熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

羽衣

2005年05月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   華やかに咲いていた羽衣一族、白羽衣、紅羽衣は、新芽で青くなり、
   今、羽衣仲間の最後の花が咲いています。
   淡い桃色の何とも言えない優雅な花弁。
   飛びついて椿の花を殆ど落とした小鳥達も、何故か今度は近づきません。
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対独戦勝60年記念式典・・陰の歴史

2005年05月10日 | 政治・経済・社会
   第二次世界大戦で戦った旧連合軍と旧枢軸国の代表が同席して祝われたロシア・プーチン主催の「対独戦勝60年記念式典」が、9日クレムリンの赤の広場で開催された。
   何故か、英国のブレア首相が居ない。タイムズの「クイーン、ブレア欠席」の字が意味深である。

   ところで、電子版だが、モスクワ タイムズ(The Moscow Times)が、他の欧米メディアと違った興味深い報道をしているので、触れながら今回の記念式典の問題を考えてみた。

   豪華な式典であったが、多くの世界の指導者を集めたと言うプライドだけでプーチンには何も残らなかったし、クレムリンの外交的成功もそれだけである。
   ブッシュとの会合も、何の新しいアグリーメントもなく政治的な飛躍的前進もなくロシアにとっては何の実質実もなかった、EUロシア・サミットの方が有益である、と酷評している。

   興味深いのは、 スターリンについて。ナチからの救世主だと信じている多くのロシア人が居るので、名指しはしなかったが、プーチンが、1941年に、抑圧によって国の存続が危うくなったとスターリン批判について言及していることであるが、AP電以外は触れていない。

   問題の核心は、ポーランド分割とバルト諸国の併合支配を取り決めたモロトフ―リーベントロップ協定に関する取り扱い。
   1941年のヒットラーのソ連侵略により、同協定は解消さてたと、外交筋や議員のロシア政府の協定認知拒否承認や、1941年のソ連最高裁での同協定の秘密条項の終結宣言について触れてロシアは問題解決済みと考えていること。
   また、ソ連は占領者ではなくむしろ解放者なのだと言うEU公使の見解や、バルトの人こそドイツ側に立って戦ったのではないかと言ったロシアの見解を紹介しながら、これ等のソ連の一方的な見解が、益々、バルト諸国や東欧の怒りを煽っていることにも言及している。
   対戦終結後併合されたバルト諸国からの占領のお詫び、補償、領土の返還要求の高まりに、ロシアとしても協定の否定に逡巡しているのだと本音を覗かせている。

   いみじくも、New York Timesは、プーチンが、ヒットラーへの勝利は、ヨーロッパの自由への開放だと言っているが、自由ではなく別なイデオロギーによる抑圧をもたらしたのだと言うポーランドやバルト諸国の見解を引用している。
   歴史認識の問題は、どこの国も根が深いのである。

   ブッシュについては、ラトヴィアやグルジア訪問への不快感を示しながら、テロ対策と核拡散防止についてロシアの譲歩を引き出さねばならないので、強くプーチンに当たれない状況を報道。
   米国の最大の関心事は、ロシアの核工場・核施設への米国調査員による査察だが、ロシア国内の強烈な反対について言及している。

   他に、大国意識を発揚したいロシアとしては、ザンクトペテルブルグ300年祭より、もっと派手な式典をやりたかったが、第二次世界大戦におけるソ連の役割については、世界的に必ずしもポジティブに受け取れれている訳でもないので、あの程度に終わったこと等、一寸、ニュアンスの違った報道があり興味深い。
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「民間でやれることは民間で」は正しい施策か・・・JR西日本の尼崎の大惨事

