス人オペラ歌手(多くはウエールズ人)には、舞台俳優としての素質がきわめて濃厚であるのみならず、演出にも、聴衆の要求にも、舞台芸術としての面白さが求められるからであろうと思った。歌が上手いだけの大根オペラ歌手は嫌われると言うことであろうか。ギネス・ジョーンズやトマス・アレン等は、正に秀逸。
DVDで、ロイヤル・オペラとメトロポリタン・オペラを見比べれば、何となくそれが分かる。
   もう一つ、ハリウッドの有名な映画俳優の相当多くはイギリス出身・シェイクスピア役者出身者であることを付記しておきたい。   

   その蜷川が、著書「千のナイフ、千の目」で、1991年グローブ座の準芸術監督になる話が出た時、日本のシェイクスピア学者がロンドンに抗議レターを出したのを英人が笑っていた、と書いている。
蜷川への日本での評論家の悪評は可なり辛らつなようだが、舞台芸術での日本人の世界的芸術家に対する評価については、何時も疑問に思っている。

   極端な例が、ウイーン国立歌劇場監督の小澤征爾に対する日本の評価。
私は何十年も前に、フィラデルフィアで聴いたボストン交響楽団とのブラームスに涙してフアンになったのでバイアスが掛かっているが、頂点に上り詰めた小澤に対して、いまだに、全くオペラをクラシック音楽を分からない輩(これが結構、その道の権威者とか有名音楽評論家であったり日本の音楽エスタブリッシュメント)が、悪意に満ちたとしか思えない評論や物言いをしている。

   小澤のイギリスでの評価の一例を紹介しよう。
ロイヤル・フェスティバル・ホールでのロンドン交響楽団の演奏会でのこと。当日、小澤がボストンから来られなくなって代役指揮者で演奏会を行うことになった。ソリストは、世界的チェリスト・ロストロポービッチ。
   演奏会当日、チケット捥ぎりの係員が、入場者の一人一人に、詫びながら「マエストロ・オザワが来られません。ご希望なら払い戻しいたしますが如何でしょうか?」と聴いていた。50センチしか離れていない後の家内にも言っていた。
   指揮者やソリストの変更は日常茶飯事でオペラやクラシック・コンサートの宿命、5年以上ロンドンの劇場に通ったが、後にも先にも、こんな光景は見たことがない。

   打っても打たなくても嬉々としてイチローや松井の事を放送しているNHKのアナウンサーを見ていると、舞台芸術の世界は、何故、こんなに陰湿なのかと思うが、如何であろうか。

   余談ながら、実際にあった面白い話。
コバケンが、ある日、演奏会当日プログラムを変えて演奏した。
翌日のコンサート評には、元のプログラムの曲の評が出ていた。
評論家先生、コンサートに来ずに、あてずっぽうに評論したのである。
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シラン(紫蘭)が咲いています

2005年05月14日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   何年か前に下草のように植えたシランが、いつの間にか大分庭に広がりました。
   一年に一球づつ増えるとか、赤紫の綺麗な花が木陰から顔を出しています。
   昔、シンビジュームを育てましたが、苦手で、ランは庭植えに限ります。
   イグアスの滝のしぶきを受けて、高木に絡み付いて咲いていた綺麗なランの花が光り輝いていたのを思い出します。
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大法螺を吹いて士気を高揚する意欲経営・・・早食い競争が入社試験

2005年05月14日 | 経営・ビジネス
   昨日、帝国ホテルで開かれた日経主催のデットIRシンポジューム「企業トップが切り開く経営・財務戦略」に参加した。
   要するに、銀行団による企業向けのシンジケート・ローンのことで、特に今回は、銀行団から魅力的な条件で希望以上の融資額を引き出す為に、如何に、銀行団に対して有効かつ適切なデットIR、すなわち、企業説明会を開くか、に重点を当ててシンポジュームが開かれた。
   
   今はやりの個人投資家向け個別企業のIR説明会の銀行版だが、この市場型間接金融の広がりの中で、一橋の伊藤邦雄教授から、「企業価値」を高める為に、経営の中核概念として、「価値創造、アカウンタビリティ、リスク・マネジメント」を企業ミッションに据えながら如何に必要適切なDebt IRを行うか等について講演があった。

   興味深かったのは、全く本題と離れた日本電産の永守重信社長の講演「夢の語り方~夢を形にするのが経営」であった。

   「企業の業績等良し悪しは、80%社長の責任。
    社長は、大法螺を吹いて社員を鼓舞して意欲を持たせ、その法螺を徐々に夢に近づけて行って実現させる、これが使命で、日中から小さな穴に玉を入れていることではない。」

   三協精機を例に挙げて、
   「年間100億円の赤字を、一年で100億円の黒字にしたのは、奇跡でも魔法でもなんでもない。
    腐りきって意欲をなくしていた社員に、「欠席せずに会社に来てくれ。会社の中を綺麗に掃除をしてくれ。」と2点だけ言って実行させただけである。
    23社企業を買収して経営を立て直したが、その企業の持っている「技術」さえ確実であれば、これで社員の意識改革は1年で出来、総て業績は回復してきた。」

