詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

誰も書かなかった西脇順三郎(108 )

2010-02-14 13:14:29 | 誰も書かなかった西脇順三郎

 ことばは何を求めて生きているのだろう。何を求めて動き回るのだろう。「意味」を求めてだろうか。そう考えると簡単な(?)ような気がする。だが、私には、どうもその感覚(?)がなじめない。「意味」はことばに寄生して生きているとは思うけれど、ことばは「意味」を求めてなどいない。というか、「意味」と通い合いたいと思っているとは思えない。あ、「ことば」がなにかを思っている、というのは変かな? しかし、すぐれた文学作品(おもしろいと私が感じる文学)は、ことばが「意味」とは無関係になにかと通じているものだ。「なにか」としか書けないのは、それが「なにか」私にはまだわからないからである。
 「かざり」という作品。

生垣も
斜塔も
ひょうたんも
ラムプも
人々の残した
飾りだ。
人間の作つた偉大な遺物だ。

 ここには「意味」があるかもしれない。どんなものでも、いま、ここに存在するもの。それには「人間」の「意思」や「感情」が反映されているから、人間が作ったものだと言えるかもしれない。それはささいなものであっても「偉大な」存在である。「遺物だ」という断定には、そういう存在が「時間」をへて完成し、また「時間」を生きているという西脇の「思い」(世間で言う「哲学・思想」)が反映しているかもしれない。
 それはそうなのだろうけれど。
 私は、どうも、そんなふうに読むと楽しくない。
 この詩には、あるいはこの詩にかぎらず、西脇の詩にはなにかしら「かなしい」ものがあって、この詩では、「人々が残した」の「人々」にそれがひそんでいる。
 「生垣も/斜塔も/ひょうたんも/ラムプも」、それはたしかに「人々」のものである。「人間」とはちょっと違う。「人間」ということばには「間」という文字がある。人と人の「間」。そこで生まれるのが「人間」。でも、「人」は「人」との「間」だけで生きるのではなく、「もの」と触れ合って生きる。そこには「間」はない。「間」がないまま、「もの」と親密になる。そうやってできた「生垣」「斜塔」「ひょうたん」「ラムプ」には、ひとの何かが宿っている。それは最初はひとりの「ひと」と「もの」との対話だった。いつのまにか、「もの」が「人」と「人」との「間」を行き交うようになって、そこに「人間」も生まれてきて、そのうち「もの」からは、「ひと」と「もの」との直接対話のようなものが消えてしまって、「遺物」なってしまった。そして、それは、その消えてしまったなにかを求めて動いている。
 「人々」の「ひと」ということばの響きが、その消えてしまった「なにか」を揺り動かそうとしているように感じる。「人間」ではなく、「ひと」と「もの」、「もの」の素朴な名前--そのふたつのあいだで呼びかわされる「声」が、この詩を動かしていると私には感じられる。

もう何も言うことがない

 詩は、その1行をはさんで動いていく。「何も言うことはない」といいながら、そのあとも、ことばは動いていく。
 その動きは「意味」を見つけ出すため、というよりも、いま、ここに、ことばとともにあらわれてくる「意味」、ことばに寄生してくる「意味」を拒絶するための動きに思える。西脇のことばは「意味」ではなく、「もの」そのものになりたがっている。
 あるいは。
 西脇は、「人間」ではなく、「人(ひと)」になりたがっている。西脇はことばといっしょに動くことで「人間」ではなく「ひと」になろうとしている。「ひと」になるために「意味」をふりきろうとしている。
 そして、そのとき、ことばの「音」(音楽)を頼っている。音の響きあいに、「意味」を拒絶する力を感じ、それをひきだそうとしているように、私には感じられる。

秋が来るとウィンザーの村を訪ねるのだ。
イーソップ物語の挿絵に出てくるような
親子の百姓から黄色い梨を買つて
シェフィールド製の光つた三日月形の
ナイフで皮をむいてたべた。

 1行1行が、他の行のことばと「意味」でつながるのを拒絶するように独立している。「シェフィールド製の光つた三日月形の」という行では、「シェフィールド製」「光つた(る)」「三日月形」がそれぞれ拮抗している。「三日月形」では、「三日月」と「形」さえ、なにか独立して向き合っている感じがする。そして、

 ひ「か」つた、み「か」づき、「が(か)」た、

 というような、音の通いあいが、なぜかはわからないが、私には「ひと」と「もの」の向き合いのように、「音」と「音」の向き合い、触れ合いにも感じられるのだ。

 私の書いていることは、たぶん、強引だ。
 強引なのは、私には、まだまだわからないことがあるからだ。わからないのに、なんとかことばを動かしていく内に、ことば自身がそれをみつけてくれないかなあ、と願いながら書いているからだ。
 私にはなにもみつけられない。けれど、ことばは、どこかで西脇のことばと呼び掛け合い、声を聞きあい、かってになにかを見つけてくれる--そんなことを思っている。