2005年05月09日 | 経営・ビジネス
   小泉首相は、「民間でやれることは民間で」と唱えて、道路公団の民営化や郵政民営化政策を柱に構造改革を進めて来た。
   サプライサイド経済学の信奉者竹中大臣を起用して、不良債権の処理等市場原理主義に基づいて果敢に経済政策を打ってきた。
   経済は一進一退、少しは不況から脱出して明かりが見え始めたが、小泉政権の経済運営宜しきを得て良くなったのかは疑問で、
「小泉政権が苛め抜き自力再生しか生きる道が無いと悟った民間企業が、血の滲む様なリストラとコスト削減、起死回生のイノベーションを追求し経営革新を実施した結果、企業業績から良くなり、米国や中国の好況に支えられて経済は少しは持ち直した」と言った分析が大方のところであろうか。
   ガルブレイスが、経済政策に関係なく、経済は、良ければ悪くなり、悪ければ何時か良くなる、と言っている。後知恵で、理論の構築は幾らでも出来るが、こうして経済は循環を繰り返してきたのである。

   所で本題だが、先日、TV番組で、ビル・トテン氏が、JR西日本の尼崎の大惨事について聞かれた時、「利益第一主義の民営化をしたから事故が起きたのだ。」とコメントしていた。
   至上命令である株主の為に何よりも優先して利益を追求する、これが資本主義の民間企業の使命であるから、違法すれすれ、安全や危険すれすれの綱渡り状態の利益優先経営を行うのが経営者の責任であるから、事故が起きて当然、何故、民営化したのだ、と言いたかったのであろう。

   ガルブレイスが、もう何十年も前に、「ゆたかな社会」の中で、ソーシャル・バランスの概念を導入して、官民のバランスの欠如・乖離について言及している。
   要らない物でも買わせる為に湯水の様に広告宣伝費を使える民間企業は伸びるが、誰も喜んで納めたくない税金で賄う公共部門は惨憺たる状態、たった一人の人間を運ぶのに華麗な尾びれの付いた6トンの鉄の塊が必要か?と言っている。

   社会の貧富の差をなくし皆が平等に豊かに暮らせるために厚生経済政策や、公害等の不経済要因を除去する為の政策などで市場原理主義を矯正しながら、資本主義は生き永らえてきた。
   しかし、再び、貧富の差の拡大や巨大企業の経営倫理の退廃等資本主義の矛盾が露呈し始めてきた。
   何が国民の幸せにとって大切なのか、それを守るためには如何にすべきなのか、国家が国民の安全と幸福の為に死守すべき公益や公衆の保護について、ジックリ考えてみる必要があると思われる。

   米国では、ブッシュ政権以降、本来公共部門として質の確保を優先すべき軍事や教育、医療・福利厚生の分野まで民営化が進み過ぎて問題を引き起こしている。
   日本の場合は、国家・官僚管理が進みすぎた社会主義国家(?)であったので、民営化を進めて競争原理を導入して経済に活を入れるのは極めて重要なことである。トテン氏の言う国鉄民営化は悪いとは思わないが、しっかりした定見の無いアメリカかぶれの、何でも「民間に出来ることは民間で」と言うお題目を唱えながらの無節操な民営化教を進められるのは迷惑である。
   
   不謹慎かも知れないが、道路公団の民営化と郵政の民営化については、どっちに転んでも、骨抜きにされてしまってそれほど変わらないと思うので、期待はしていない。
   しかし、今回、両問題を、国民の俎上に上げて、利益や競争原理など経済・経営原則を無視した政界と官僚仕事にメスを入れて、国民挙って問題点を認識しながら、少しは良くなったと言う機会を得た事実は極めて貴重だと思っている。
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ミヤコワスレ

2005年05月08日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   20年ほど前に庭植えしたミヤコワスレ。
   8年間もヨーロッパに居て留守にして忘れていたミヤコワスレ。
   一株残っていたのか、椿の木の下から顔を出しました。
   春に咲く青紫の菊の様な優しい花、忘れていなかったのですね。
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GMとフォードの格付けダウン・ジャンク債に転落・・・一つの資本主義の歴史の終わり

2005年05月08日 | 経営・ビジネス
   S&PのGMとフォードの格付けダウンについて、Lehman BrosのJack Malveyは、「コーポレート・アメリカにとって、ブルーチップ会社が、投資格付けの水面下に没した悲しい日。」と言い、The Economistは、「ジャンクの二つの塊り?」の記事の中で、「最早、倒産はありそうに無いとは言えなくなった。」と書いている。