   「創業時に、新人の採用が困難なとき、親父が兵隊は早食い早グソが優秀なのだと言ったのを聞いて、入社試験で早食い競争をして採用した。早食いしか能のなかった社員が、いま世界一の小型モーターを作って世界の市場を押さえている。
    新入社員の成績表等は人事部で封印して、後年、社員の業績等と比較しているが、社員の優秀性と学校の良し悪し成績の良し悪しとは、82%全く関係ない。
    意欲のない東大卒より、意欲満々の名もなき学校卒の社員の方が優秀なのは言わずもがなである。」

   企業において、人財(人材ではない)のモチベーションを高めて鼓舞しフル活用することが如何に重要かを語って余りある実に含蓄のある講演であった。

   特に感銘を受けたのは、「技術は確立するのには10年は掛かる」との言で、技術の良し悪しを見て企業買収すると言う戦略の確かさである。
   日本には、素晴らしい技術を持ちながら資金や経営の不味さ等で活路を見出せない企業が多いと聞く。
   IT時代、情報化産業社会、ソフトに価値のある知価社会等など色々言われているが、やはり、日本の生きる道は「ものづくり日本」、戦後血の滲む様な努力をして蓄積してきた日本のものづくり・生産の技術を大切に立国を考えることであろう。
   急速に変化するこの情報化社会で、技術は10年と言う、技術は掛け替えのない企業の財産であることを、もう一度認識させてもらった。    
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中村勘三郎の極めつけ「髪結新三」・・・生きでキザなアウトロー

2005年05月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   3ヶ月続いている「中村勘三郎襲名披露公演」の最終月、連日殆ど満席の状況で、勘三郎人気で木挽町は賑わっている。
   今回は、中村屋のお家芸「髪結新三」を見たくて昼の部を見に出かけた。絶品の玉三郎の鷺娘を見たかったが、ロンドンで見たあの華麗な鷺娘を忘れたくないので、意地を張って夜の部は諦めた。
   
   「親父には手取り足取り教わったことがない。父の芸を身につける手段は模倣だけ、瞬きをするのも惜しんで観ていた。」
   初役髪結新三を演じるそんな勘九郎に、自分で呼吸も出来なくなっている死の床から、勘三郎は、自分で教えるんだと言って、自ら当たり役の髪結新三を教えた。
   ベッドに寝たまま、酸素吸入のビニールの仕切りの中で、台詞や動きを教えた。動けば息が苦しくなるのに、それでも止めずに新三をやり続けた、と言う。

   家の再興の為に持参金付きの嫌な結婚を避けるためと称して、白子屋の箱入り娘お熊を誘拐して、身代金を騙し取ろうとする新三、口の上手い大家に言い込められて30両の半金を持って行かれる。
   根っからのワルだがドジで人の良い、何とも憎めない小悪党新三を、勘三郎は、実に颯爽と小粋に演じている。
   粋でキザな格好良い見栄、冒頭の忠七の髪を結う髪結の芸の細かさと巧みさは秀逸。

   ぽんぽん飛び出す活きの良いキザな江戸弁の啖呵が身上、それが、理屈と脅しすかしに弱く上げ下げ自在な悪辣な大家の説得に崩れて行く弱さを実に巧みに演じている。
   「店子は子も同然。大家は親も同然。」こんな白々しい台詞が宙に浮くようなそんな新三と大家の泣き笑いの駆け引きが客を引きつけ離さない。
   この新三、もう完全に18代目のお家芸18番である。

   特筆すべきは、老獪で一枚上の小悪党大家を演じる三津五郎の芸の巧みさ、素晴らしい熱演で勘三郎も引き込まれて苦笑交じりの受け答えが、また、しんみりとさせる。
   この三津五郎、その前の「芋掘長者」で橋之助とコミカルな芋掘り踊りを演じるが、実に芝居心の豊かな素晴らしい歌舞伎役者である。

   雄雄しく育ちつつある勘太郎・七之助の「車引」の梅王丸と櫻丸、それに、猿若座の芝居小屋前での変形披露の舞台「弥栄芝居賑」での菊五郎や玉三郎等の幹部連の勘三郎づくし等面白い趣向の5時間であった。
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蜷川幸雄の華麗な舞台・・・シェイクスピアも近松も

2005年05月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昨日のブログで、シアターコクーンでの蜷川「メディア」について書いたが、もう少し、蜷川演出について考えてみたい。
   
   イギリス人の聴衆の中で見た蜷川演出のシェイクスピアは、「マクベス」と「テンペスト」である。
   マクベスは、侍世界に置き変えた戦国の下克上を扱っていて、栗原小巻のマクベス夫人が秀逸であった。今回の「メディア」も栗原小巻だったらどうかと考えて見たが、もう少し時代がかったウエットなメディアが見られたかもしれない。
   