西脇順三郎絵画的旅
新倉 俊一
慶應義塾大学出版会

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西岡寿美子「空に鳴る音」

2010-02-14 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
西岡寿美子「空に鳴る音」(「二人」283 、2010年02月05日発行)

 西岡寿美子「空に鳴る音」は、遠い土地の記憶を書いている。しかし、そこには「望郷」あるいは「郷愁」とは違ったものがある。

ノジ
を思い出した
今は地上にない幻の村だが
傾りに石積みの棚田が累々と拓かれ
里人の糧はみなここから得た

夜通し日通し
向かいの山を裂いて滾つ龍神の滝
轟々と揺れ震う家々
それは不断の子守歌として荒魂を養い
頬骨高く眼窩落ちた特異な面貌をも形造った

 なぜ、思い出の土地を書いているのに「望郷」や「哀愁」ではないのか。文体が、奇妙に強くて、その強靱さが「望郷」「哀愁」を拒絶している。そこに不思議な魅力がある。「里人の糧はみなここから得た」という1行に何かが省略されているわけではないが、何かしら、余分なものを削ぎ落とした美しい響きがある。
 「頬骨高く眼窩落ちた特異な面貌をも形造った」は「頬(が)骨高く眼窩(が)落ちた特異な面貌をも形造った」と、助詞「が」が省略されていると考えることができる。「里人の糧はみなここから得た」には、そういうことばの省略はないが、省略を感じてしまう。「里人の糧は」という「主語」のあり方に秘密があるのかもしれない。
 ふつうは、どう書くか。いや、私なら、どう書くか。

里人は糧のみな(すべて)をここから得た

 私は「主語」を「里人」にしてしまう。ところが、西岡は「主語」を「里人」にしない。そこに、私の感じた一種の「厳しさ」の理由がある。
 この詩において、「主語」は「私」を含む人間ではないのだ。「里人」はこの詩では「主語」にはならないのだ。
 この詩の「主語」は「土地」なのだ。「今は地上にない幻の村」の、その「土地」そのもの、「ノジ」と呼ばれる「土地」が「主語」である。「望郷」も「哀愁」も「人間」を「主語」とするときの、こころのありようだ。「土地」にはこころなどない。したがって、そこには「望郷」も「哀愁」も入り込む余地はない。そして、そのことが、この詩を美しいものにしている。

 別な言い方をしよう。

 この詩の「主語」は「人間」ではない。それは、

頬骨高く眼窩落ちた特異な面貌をも形造った

 という1行をよく読めばわかる。私は先に「頬骨(が)高く眼窩(が)落ちた特異な面貌をも形造った」と、助詞「が」が省略されていると書いたが、これは正確ではない。ほんとうは、

(土地が)頬骨(の)高く眼窩(の)落ちた特異な面貌をも形造った

 なのである。
 「が」ではなく「の」。
 その「の」は「里人の糧は」の「の」と同じである。
 そして、

里人の糧はみなここから得た

 は、次のように読むべきなのだ。きっと。

(土地が)里人の糧のみなを、ここで造った

 そう読むとき、2連目の「頬骨高く眼窩落ちた特異な面貌をも形造った」の「をも形造った」の「をも」、その「も」の意味がわかる。なにもか「も」、あらゆるものを、土地が造るのである。人間が造るのではない。土地が造る。この「世界」にあるものは、全て「土地」がつくったものなのだ。

 その「土地」を、西岡は「土地」ではなく、「空」から描く。「空」を描くことで、「土地」が産んだものを、「空」の彼方へほうりやる。「空」はそのとき「そら」ではなく「くう」になる。そしてその「くう」とは「色即是空、空即是色」「空」にもなる。
 西岡は、詩の最後で凧あげのことを書いているのだが、その凧は「色即是空、空即是色」の「即・是」という「色」と「空」を「結びつける」もののように感じられる。

ビーン ビーン
凧のカブラが空に鳴る
千切れた凧尾(ジャーラ)が三宝山の背に飛ぶ

--どこへ行ってしまったのだ
離れ凧よりもジャーラよりも行方さだめず
あの日わたしの周囲で凧糸を操った若い手の持ち主らは

物生り滋味とも濃い
ノジの耕土をすべて造林の底に沈め果て
先祖墓さえも掘り上げて背負い
異土にさまよい出て音信も絶えた
一目であの土地の出と知れる異相の誰彼は

 西岡は、何かしら強靱な「哲学」を生きている。



北地-わが養いの乳
西岡 寿美子
西岡寿美子

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