   20世紀の工業化産業社会を切り開いたフォードのT型車によるオートメーション大量生産方式も、「GMにとって良いことは、アメリカにとって良いことだ。」と豪語した世界最大のグローバル企業であったGMも、正に巨大な資本主義経済の象徴であったが、もはや、過去の物語になったのであろうか。
   野口悠紀雄教授が、デトロイト訪問で、GM本社やその佇まいを見て、もうここには明日は無いと感じたと述懐されているが、その凋落ぶりは、外観だけでも分かると言うことであろうか。

   BusinessWeekのS&Pの格付けレポートを読んだが、多少の差はあるが両社とも殆ど共通しており、結論は、「将来予想は、弱含み(Negative)。財務状況は、不安定で予測不可能。北米市場でのマーケット・シェア下落、将来の新製品の魅力のなさ、労働争議、及び/または、一般経済状況の悪化が、最終的に、格付けを危うくしている。」と言うことである。

   冒頭に、利益に貢献していた多目的スポーツ車(SUV)の販売下落と利益圧迫に言及している。要は、経済社会の急激な変化と移り行く顧客のニーズを読みきれず、魅力的な新製品を開発して提供できなかったこと、即ち、イノベーションを忘れて経営革新を怠った過去の遺物的な経営の問題であろう。
(iPodに先を越されたSonyと同じ、革新的な最高のものを最も早く提供するイノベーターとしての人気消失)

   ブランド・イメージの凋落が、更に拍車を駆けて、北米市場でのマーケット・シェアの下落を招き、工場閉鎖、レイオフ等コスト削減で経営悪化を乗り切ろうとするが、ヨーロッパ事業の赤字、寛大な健康保険給付やUAWとの労働争議等の問題(フォードの方は、過去債務等厚生労働コスト過重)もあり、自動車事業の方は、ブレイク・イーブン、収支トントンであろう。
   収益の方は、自動車金融のGMACやFord Creditで生み出しているが、これも格付けダウンや金利上昇で悪化するであろう。

   The Economistは、両社とも、当面は十分なキャッシュを保有しており、格付けダウンが、近い将来の経営を圧迫するとは思えないが、今後、本業でどれだけ収益を生み出し、過去債務等のコストがどれだけ増えて行くのか、どこまで生きてゆけるのかが問題であると論評している。

   アメリカで20世紀前半に大企業で、今日生き残っている企業は極めて少ない。
GEは、ジャック・ウエルチによって生き返ったが金融会社に変わってしまった。IBMは再生した優良企業だが、IT関連では後塵を拝している。
   時代を画したGMとフォードの経営悪化は、資本主義の一時代の終わりを象徴している。アメリカ資本主義は、主役が入れ替わりながら、ダイナミックに前進し続けている。色の変わったスローンJrの「GMとともに」を撫ぜながら感無量である。

   
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ダイムラー・ベンツの歴史の輝き・・・最高品質と安全技術の追求

2005年05月07日 | 経営・ビジネス
   S&Pが、GMとフォードの格付けを、ジャンク債並に下げたと経済界を騒がせている。
   手元に、学生時代に使ったA.P.スローンJr.の「GMとともに(My Years with General Moters)]があるが、「GMにとって良いことはアメリカにとって良い事だ」と豪語した社長も居たが、正に、今昔の感である。

   さて、御堀直嗣氏の著書「メルセデスの魂」を読んでドイツの自動車の卓越性を改めて感じて、なぜ、消費と機械文明に走ったアメリカとマイスター重視の技術に徹したドイツとの差がこれほど開いたのかを考えてみた。尤も、実際には、ダイムラー・ベンツが、クライスラーを吸収してダイムラー・クライスラーになった時点で勝負がついていたが。
   自動車と云えば、余りにも、オート時代を形成したフォードのT型車のオートメーション大量生産方式とGMによる世界制覇が花ばなしかったので、アメリカに目が行きすぎているが、実は、カール・ベンツが1886年に、「パテント・モトール・ヴァーゲン」と言う三輪自動車を特許取得・生産したのが歴史の始まりである。