   テンペストは、佐渡の能舞台をセットにした幻想的な演出で、隣人の英人アーキテクト夫妻も感激していた。
   どこか歌舞伎を見ているような錯覚を覚えたが、白人の男性歌手だけで演じられたオペラ「パシフィック・オーバーチュアー」をイングリッシュ・ナショナル・オペラで見たのを思い出して、日本人役者だけでやっているから様になるのだと思った。
   
   この2作とも、日本の幽玄的な美しい舞台に置き換え、照明や音楽を有効に活用した蜷川の凝った演出だが、イギリス人には全く熟知しているシェイクスピアなので、日本語の台詞でも観衆の反応には全く違和感がなかった。
   シェイクスピアの場合は場面展開が速いので、英国ではセットに凝った舞台は殆どなく、極めてシンプルな舞台で、役者の台詞と演技で魅せるのが主体であるから、蜷川の様に幻想的でエキゾティックな美しい演出には、新鮮な楽しさと喜びがあるのであろう。
   
   真田が道化を演じていた「リア王」は、日本で見た。マクベスで来日していたサー・アントニー(アントニー・シャー)に、どうだったかと聞いたら「良いとは思わない」と言っていた。何故だと聞くのを失念したが、NHKのドキュメンタリーでも放映していたように、このリア王については、英国でも賛否両論があったらしい。
   英国のシェイクスピア役者に演じさせた日本的なフレイバーの効いた演出に違和感があったのかもしれない。
   
   ついでながら、アントニーに、素晴らしいマクベスを演じたのだから、次は、オテロですね、と聞いたら、オテロは色の黒い役者が演じることになっていて自分は出来ないのだと面白いことを言っていた。
   数年後に、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーと再来日した時は、素晴らしいイヤーゴを演じていたのでなるほどと思った。しかし、昔は、ローレンス・オリビエが演じていたのに。
   
   ところで、逆に、全く人種的な偏見が少ないのか、イギリスでは、RSCやロイヤル・シアターの舞台でも、かなり黒人のシェイクスピア役者が主役を演じていることがあり面白い。

  

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蜷川幸雄演出のギリシャ悲劇「メディア」・・・迫力ある舞台

2005年05月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   蜷川幸雄がにギリシャ悲劇「王女メディア」とシェイクスピア戯曲「マクベス」を、ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターで英国人の喝采を浴びたのは、もう15年以上前の話、この時は、男ばかりのメディアで、衣装も日本的で派手であった。
   私は、仏壇を額縁状に使った舞台で、戦国時代の日本の小藩に置き換えた「マクベス」を見て感激し、蜷川劇のフアンとなり、その後、ロンドンでも東京でも結構蜷川作品を楽しんでいる。
   
   今回のこのエウリピデスの悲劇「メディア」は、全くのギリシャを舞台にした新演出。
   高い城壁風の壁に三面を囲まれた中庭にある睡蓮の咲き乱れる池が主舞台で、正面奥に部屋に通じる階段の踊り場と、舞台正面客席との境界だけで演じられる休憩なしの一舞台構成である。
   畳み掛けるような演出のテンポが、大竹しのぶの小気味良い演技にマッチしていて、カラッとしたギリシャ悲劇となっていて面白い。巫女の神秘性、女の激情、決然とした女王の威厳、子供への細やかな愛情、兎に角、長台詞を淀みなく鉄砲玉のように連発しながら、瞬時に変わる豊かな表情を使い分ける大竹の天性の芸の素晴らしさは格別であろう。
   最後の悲劇のクライマックス自分の子供を殺害する場面は、舞台の陰で声だけで演じられ、最後の父親イアソンとの対面には、中空に浮かぶドラゴンに二人の子供の亡骸を両手に抱えたメディアが現れる。
   不思議なのは、メディアの乗ったドラゴンが消えてしまうと、最後の幕切れで、舞台のバックが開いたかと思うと駐車場が現れてコカコーラのマークを付けた白い貨物車が見える。
   昔、ベニサンピット劇場で見た蜷川の「真夏の夜の夢」も、竜安寺の石庭風の舞台のバックが開くと、倉庫の向こう側の道路が見えて車が走っており、俳優達が道路に出て演じていたのを思い出した。(私見・現在との同時性を意図しているのなら、蛇足だと思う。ピカソとは違う。)
   今回のこの舞台は、ギリシャ劇の特徴コロスの群集15人の子供を抱えた老婆を上手く使っていて演出を緩急自在に盛り上げていて面白かった。
   兎に角、世界のニナガワ、何を見ても何時も新しい試みがあって実に興味深い。

   余談ながら、私のメディアのイメージは、パゾリーニ監督の映画の「マリア・カラス」。
   あの荒れ果てた月の世界の様な大地を舞台に、激しさと妖艶さとえも言えない気品を持って巫女の様な王女メディアを演じる20世紀最高のオペラ歌手「マリア・カラス」の凄さを忘れることが出来ない。
   残念ながら、マリア・カラスの舞台は、ジュゼッペ・ステファノと最後のジョイント・リサイタルだけしか聞いていないが、オペラの舞台を見たかったと思っている。
   
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