中島まさの・中島友子『まさのさん』(2)(編集工房ノア、2010年01月26日発行)
中島友子の作品には母が生きているときに書いたものと、母が亡くなってから書いたものがある。生きているときに書いたもの、母とのやりとりが具体的なものの方が私は好きである。
「書写山参道で」の全行。
きのう書いたことに通じるが、母のことばには「行間」が過剰にある。「行間」が「行」の終わりにきたときは、「余白」になる。「余韻」という言い方もできるかもしれないが、「余白」の方が、たぶん気持ちがいい。
この2行のあとには、現実ではさまざまなことが起きる。怒ったり、どうにもならなくて泣いたりするかもしれない。それはもう、それが起きる前からわかっている。わかっているけれど、母のことばは、そういうわかりきったことがらを「余白」で消してしまう。というか巨大な「余白」を用意することで、そこで起きている事柄をめんどうくさいあれこれの一大事ではなく、ほんのちいさな出来事にしてしまう。
母は娘に、そういう「巨大な余白」をもった人間になれよ、と静に教えている。
「行間」と「余白」には人生を生きてきた人間の、人生を俯瞰する力がみなぎっている。どんなに騒いでみても、それは人生のなかにすっぽりおさまってしまうだけのこと。あ、この哲学は、「死」と向き合いながら、いま、自分にある「余白」をしっかりとみつめることができる人間だけにしか実現できない哲学だろうなあ、と思う。
そういう哲学としっかり向き合うことができた中島友子はしあわせだと思う。そして、また、そういう哲学をしっかり娘に語ることができた母もしあわせだと思う。
親というものはいつでも、子どもが50歳になろうが70歳になろうが、子どもを「子ども」として向き合いがちである。対等な人間という感じではなかなか向き合えない。でも、中島まさのは友子と対等に向き合っている。そういうことができたのは、中島まさのが、死と対等に向き合っていたからかもしれない。死を生と同じように、自分と対等なものとして向き合っていたからかもしれない。恐れもしない。喜びもしない。その瞬間を、ただ充実して生きようといていたということかもしれない。
母の死(あるいは生)と関係があるのかどうかはっきりしないが、「遠距離恋愛」という詩がとても印象に残った。
この蝶を、私は中島友子の母、中島まさのと置き換えて読んでみたい。母が子を生むのであって、子が母を生むのではないから、友子の人生という旅、その車に、途中から母が乗り込んできて、途中で降りるというのは奇妙かもしれない。
けれど、実際の人生においては、そういうことはあるだろう。ずーっといっしょにいる。いっしょにいて、いることさえ忘れている。けれど、あるときから、その存在がはっきりと自覚できるようになる。そんなふうにして、友子が母・まさのと新しく出会いなおす。友子は母の人生の途中に乗り込んできた子どもであるけれど、ある瞬間、母と娘が対等になり、娘の人生の旅に母が同伴する。いっしょに旅をする。
そして、気がつけば、母はまた自分だけの旅に出発する。娘を置き去りにして、死んでしまう。
その死を、母・まさのは恐れてはいない。まるで恋人のように感じている。受け止めている。胸が高鳴る。どきどきする。--そして、とても自分ひとりでは歩けなくなったので、ちょっと娘の車に同乗させてもらう。
そんな感じ。
この瞬間の、対等な感じ。それがとてもいい。
母・まさのは、生に対しても死に対しても対等に生きた。誰それに対しても、娘に対しても。その美しい「人生」が蝶のように自由に舞っている。そんなことを感じた。
中島友子の作品には母が生きているときに書いたものと、母が亡くなってから書いたものがある。生きているときに書いたもの、母とのやりとりが具体的なものの方が私は好きである。
「書写山参道で」の全行。
もう引き返そう
「まだまだ
行ったらええやんか」
あした しんどいしんどい
言わんといてよ
「しんどかったしんどい言うよ
言うたらええやんか」
もうすぐ母の誕生日
八十七歳になっても
来られますように
きのう書いたことに通じるが、母のことばには「行間」が過剰にある。「行間」が「行」の終わりにきたときは、「余白」になる。「余韻」という言い方もできるかもしれないが、「余白」の方が、たぶん気持ちがいい。
「しんどかったしんどい言うよ
言うたらええやんか」
この2行のあとには、現実ではさまざまなことが起きる。怒ったり、どうにもならなくて泣いたりするかもしれない。それはもう、それが起きる前からわかっている。わかっているけれど、母のことばは、そういうわかりきったことがらを「余白」で消してしまう。というか巨大な「余白」を用意することで、そこで起きている事柄をめんどうくさいあれこれの一大事ではなく、ほんのちいさな出来事にしてしまう。
母は娘に、そういう「巨大な余白」をもった人間になれよ、と静に教えている。
「行間」と「余白」には人生を生きてきた人間の、人生を俯瞰する力がみなぎっている。どんなに騒いでみても、それは人生のなかにすっぽりおさまってしまうだけのこと。あ、この哲学は、「死」と向き合いながら、いま、自分にある「余白」をしっかりとみつめることができる人間だけにしか実現できない哲学だろうなあ、と思う。
そういう哲学としっかり向き合うことができた中島友子はしあわせだと思う。そして、また、そういう哲学をしっかり娘に語ることができた母もしあわせだと思う。
親というものはいつでも、子どもが50歳になろうが70歳になろうが、子どもを「子ども」として向き合いがちである。対等な人間という感じではなかなか向き合えない。でも、中島まさのは友子と対等に向き合っている。そういうことができたのは、中島まさのが、死と対等に向き合っていたからかもしれない。死を生と同じように、自分と対等なものとして向き合っていたからかもしれない。恐れもしない。喜びもしない。その瞬間を、ただ充実して生きようといていたということかもしれない。
母の死(あるいは生)と関係があるのかどうかはっきりしないが、「遠距離恋愛」という詩がとても印象に残った。
蝶が私の車に乗りこんで
途中で降りていきました
好きな人に
会いに行くのでしょう
胸がどきどきして
羽が動かせなくなったのでしょう
この蝶を、私は中島友子の母、中島まさのと置き換えて読んでみたい。母が子を生むのであって、子が母を生むのではないから、友子の人生という旅、その車に、途中から母が乗り込んできて、途中で降りるというのは奇妙かもしれない。
けれど、実際の人生においては、そういうことはあるだろう。ずーっといっしょにいる。いっしょにいて、いることさえ忘れている。けれど、あるときから、その存在がはっきりと自覚できるようになる。そんなふうにして、友子が母・まさのと新しく出会いなおす。友子は母の人生の途中に乗り込んできた子どもであるけれど、ある瞬間、母と娘が対等になり、娘の人生の旅に母が同伴する。いっしょに旅をする。
そして、気がつけば、母はまた自分だけの旅に出発する。娘を置き去りにして、死んでしまう。
その死を、母・まさのは恐れてはいない。まるで恋人のように感じている。受け止めている。胸が高鳴る。どきどきする。--そして、とても自分ひとりでは歩けなくなったので、ちょっと娘の車に同乗させてもらう。
そんな感じ。
この瞬間の、対等な感じ。それがとてもいい。
母・まさのは、生に対しても死に対しても対等に生きた。誰それに対しても、娘に対しても。その美しい「人生」が蝶のように自由に舞っている。そんなことを感じた。