   御堀氏の本には、ベンツとダイムラーの成立から、第一次世界大戦によるドイツ経済の壊滅とフォードの大量生産方式によって両社が経営危機に陥り合弁会社ダイムラー・ベンツ成立の経緯等、「機動性と実用性に優れ、エンジンが車体と有機的に一体化した自走車」と言うカール・ベンツの理念を追求し、「最高の品質、革新性、耐久性、安全性の4つ」を社是に最高級車路線を走って来た同社の歴史と成功の秘密が詳述されている。

   先行したダイムラー・ベンツが、BMVやフォルクスワーゲン・アウディ等の発展に手を貸した事実や、素晴らしいスポーツカーを作ったたポルシェがダイムラー・ベンツで育ち、ヒットラーの意向によってフォルクスワーゲンの開発に携ったことやフォルクスワーゲンがポルシェ車の土台になっていること等、また、スポーツカー開発で世界を制覇したこと、航空機開発や軍事技術の関わりなどドイツの自動車工業の歴史は興味が尽きない。 

   特筆すべきは、Mr. Safety ベラ・バレニー氏を起用し、戦前から安全思想を貫き、更なる自動車技術開発の為にイノヴェーションを追求し続けているダイムラー・ベンツの経営思想である。(尤も、国際経営は苦手で、クライスラーや三菱自動車経営では無能をさらけ出しているが。)

   ベルリンの壁が崩壊する前に、東ドイツに入り、古いアウトバーンを走ったことがある。対向車線間に仕切りがなく広大な直線のハイウエーが延々と続いていたが、第二次世界大戦で戦闘機の為の非常時用空港として使えるのは事実だと思った。
   認めたくはないが、ヒットラーが、「鉄道が交通革命をもたらし個人の自由を奪った。個人が計画によって自由に行動できる自動車とその道路を建設し、交通の自由を獲得しなければならない」として、広大なアウトバーン網を建設し、誰でも買える国民車フォルクスワーゲンを作った。偉大な卓見と言うか戦後の経済開発の原動力を予見していたのであろうか。

   ドイツの車も元々は、不便な鉄道や馬車の代替として企業家精神に燃えた偉大なマイスターが作り出したが、この2度の世界大戦が、ドイツの自動車の歴史に影響がなかったとは云えない様な気がする。

(追記)添付写真は、三菱自動車
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オオデマリの芳醇さ

2005年05月06日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   オオデマリは、清楚なコデマリと違って芳醇でたっぷりした雰囲気である。
   ミドリを帯びた小型の単色のアジサイが連なった感じであるが、実に優しい花である。
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海外雑記 4   ニューヨーク   メトロポリタン美術館 2

2005年05月06日 | 海外生活と旅
   メットでのもう一つの楽しみは、フェルメールを見ること。
   フェルメールの作品(偽作?も含めて)で残存するのは、36作品のみで、アメリカにある13の内5作品がここにあり最大のコレクションなのである。
   本国のオランダでさえ、アムステルダム国立博物館に4点、ハーグのマウリッツハイス美術館に3点の計7点しかなく、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに2点、ルーブルに2点、といった状態である。

   フェルメールを知らない人が日本には結構居るのだが、オランダのみならず世界中で、レンブラントと同時代の画家としてレンブラントに劣らず人気があり、世界の名だたる美術館で、その作品は至宝になっている。

   私が始めてフェルメールを見たのは、もう30年ほど前で、アムステルダム国立博物館の「牛乳を注ぐ女(キッチン・メイド)」。
   貧しい若い女が、パンを無造作に置いたテーブルの上の土鍋に、水差しの牛乳を注いでいる絵で、写真の様に緻密で正確で、特に、黄色のシャツの色が腕まくりした弛みにかけて微妙に黄緑から青に変わってゆき、その画面が光り輝いている、その繊細な美しさに感動してしまった。

