山岡遊「絵金」(「犯」31、2007年08月01日発行)
屏風絵を見て、その感想を描いている。とても魅力的な部分がある。
「不完全な」という一語がとりわけ魅力的だ。「不完全」ということは、完全になりうるということである。何がきっかけで完全なものに変身するのかわからないが、その可能性をひめいているのが「不完全」である。
「でしゃばる」という口語も魅力的だ。
泥絵のなまなましい感じが、この「でしゃばる」という口語で、まるで口臭のようにせまってくる。
「母」と「父」。その交接。そして不完全なものの誕生--というより、何か交接の「不完全」さが、より魅力的な交接を誘っているような、生々しさを感じさせる。「父」と「母」は「不完全」ということばが呼びよせた命の形かもしれない。
屏風絵を見て、その感想を描いている。とても魅力的な部分がある。
泣くな
目を凝らせば
人は不完全な鳥
育ての母は
空、
あの世から
でしゃばるものたちを
父とする
「不完全な」という一語がとりわけ魅力的だ。「不完全」ということは、完全になりうるということである。何がきっかけで完全なものに変身するのかわからないが、その可能性をひめいているのが「不完全」である。
「でしゃばる」という口語も魅力的だ。
泥絵のなまなましい感じが、この「でしゃばる」という口語で、まるで口臭のようにせまってくる。
「母」と「父」。その交接。そして不完全なものの誕生--というより、何か交接の「不完全」さが、より魅力的な交接を誘っているような、生々しさを感じさせる。「父」と「母」は「不完全」ということばが呼びよせた命の形かもしれない。