韓国大15代大統領の、金大中氏が亡くなった。大統領になるまでには、死刑判決を受けたり何度も大統領選に打って出て、自動車に突き飛ばされそれ以後ビッコで歩飾るを得なくなった。太陽政策で、北と良好な外交関係を続けたが、裏金支援などで評価を落とした。が、そのおかげでノーベ ル平和賞を受賞している。
その後の北の変質で、金大中氏は良いように利用されたとのもっぱらの評判である。民主化への貢献は評価されるべきと思うが、北に翻弄され核開発やミサイル発射それに麻薬や偽ドルなど、活発な負の遺産が残っていると言える。
私が、声を大にして言いたいのが、日本国内で起きた金大中事件である。1973年(昭和48年)8月8日に、東京のホテルから、韓国大使館の人間らによって金大中氏が拉致された事件の重大性である。
金大中氏本人の証言によれば、6人の男に連れ去られ、日本海洋上で危うく沈められる所であったそうだ。足に重りをつけられたが、日本の自衛隊に見つかり追われ、そのまま韓国に帰ったのである。5日後に彼は自宅に、傷だらけで憔悴した状況で帰ってきた。
この事件は、2006年にKCIAが自らの犯行であったこと、報告書を提出している。この事件の後、北朝鮮の拉致事件が相次ぐのである。主な事件は、5年後に集中している。事件は、2年後に田中角栄首相が韓国の金鐘泌首相との密約で、政治決着させてしまった。だれもその後追及できなくなったのである。北はこの事件の手口を、そっく真似る形で拉致事件を繰り返すことになる。
日本政府のルーズさと、国家としてのメンツを持たない国と、内外に宣言したようなものである。国家として、主権を侵害され、国民の基本的人権を守ることを放棄した事件である。韓国によって日本の主権は侵害されたのである。この時は拉致されたのが、韓国人であったが日本国内で起きたことである。政治決着するべきではなかった。
独立国家としての存在を放棄した日本を、最も冷静に見ていたのが北朝鮮である。その後の北朝鮮による拉致事件は、金大中事件を模したものである。