詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中島まさの・中島友子『まさのさん』(2)

2010-02-23 21:16:17 | 詩集
中島まさの・中島友子『まさのさん』(2)(編集工房ノア、2010年01月26日発行)

 中島友子の作品には母が生きているときに書いたものと、母が亡くなってから書いたものがある。生きているときに書いたもの、母とのやりとりが具体的なものの方が私は好きである。
 「書写山参道で」の全行。

もう引き返そう
「まだまだ
 行ったらええやんか」
あした しんどいしんどい
言わんといてよ
「しんどかったしんどい言うよ
 言うたらええやんか」

もうすぐ母の誕生日
八十七歳になっても
来られますように

 きのう書いたことに通じるが、母のことばには「行間」が過剰にある。「行間」が「行」の終わりにきたときは、「余白」になる。「余韻」という言い方もできるかもしれないが、「余白」の方が、たぶん気持ちがいい。

「しんどかったしんどい言うよ
 言うたらええやんか」

 この2行のあとには、現実ではさまざまなことが起きる。怒ったり、どうにもならなくて泣いたりするかもしれない。それはもう、それが起きる前からわかっている。わかっているけれど、母のことばは、そういうわかりきったことがらを「余白」で消してしまう。というか巨大な「余白」を用意することで、そこで起きている事柄をめんどうくさいあれこれの一大事ではなく、ほんのちいさな出来事にしてしまう。
 母は娘に、そういう「巨大な余白」をもった人間になれよ、と静に教えている。

 「行間」と「余白」には人生を生きてきた人間の、人生を俯瞰する力がみなぎっている。どんなに騒いでみても、それは人生のなかにすっぽりおさまってしまうだけのこと。あ、この哲学は、「死」と向き合いながら、いま、自分にある「余白」をしっかりとみつめることができる人間だけにしか実現できない哲学だろうなあ、と思う。
 そういう哲学としっかり向き合うことができた中島友子はしあわせだと思う。そして、また、そういう哲学をしっかり娘に語ることができた母もしあわせだと思う。
 親というものはいつでも、子どもが50歳になろうが70歳になろうが、子どもを「子ども」として向き合いがちである。対等な人間という感じではなかなか向き合えない。でも、中島まさのは友子と対等に向き合っている。そういうことができたのは、中島まさのが、死と対等に向き合っていたからかもしれない。死を生と同じように、自分と対等なものとして向き合っていたからかもしれない。恐れもしない。喜びもしない。その瞬間を、ただ充実して生きようといていたということかもしれない。

 母の死(あるいは生)と関係があるのかどうかはっきりしないが、「遠距離恋愛」という詩がとても印象に残った。

蝶が私の車に乗りこんで
途中で降りていきました
好きな人に
会いに行くのでしょう
胸がどきどきして
羽が動かせなくなったのでしょう

 この蝶を、私は中島友子の母、中島まさのと置き換えて読んでみたい。母が子を生むのであって、子が母を生むのではないから、友子の人生という旅、その車に、途中から母が乗り込んできて、途中で降りるというのは奇妙かもしれない。
 けれど、実際の人生においては、そういうことはあるだろう。ずーっといっしょにいる。いっしょにいて、いることさえ忘れている。けれど、あるときから、その存在がはっきりと自覚できるようになる。そんなふうにして、友子が母・まさのと新しく出会いなおす。友子は母の人生の途中に乗り込んできた子どもであるけれど、ある瞬間、母と娘が対等になり、娘の人生の旅に母が同伴する。いっしょに旅をする。
 そして、気がつけば、母はまた自分だけの旅に出発する。娘を置き去りにして、死んでしまう。
 その死を、母・まさのは恐れてはいない。まるで恋人のように感じている。受け止めている。胸が高鳴る。どきどきする。--そして、とても自分ひとりでは歩けなくなったので、ちょっと娘の車に同乗させてもらう。
 そんな感じ。
 この瞬間の、対等な感じ。それがとてもいい。
 母・まさのは、生に対しても死に対しても対等に生きた。誰それに対しても、娘に対しても。その美しい「人生」が蝶のように自由に舞っている。そんなことを感じた。


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北川透「「海馬島伝」異文」

2010-02-23 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
北川透「「海馬島伝」異文」(「詩論へ」2、2010年01月31日発行)

 北川透「「海馬島伝」異文」は、いくつもの章(で、いいかな?)で構成されている。すでに発表済みのものも、もう一度編み込まれているので、これは1冊の詩集が同人誌のなかに組み込まれていると考えてもよさそうである。1冊の詩集の「量」に相当する長さである。
 どの「章」もおもしろいが、「骨」のリズムが私には気持ちがいい。

(その島には骨塚と呼ばれる小高い丘がある。そこには解体された骨が捨てられているが、骨は骨同士で連帯して生きている。多くの骨の仲間うちで、一番でっかくて不恰好だった骨は、デカ骨と名づけられていた。デカ骨は冷たく刺々しい外気に触れると、妙にギクシャクし始め、上下左右に突っ張り始める。

