熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日中紛争の顛末・・・傍目八目・英米メディアの報道(その1)

2005年05月02日 | 政治・経済・社会
   今回の日中紛争に関して、中国各地での激しい反日デモと4月21日のアジアーアフリカ会議での小泉スピーチ、23日の日中首脳会談前後に報道された、英国と米国のメディアの記事を電子版で読んでみた。
偏っているかも知れないが、岡目八目、比較的常識的な報道だと思うので、参考に纏めてみたい。

   最初は、一般的な概説からで、まず、英国のThe Economist、後に、The Times の記事に触れてみたい。

   激しい対日暴動が続発していたが、当初中国政府は、日本に対して弱腰になると、或いは、強く出て弾圧すると、暴動が反共産党運動に変わる恐れがあるので不干渉を決め込んでいた。
しかし、余りにも激しい対日デモで、1999年の米軍によるベルグラード中国大使館爆撃事件以来の激しいゼノフォービア(外国排斥)騒動の最大の暴発となってしまった。

   このままでは、日中関係を損なうのみならず、アジア近隣諸国に中国の経済的な拡大が軍事的安全に対する脅威にはならないと説得していたのが水泡に帰してしまう。
中国政府は、国民の激しい抗議運動が、国のイメージを損なうのみならず、政府の抑止が効かなくなって過激化すると反政府運動に転化することを恐れた。

   中国のリーダーは、この扇情的な行動を恐れながらも、日本の国連常任理事国入りと教科書問題に煽られた国民に対して、政府管理下にある中国メディアを説得して、日本の置かれた現状を客観的に報道し、紛争の原因を説明させるべきであったが、何もしようとしなかった。
   中国メディアは、小泉首相の靖国神社参拝だけに焦点をあてて、日本のほんの一握りの学校が極端な教科書を使用しているだけであること、そして、日本は戦争の行動については、何度も遺憾の意を表してお詫びをしていることを報道しないのである。
   過去20年間に、日本が膨大な経済援助を中国に与えている事なども殆どニュースにしない。

   日本との経済関係は深く、日本企業は中国で百万人以上の中国人を雇用しており、もし、日本企業が他国へ移動すれば、どれほど中国経済に打撃になるか、それにも拘らず、日本品不買運動を展開し、日本誘電争議を引き起こしている。

   こんな調子で、どちらかと言うと国際社会に馴染めない独りよがりの中国として批判している。また、他のメディアは、中国や韓国はことある毎に対日批判を政争の具として利用すると指摘している。
日本については、既知の事実で、良くも悪くも、これ以外の日本はないと言う論調であろうか。


   The Timesの見解も、前述のThe Economistに近い。

   日本は、ドイツほど深甚なお詫びをしては居ないが、これまで、村山首相を筆頭に日本のリーダーは、何度も何度も戦争の行動についてはお詫びを述べてきた。
憲法で、国際紛争を解決する手段として戦争を放棄しているのは日本だけである。
   少数の極端な右翼主義者は居るが、殆どの日本人は天性の平和主義者である。
日本は、最近まで、中国に対して最大の経済援助国であった。この点は、アジアーアフリカ会議に参加している受益国各国は、十分に熟知しているはずである。

   今回は、とりあえず両メディアの概説に止めたが、国際社会の一員として経験の浅い中国の悲哀を垣間見たような気がする。


   
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春の楓が美しい

2005年05月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   紅葉は、錦の秋に限ると云われるが、春の芽吹きの頃も、また、格別である。
野村など春に赤い葉を付けているもみじもあり様々である。
   この「大杯」は、秋には、大きな葉が真っ赤に染まって鮮やかだが、今、黄緑の柔らかい葉と共に、赤い花萼が飛び出て美しい。一足先に、トンボの様なタネをつける。
   学生の頃、宇治に下宿していて、平等院の土手が何時もの散歩道であった。紫色に映える山並みをバックに錦の紅葉が美しかったのを思い出す。
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ITは電気、鉄道と同じ産業革命牽引コモディティ・・・もはやITは戦略的経営資産ではない

2005年05月01日 | 経営・ビジネス
   2年前に、ニコラス.G.カーが、「ハーバード・ビジネス・レビュー」に、「IT Doesn't Matter(ITは重要ではない)」と言うタイトルの論文を掲載し、ITの重要性、そしてその戦略的経営資源としての価値は、益々低下していると指摘し、大論争を捲き起こした。
今回、「Does IT Matter? Infomation Technology and the Corrosion of Competitive Advantage(邦訳本タイトル ITにお金を使うのは、もうおやめなさい (ITは重要か。ITと競争優位の崩壊(腐食))」が出版され、更に、全米を巻き込んで議論に拍車がかかっている.

   ニコラス・G・カーの凄さは、IT革命を、過去の産業革命を牽引し一世を風靡した蒸気機関と鉄道、通信、電気等の様に、世界の経済社会を地球規模で革新した「共有化・標準化されたインフラ」と同列の、即ち、「完璧なまでのコモディティ」であると喝破していることにある。
丁度100年前の電気と同じ過程を経ており、ハードやソフトで蓄積し重装備された企業のIT資産は、ガス水道電気のような公益企業から買うサービスに転換する後戻りの利かない大シフトが始まっているのだと言う。
電気革命で勝ち残ったのは、電力会社、GEとウエスティングハウス社のみ、さて、IT革命ではどうであろうか。

   何時でも何処でも誰とでも・・・ユビキタス時代の標語だが、正に、このことがITのコモディティ性を云い得て妙である。ドラッカーも、ITの革命性は認めているが、インターネットには幻想を抱いていない。
インターネットは、時代を革命的に変えたが、エジソンの電信と同じ、通信手段の一つと言うことであろうか。
ハードは兎も角、ソフトウエアは、限りなく発展性と複雑性、そして、経営戦略推進のための多くの可能性を秘めており、コモディティではあり得ない、との一般論に対して、カーは、一つ一つ例証しながら丁寧に反論している。

   更に、カーの論点の冴えは、産業革命の牽引技術革新とした上で、ITを、経営問題として「企業レベル」で論じていること。
企業の新技術導入には、差別化と企業価値を高める為の「占有技術」と単独利用より共有による価値の方が高い「インフラ技術」とがある。
初期の段階では、ITを占有的技術として導入して創業者利潤を得た企業があるが、その後、普及につれ経営に対するIT導入効果は計測確認できなくなり、今後、コモディティ化が益々進展してゆけば、導入コストの方が高くなってコストパーフォーマンスが落ち、IT投資が、企業の優位性確保の手段にはならなくなる、と主張している。

   今後の経営は、ITは、電気と同じで、最低限度の標準的なユティリティ利用のIT技術の導入は必須だが、ITに「戦略的経営資産」としての幻想を抱くのではなく、コモディティと考えて対応することが大切だと言う。したがって、慌てて高い買い物をせずに徹底的にITコスト削減に努めること、CIO消滅が理想だとも云う。(何処の企業に、電気担当重役が居るか?)

   余談ながら、いまさら、「ハーバード・ビジネス・レビュー(日本語版)」最新版に、シュンペーターのイノベーションの定義が巻頭に出ていた。原典を読まずに、イノベーションを「技術革新」と誤訳した所に、今日までのイノベーションに対する日本の経営学・経済学上での理解不足と不毛な議論があったのだと思うが、このカーの本、イノベーション論としての価値も高い。
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