   その後、ハーグに出かけて、昨年上映された「真珠の耳飾の少女」のモデルの原画「青いターバンの少女」やフェルメール最大(と云っても1m×1.2m)の「デルフトの眺望」を見て感激を新たにした。
   そして、フェルメールが一生を過ごしたデルフトの町を何度も歩いた。
   それから、欧米の旅行の徒時、フェルメールがあると聞くと美術館に出かけた。30点近くは実物を見ていると思う。

   フェルメールは、当時流行ったカメラ・オブスクラを使用したと言われており、写真のような精密な遠近法や微妙な光の表現に特色があり、その作品は、優しい光に包まれた静かさと平和な空気に満ちた「静謐な空間」と称されるとか。
   左手から柔らかい光が射す窓辺に佇んだ女性の絵が多いが、ミステリアスでどこか崇高な寓意に満ちた絵もあり、これが、4~50センチ四方の空間に凝縮されている。

   訪れた日は、本館が改装中で、このフェルメール5点と10点近いレンブラント等オランダ絵画は、地下の特別展示室に特別展示されていた。
   私は、何度も行きつ戻りつ、疲れれば中庭に出てベンチに寛ぎ、2時間ほど、フェルメールとレンブラントを楽しませて貰った。

   メトロポリタンにあるのは、一番最初にアメリカに入ったこの絵の「水差しを持つ若い女」と、「眠る女」「窓辺でリュートを弾く女」「少女」と少し解釈の難しい「信仰の寓意」の5点で、総て女性をモデルにした1尺四方か少し大きい程度のの小さな作品である。
   会場には、殆ど訪れる人もなく、素晴らしい時間を過ごせたと思っている。
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また黒椿が咲きました

2005年05月05日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鉢植えの黒椿が咲きました。
   園芸店で買った時のラベルはそのまま黒椿。何の椿なのか名前は分かりませんでした。
   咲いてみると、宝珠咲きの八重で崑崙黒とそっくりですが、優しくてか細い花の風情はブラックオパールに良く似ています。
   恐らく好事家が、両者を掛け合わせて新種を作出したのかも知れません。
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海外雑記ー3   ニューヨーク   メトロポリタン美術館 1 

2005年05月05日 | 海外生活と旅
   昨秋、アメリカ東部海岸を訪れた時、ニューヨークで何日か滞在し、メトロポリタン美術館で丸一日過ごした。
   フィラデルフィアから通ったり、出張の旅毎に訪れたり、私がまだ、大英博物館やルーブル美術館等を知らなかった頃に、最初に行った大美術館なので印象は強烈で、美術書で学んで知っている絵や彫刻を丹念に追って興奮した記憶がある。

   最初に入ったのは、エジプト美術展示室。大英博物館の様にミイラや棺桶のオンパレードや巨大な彫刻群が出迎える様な派手さは無いが、実に、珠玉のような素晴らしい作品が目白押しに展示されていて壮観である。
   
   今回強烈に印象に残っていたのは、ガラスと石で象嵌されたアラバスターの「王家の婦人の頭部をしたカノープスの壷」である。彫りの深い美しい婦人の頭部像で、大理石特有の淡くて鈍い輝きが品と優雅さを強調している。
   何故、今この像なのかと言うと、現在東京国立博物館で開催されている「ベルリンの至宝展」で、エジプト彫刻の「ティイ王妃頭部」を見たときに、メットのこのアラバスターを思い出したのである。
   
   実際の像は、黒光りのするベルリンの木製の彫像とは印象は違うが、雰囲気が実に良く似ている。
   アメンホテップ3世、即ち、イクナートンの母ティイから、妃のネフェルティティ等近親婦人の、あるいは、イクナートン自身の像だと諸説あるようだが、一番ティイ王妃に似ていると云われている。
   ベルリンのティイ頭部は、本当にエキゾティックで、エジプト的な顔をしていたが、この彫刻の顔は、コーカサイド系の顔であり、随分優しい雰囲気がある。
   ベルリンのティイ王妃の頭部彫刻を見た時に、実に懐かしく感じて見入ってしまったのは、この昨秋のメトロポリタン美術館での思い出があったからかも知れない。
   それにしても、エジプトの彫刻家の腕の凄さと確かさに驚嘆する。
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上野東照宮の牡丹