 この北川の文体は、きのう読んだ福間健二の文体が「並列の詩学」であるのに対して、「直列」である。福間のことばが、突然あらわれる「過去」によって「いま」が解体される運動であるのに対して、北川のことばは「いま」のことばが手を伸ばして「未来」のことばを食べながら、「未来」を「うんこ」として排泄しづける文体である。
 この場合の「未来」とは、「流通する意味」に反するすべてのことばを指す。「流通する意味」はすべて「いま」につながる「過去」を持っている。「流通することば」のなかには「過去→現在」という「流通する時間」が含まれている。この「流通する時間」「流通する意味」には含まれないものが「未来」である。
 たとえば、

骨は骨同士で連帯して生きている

 「骨」、特に「解体され」「捨てられた」骨の、「流通する意味」は「死」である。「生」ではない。生きていたもの(過去)は死んでしまうと(いま)、肉を失い骨になる。そして、捨てられる。
 「骨は(骨同士で連帯して)生きている」というような、骨と「生」をむすびつけることばは、「流通する意味」「流通する時間」を否定していることになる。そういう「過去→いま」という時間意識(意味意識)と矛盾している「生きている」ということばを取り込み、それをかみ砕き、消化して、排泄する。そのとき、ほんとうに排泄されるのは、実は「骨は生きている」という「流通言語」と矛盾することばではなく、いままで「流通していた言語」、つまり「骨は死んでいる」ということばである。「骨は生きている」という、「新しいことば(未来)」を取り込みながら、「骨は死んでいる」という「ふるいことば(過去)」を「うんこ」として排泄しながら、ただひたすら前へ前へと進む。
 この「直列」の運動は、「過去→現在→未来」というような「図式」ではなく、「未来→現在→過去」というベクトルを描く。そして、この「未来→現在→過去」のベクトルは、「未来→現在」は「現在」から「未来」へ向けて手を伸ばし、それを取り込む・吸収するという運動をあらわし、「現在→過去」は「現在」のなかに残っている「過去」を排出するという運動をあらわす。
 「現在」というのは「生命体」であり、それは「未来」という新鮮なもの、を食べながら、「肉体」のなかにある古いものを排泄することで、「いま」を活性化し、「未来」へ進むのだ。このとき、「未来」と「過去」とは無関係である。「過去→現在→未来」という「流通時間」が「過去」の影響を受けるのに対して、「未来→現在→過去」という北川ベクトルは「過去」の影響を受けない。それは「過去」からの自由、「過去」からの解放となる。

 北川のことばの運動は、ことばがもっている「過去」の時間をほうむり、新しい運動の可能性を切り開くものなのだ。そういう運動を、「未来→現在→過去」という形で具体化しているのである。

 骨から「死」を捨て去ってしまえば、その運動は、もう自由である。その運動は、最初は「ギクシャク」しているだろう。仕方がない。どこへ進むべきかなど、決まっていない。いや、想定さえされていない。めざすべき目的地などないのだ。

季節ごとに島を襲う、あの猛烈な竜巻の神話ほど手におえないものはない。それに巻き込まれると、建物も樹木も生き物も精神までも、ばらばらに解体されてしまう。しかし、それと果敢に戦う地下茎のように、放射状に伸びる骨たちもいる。

 「季節ごとに」から「解体されてしまう」までのことばは、そのなかに「神話」ということばを含んでいるが、まあ、「過去」のなにかを「意味」しているかもしれない。でも、何を意味しているか、ちょっと、わからない。わからないと、困る--という意見もあるだろうが、私はわからなくてもかまわない、と考える。
 北川は、ここでは、骨が「生きる」とはどんな具合に生きるかを書きたいだけだ。「地下茎のように」生きる。その「地下茎のように生きる」ことをくっきり浮かび上がらせるために、「季節ごとに」から「解体されてしまう」までのことばがあるのだ。「神話」を含む「過去」は「地下茎のように生きる」ということばで、過去として排泄される。
 そして、次のような未来を現在として提示する。

戦場の猛々しさが、骨を鍛える。骨になっても背長を止めないのだ。骨! 骨! 骨! 骨! 骨!

 「背長」は「生長」あるいは「成長」の誤植なのかもしれないが、「背骨(せぼね)」を連想させて、非常になまなましい。背骨がどんどん伸びて、たくましくなっていくことを特別に「背長」と書き、「せいちょう」と読ませたくなる。
 こういう「誤読」は「過去→現在→未来」という「流通時間」からは許されないことだろうけれど、「未来→現在→過去」という北川時間では、きっと許してもらえる。北川のことばの運動自体が、そういう「誤読」を利用した過去の破壊だからである。
 骨は死んでいない。生きている。それだけではなく、背長(せいちょう)している。そういう運動に、北川はかけている。
 もちろん、その運動が必ず結果を生むとは限らない。だから、北川は次のようにも書く。

無駄骨折ったり、転んだり。怖気づいた震え声の骨だっているさ。でも、骨のない奴らに、骨の歯軋りや暗闘は聞こえない、見えない、匂わない。

 「無駄骨」であってもかまわない。その「骨」の「歯軋り」「暗闘」が「骨」を「生きる」ひとに、聞こえ、見え、匂えば、それでことばは動いたことになるのだから。
 「無駄骨」になるかどうかは、北川は問題にしない。あらゆる運動を「無駄骨」にしてしまうか、そうではなく、その「無駄」のなかに「無駄」を超えるなにかを生きてみるかどうかが問題なのだ。
 北川の「直列の詩学」はいつでも「生きる」と「自由」につながっている。





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