監督・原作・脚本 レベッカ・ミラー 出演 ロビン・ライト・ペン、キアヌ・リーヴス、ウィノナ・ライダー、ブレイク・ライヴリー、モニカ・ベルッチ
ここには書かなかったけれど、主演者がとても豪華。主役クラスがちらっ、ちらっと顔を出す。そして演技も手抜きをしていない。とてもいい映画だ。
でもねえ、タイトルがひどい。タイトルで、損をしているねえ、この映画。まあ、内容も、単純明解なストーリーがあるわけではないから、ヒットはしないだろうけれど。
★評価が★4個-1個=3個の理由は、そこ。とても残念。
私は、こういう映画は大好きで、タイトルさえまともなら、べたぼめしてしまうだろうなあ……。
さて。
見どころは、なんといってもロビン・ライト・ペン。とても不思議な存在感がある。映画であることを忘れてしまう。映画のなかに、「人間は年をとるにつれて優しさを身につけ行くものだが、きみ(ロビン・ライト・ペン)には最初から優しさがある」ということばが出てくるが、その感じがぴったり。
他人を拒絶するものがない。
あ、そうなのだ。いま、書いてみて気がついたのだが、ロビン・ライト・ペンがこの映画で演じている「役」は、優しいというよりも、「他人を拒絶しない」というキャラクターなのだ。
母を拒絶したではないか、という見方もあるかもしれないけれど、それは拒絶ではない。いっしょにいると拒絶してしまいそうだから、拒絶という反応が出る前に、ロビン・ライト・ペンが母の元を去ったのだ。離れていったのだ。
不思議というか、なんというか……。
このロビン・ライト・ペンが演じる女は、他人を拒絶しないが、そこには「私」(ロビン・ライト・ペン自身)という「他人」も拒絶しない、ということが含まれる。誰でも、自分のなかに、自分ではどうすることもできない「私」、「他人としての私」を持っている。そういう「私」を拒絶しながら人間は複雑な行動をとるのだが、ロビン・ライト・ペンは違う。受け入れながら、優しくつつむ。そうすることで「私(ロビン・ライト・ペン)」という人格を完成させる。
象徴的なのが、夢遊病としての「私」を受けれいることである。もちろん、それは拒絶できないものであるからこそ、病気として出現してくるものなのだが、ロビン・ライト・ペンは病気そのものを受け入れる。しっかりと病気である「私」、意識の及ばない「他人としての私」をみつめ、その「側」に立つ。治療によって、「他人としての私」を消してしまうようなことはしない。
「他人としての私」をロビン・ライト・ペンは消さない。(この難しい役を、ロビン・ライト・ペンは、とても「軽く」演じている。存在感がある、というのは、こういう役者のことだねえ。)
「他人としての私」を消さずに生きる、抱き締めて生きる--それがわかるから、夫も、若い恋人も、それを消そうとはしない。「他人としての私」を抱え込んだままのロビン・ライト・ペンを愛する。キアヌ・リーヴスもロビン・ライト・ペンの夫役をやった男優も、とてもいい感じでロビン・ライト・ペンと向き合っている。そのなかで、ロビン・ライト・ペンがほんとうに美しく輝いている。
いやあ、いいなあ。ほんとうに、いいなあ。
女性って、こんなふうに愛されたいんだねえ。女の気持ちがとってもよくわかる。よくつたわってくる。
ちょっと男の監督には撮れない映画だ。
レベッカ・ミラーという監督は、私の記憶のなかには名前が残っていないが、うーん、つばつけときたい、というかなんというか。人に知られたくない。自分だけのためにとっておきたいようないい感性だ。だれかお薦めの監督いない? お薦めの映画ない? と聞かれたとき、「どうしてもっていうなら教えるけれど……」という感じのする監督である。そういう1本である。
★4個-1個=3個という評価なんだけれど、ね、もし、あなたが映画が好きというなら、あなたにだけ、★4個+1個=5個という評価を、こっそり教えたい。こっそりなんだから、宣伝しちゃ、だめだよ。(←念押し)
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