2005年05月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   毎年、正月の寒牡丹と春の牡丹を楽しむ為に、上野の東照宮に出かける。
   その頃、境内には色々な季節の花々も咲いていて目を楽しませてくれる。
   鑑賞の後、国宝の東照宮の屋根や五重塔を仰ぎながら床机に座って頂く甘酒が実に美味しい。
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日中紛争の顛末・・・傍目八目・米英のメディアの報道(その3)

2005年05月04日 | 政治・経済・社会
   今回の日中紛争の大きなきっかけは、歴史教科書問題である。しかし、極端な教科書を使用しているのは、極限られた小数の日本の学校であることを、中国のメディアは報道していないとThe Economistが書いている。
同じ様に、The Timesが、「11,102の日本の中学校の内、問題の教科書を使っているのは18校であるに過ぎない」と言及しており、この段階で、日本の歴史教科書が総て偏向していてそれが総ての学校で教えられているとの前提で行動している中国の抗議に疑問が生じてくる。

   The Times紙は、4月24日のTV番組で町村外相が、「中国の教科書は、中国政府の行った事は総て正しいと教えているように思える。」と語ったことを翌日の新聞で記事にしている。
   今回の日中紛争の最大の争点は、日本が中国を支配した第二次世界大戦の解釈の問題で、一つは、小泉首相の戦犯を合祀している靖国神社の参拝、もう一つは、日本の戦争での残虐行為を軽くあしらっている歴史教科書だとして、日本政府が、共産党を自画自賛している中国の教科書を精査する積もりであることを紹介している。
   中国の教科書は、日本の戦争での残虐さは扱うが、政治的粛正や毛沢東の文化大革命で何百万人の中国人の命が失われたことは一切触れていないとしている。

   ここからは私見であるが、得られる限りの情報では、報道の自由やチベットなどの少数民族弾圧等の人権問題などからも日本の方が遥かに民主主義的な国であることは間違いないようで、歴史教科書の共同研究を行い、徹底的に過去の歴史を洗い出せば、困る方は中国側であろうと思われる。
   実際に、これを拒否しているのは中国側の模様であるが、靖国神社問題は日本の宗教上の問題とするなら、究極的には、歴史教科書については、日中、韓国も含めて、共通の歴史認識に立って共通の歴史教科書を作る以外に解決は無いと思われる。

    あの困難を極めた、2度までも世界大戦を戦って国土を殆ど焦土と化したヨーロッパにおいて、不倶戴天の敵・ドイツとフランスが、過去の歴史について徹底的に検討分析して共通の歴史認識を確立し、共通歴史教科書を作った。
    そして、ドイツは徹底的に謝り徹底的に過去を償ってEU内での今日の地歩を築いたのである。
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庭にコデマリの花

2005年05月03日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   頼りなげにするりと伸びた細い枝に、雪柳のように、真っ白い小さなマリ状に花が咲いている。
   一つ一つの花は、5弁の小さな花で、真ん中に薄いクリーム色のオシベが密集している。
   今を盛りに我が物顔に咲き誇っていた椿が消えて、その後に、如何にも儚げで優しい花が咲いた、それがコデマリである。 
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日中紛争の顛末・・・傍目八目・米英メディアの報道(その2)

2005年05月03日 | 政治・経済・社会
   前回は英メディアを扱ったので、今回は米メディア、まず、Washington Post ,次に、New York Timesの報道について考えてみたい。

