今日サンデープロジェクトで、食糧自給率をカロリーベースで考えるのはおかしい。金額ベースで算出するべきとする番組があった。こうした考え方は、農業の本質食料の在り方、世界的な食料問題を歪曲するものである。カロリーベースだけで考えるのが正しいとは主張しないが、最も食の問題を反映する方法には違いない。
世界の飢餓人口はほぼ10億と言われている。しかし食料は不足しているわけではない。20億トンの穀物が生産されているが、これを60億の人間に均等に配分すると、ほぼ1日100グラムになる。十分である。この穀物を購入できない人たちは、貧困の中にある。貧困には理由があるが、それは政治的な問題が大きくこのことばかりを問うわけにもいかない。
その一方で、先進国の家畜は大量の穀物を給与されている。家畜たちは、過肥にあえぎながら肉や卵や乳を生産している。飢餓にある人間と、飽食させられる家畜たち。これはひとえに穀物を購入する経済力の差にあるといえる。が、問題はそれだけではない。
安価な穀物を給与するのは、高価な畜産製品を生産するためである。先進国で消費する穀物のほぼ半分は家畜が食べている。こうした畜産の形態が世界の穀物市場を席巻し価格を吊り上げていると言える。言い方を変えると、貧国の食料を富める国がもっと美味いものを食べるために取り上げていると言える。
輸入する穀物は安価である。安価な穀物を与えて、消費者には高価な畜産物を供給するのが、上述の先進国の畜産である。こうした構造的な形態があるため価格ベースで自給率を考えると、当然高い数値となる。更に、この畜産体型は、肉では概ね20分の1にカロリーを落としてしまうことになる。これでは、食の正常なあり方を問わないことになってしまう。背景には勝ちたちの悲惨な姿がある。
更に、穀物価格は常時変動する。昨年の秋の穀物価格、もっとも世界の穀物価格の動向を反映している言われるシカゴでみると、2年半前のほぼ5倍の価格差がある。こんな変動するするものが、食の指標になるわけがない。価格に変動があっても、食べ物の質が変わるものではないからである。
家畜は、本来人が消化できないものを給与して、人が消化できるものに変えてもらうためのものである。先進国には、消費せずに廃棄する食料が10%ほどもある。そうしたものを利用するのが、家畜の本態である。それでは、効率的な生産(大規模、高生産)にならないために、安価な穀物に依存することになる。
食料自給率を、価格ベースで見ることは極めて危険である。自給率向上は、経済的な問題ではなく“食”の問題だからである。