
監督 スティーブン・スピルバーグ 出演 ダニエル・デイ・ルイス、サリー・フィールド、トミー・リー・ジョーンズ
ダニエル・デイ・ルイスはとてもむずかしい役どころをこなしている。むずかしい演技をしている。リンカーンは「人民の、人民による、人民のための政治」ということばと「奴隷解放」で有名だけれど。「民主主義」の理想(夢)を実現した大統領として有名だけれど。
理想の実現、というのはむずかしい。理想を語れば、それがそのまま支持されるわけではないし、みんなが協力するというわけでもない。そのためには「妥協」も必要なら、「裏工作」も必要なときがある。理想のために、理念をまげる必要があるときもある。
で、この映画を見ると、憲法を修正し(改正じゃないよ)、奴隷制度を廃止するために、リンカーンは悪戦苦闘している。下院の「票集め」に苦労している。しかも、大統領であるから直接先頭に立って動くわけにはいかない。最後は、少しだけ直接行動をするけれど、大半はことばで指示するだけである。
リンカーンは「演説」は有名だけれど、こういう閣僚への「直接指示」は、どうことばを動かすべきなのか。感動を誘う「名文句」は「大衆」むけ(演説)のものであって、部下への直接指示には向いていないね。「煽動」ではないのだから。(こう書くと、「演説」が「煽動」のようになってしまうが……。)
さて、どうすべきなのかねえ……。
というのはリンカーン自身の問題であって(それは、少しあとに書くことになると思うけれど)、ダニエル・デイ・ルイスの問題ではないね。ダニエル・デイ・ルイスにとっての問題は、「演技」が非常にかぎられるということ。アクションではなく、ことばを演技しなければならない。トム・クルーズのような派手なアクションで観客の目を引きつけるのではなく、ことばで観客の目を引きつけないといけない。--うーん、よくやったなあ。こんな難役。
で、ことばのアクション。
これは実際リンカーンがそうだったのだろうけれど。
「演説」がいわば「名文句」で聴衆のこころをつかみ取るのに対して、何人かを直接動かすとき「名文句」はつづかない。だいたい、「演説」のように準備できるものではない。対話はその場その場、その時その時で、刻々と状況が変わる。「演説」に対してはその場そのときの反論というものがないのに、対話とは常に反論と向き合うものだから。さらに、対話の相手はいつも顔をつきあわせている人間である。たまに聞くから「名文句」なのであって、毎日それがつづけばどんなに感動的であっても「名言」という印象はなくなるだろう。「一本調子」になってしまうだろう。
そこで活用されるのがユーモア(笑いを含んだエピソード)である。抽象的な概念ではなく、個人的な出来事、具体的な出来事で、しかも笑いを含んだことばで対話者のこころをほぐす。ほぐしたあと、そのこころに切り込んでゆく。「概念」で固まった頭を、具体例とユーモアでときほぐし、相手の反論のことばがゆるんだ瞬間をみはからって言いたいことを言う。この緩急のリズム。それが、ことばのアクション。
これは、見もの。
予告編で机をたたいて「ナウ、ナウ、ナウ」とわめきちらすダニエル・デイ・ルイスを見ていたかぎりでは、なぜアカデミー賞の主演男優賞? そういう疑問を持ったけれど、本編を全部通してみると、いやあ、納得。姿勢の美しいダニエル・デイ・ルイスが猫背になって、ほとんど動かず、肉体の印象を限定して、全身をことばのアクションに傾けている。ダニエル・デイ・ルイスがことばを発するたびに、画面がぱっと動く。そこにいる人間が動くわけではないのだが、ダニエル・デイ・ルイスのことばの変化が、画面全体の印象をかえてしまう。そこにいる人たちの印象をかえてしまう。ことばに反応して、他の役者の表情がかわるわけだけれど、その変化がとても自然。ダニエル・デイ・ルイスのことばが「肉体」となって他人の「肉体」に影響を与えていることが、その場にいるように実感できる。
この肉体を動かさずことばだけでアクションするダニエル・デイ・ルイスの「こころ」と外部が交錯するところもおもしろい。下院の討論などのシーンだけれど、そこに展開される対立(激論)は、何度も何度もリンカーンの「肉体」の内部(ダニエル・デイ・ルイスの内部)で展開されたものであることがわかる。ひとは、まっすぐに「理想」だけにたどりつけるわけではなく、何かを選びとるときには、それと反対するものにも向き合っている。その感じが、ダニエル・デイ・ルイスが肉体を演技を控え目にすればするほど、強烈に伝わってくる。他の役者の肉体のアクションにダニエル・デイ・ルイスのことばのアクションが反映されていることが伝わってくる。トミー・リー・ジョーンズの自己主張を抑制した議会の討論は、そのハイライトだ。
妻との葛藤(家庭内対立)もおなじ。リンカーンの理想を妻が支えつづけたわけではない。家族が全員協力したわけではない。どこの過程にでもある対立がある。そのなかでもリンカーンは、ことばのアクションの緩急を発揮してみせる。
他の役者たちもいいけれど、ダニエル・デイ・ルイスのイギリス英語の姿勢のよさが、この映画では効果的。最初に予定されていたリーアム・ニールソンの含みのある声、くぐもりのある声では、この仕上がりにならなかったかもしれない。
スピルバーグはもともとアクションというか、視覚で映画をつくる監督だけれど、そしてこの映画でも冒頭の戦場シーンや下院の激論シーンではきちんと肉体のアクションを撮っているけれど、今度の映画で、ことばのアクションという新境地を一気に切り開いた感じがする。スピルバーグの1本として、外すことのできない名作の誕生だ。
(2013年04月21日、天神東宝3)
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