   靖国神社問題から入るが、「靖国神社は、日本の軍国主義、帝国主義の象徴だと、アジアの人々は考えている」と言うのが、大方の米英メディアの考え方である。

   靖国神社の博物館(遊就館の模様)の正面広間のゼロ戦、昭和天皇の軍服展示や、映画で、「パールハーバーをbattle for Japan's survivalとしていること、「兵隊達はお国の為に戦った。悪いことをしたと云えるか。」と云ったナレーションに触れながら、靖国神社を紹介している。
   靖国を平和の象徴、第2次世界大戦を大東亜戦争、中国侵略を中華事変などとしていることなどに、違和感を感じながら、
「靖国神社を、英霊を祭る為の場所として確信を持って使えるように、戦犯の名前を取り除こうとする試みがあったが、神社の首脳が、神道では、一度祭られた英霊を移すことは宗教上許されないのだとして反対した」として、日本にも、靖国を問題視する動きがあることに言及している。
   朝日の世論調査を引用して、多くの日本人(38%から48%に増加)や外国人が、小泉首相の靖国参拝に反対している、就任後、毎年参拝しているが、今年はまだ行っていない、としており、正面きって靖国問題については、論評を控えている。

   一方、「中国と韓国・北朝鮮は、反日プロパガンダを、国内の国粋的な炎を煽り、国家首脳への憤激を逸らす手段として使っているのには疑問の余地は無い。」としながら、
日本の軍国主義的な傾向の高まりに警告を発している。
   中国の軍事力強化や北朝鮮の核開発の前に、日本は、国連常任理事国入りの画策や軍事力保持の憲法改正を含めて、世界の政治舞台での役割強化や近隣諸国との島嶼の領有権など国家主権の主張の強化を始めたとし、
過去の歴史的な軍事的成功に関する出版物の増加、石原知事の韓国人の韓国植民地容認論等を例証しながら、ナショナリズムの高揚について述べている。

   経済力の台頭、軍事力の強化、地政学的影響力の進展等中国の大国化への脅威が、そして一方、日本の政治的、軍事的パワーの強化・台頭が、両国のお互いの恐怖になっており、両国関係が将来危険な状態になると、軍事的紛争もあり得るとのコメントを引用している。
   何れにしろ、日中紛争が、日本の戦後世界舞台への復帰、中国の世界舞台への登場を開いた非同盟国会議の第50回記念日となるアジアーアフリカ会議に暗雲を投げかけてしまった、と言う。

   さて、一方のNew York Times であるが、重複を避けると概略次のとおりである。

   小泉首相のスピーチについては、世界のリーダーの面前で行った所に意義があるが、これまでの日本の首脳のお詫びの内容から一歩も出ていない。これまでこの種の戦争のお詫びについては、日本のリップサービスだとして糾弾してきたが、今回も疑いの気持ちで聞いた。
   同じ日に、A級戦犯を祭る靖国神社の春の大祭に多くの国会議員が参列したことにより疑惑が深まってしまった。

   小泉首相の靖国参拝は、岐路に立っている。日中関係が最悪のこの時期に、参拝すれば中国の憤激を招くであろうし、参拝しなければ自民党支持の保守派や国民の怒りを買う。

   日本は、何度も謝っているが、靖国参拝や日本の侵略や大陸支配を軽く扱う教科書問題が、日本の誠実性を疑わせ続けている。
   日本は、国際的威信高揚の為に、国連常任理事国入りを目指しているが、今回の中国との紛争が、触れられたくない過去の歴史問題にスポットライトを当ててしまった。韓国、ヴェトナム、マレーシア、インドネシア等アジア諸国でのプロテストは、日本に対する危機的な批判である。

   以上、ニュアンスが違うが、アメリカの論評は、イギリスのそれより、一寸辛口である。
しかし、示唆している問題点の重要さを認識していないと大変なことになる。
新鮮味の無いお詫びスピーチが、何を意味するのか。
アクションの進展なく、力の政治と外交だけが走り出すとどう言う事になるのか。etc.


   
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ナツグミの花

2005年05月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   初夏に小さな長楕円形の赤い実を沢山つけるナツグミ、しかし、花は極めてシンプルで、淡い褐色の花さきは4裂に開いた小さな花である。
   赤い柔らかい小さな実、口に含むと甘酸っぱい。
しかし、ある日突然鳥達が群れたかと思うと、実は跡形もなくなっている。完熟して甘くなる時が分かるのであろうか。
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