渡辺武信「祭りのあと 小詩集」(「現代詩手帖」2013年04月号)
渡辺武信「祭りのあと 小詩集」は3篇の詩。不思議ななつかしさがある。いまは、こういうことばの動かし方をする詩人はいない--ようにみえる。けれども、私の青春時代は、渡辺が書いているようなことばといっしょに動いていた。
「私たち」なのだ。「私たちの日常」なのだ。そこには「私」と「私以外の人」がいる。そして何かを共有している。たとえば「過ぎし日の歌」を。それだけではなく、その「歌」が「光芒を引いて遠ざかる」という感覚を。さらには、その「遥かな旅路の長さ」、そして「深まった感情の容量」、「耐える」ということ。
何もかもが「共有」されている--と感じるのは、渡辺が「共有」(共感)へ向けて、ことばを動かしているからである。そして、このとき「共感」というのは「日常」にあるのだけれど、「日常」の表面ではなく、「深まった」ところにある。「日常」の深まったところに、「深まった感情」があり、それを掘りあてるようにして渡辺はことばを動かす。掘りあてるための道具は「ことば」であるけれど、その「ことば」には「共通の日常」がある。
その「共通の日常」というのは、たとえば、
東映のやくざ映画である。唐獅子牡丹である。
ここでおもしろいのは(と、いまなら言える)、「共通の日常」といっても渡辺はやくざでもなければ博徒でもない。それを読む私もやくざでもなければ博徒でもない。それでも高倉健や藤純子の「映画のなかの行為(日常)」を「自分の日常」に重ねていた。このとき「自分」とは「感情」であった。
「自分の感情」の奥を探っていけばやくざ映画に登場する人物の感情にぶつかる。「社会」から締め出された「感情」にぶつかる。--もちろんこういう図式は「虚構」であるかもしれない。けれど、やくざ映画という虚構をかりて、「日常」を虚構にしたてあげ、虚構ではないのは「感情」だけだと主張するとき、「私たちの魂」は確かに開いた。開いたつもりだった。はかない花を咲かせることで「社会」を告発しているつもりだった。
感情を共有するとき、その向こうに、そういう感情を必要とする「社会構造の日常」(世界の日常)があった。社会によって感情が切り裂かれ、破壊されている。だから、今度は感情によって社会を、世界を切り開き、そこにほんとうの魂を実現する。
「世界」そのものには立ち向かうことができず(世界の巨大さ、強さを感じていたのか)、比喩としてのやくざ、博徒の世界のなかで感情の花を咲かせ、それを共有していたのである。
どういえばいいのだろう……。
「恋の二重唱」。ああ、「二重唱」だったのだ。
「二重唱」と言っても、イライザやお竜さんにあわせて私たちが歌を歌ったとしても、彼女たちの「歌」がかわるわけではない。彼女たちが私たちの歌(声)を聞き、そこに何かしらを感じ取り、それにあわせてくれるわけではない。つまり、私たちの一方的な「二重唱」なのだが、そんなふうには思わないのが「青春」である。イライザやお竜さんにあわせて、私たちが「夢の花」を二重唱の中に咲かせれば、イライザやお竜さんは、その花が輝くように私たちの「肉体」のなかで生きて動いてくれる。「私たちの二重唱」が完成するように、彼女たちも「声」をかえてくれる--という幻の「二重唱」。
いつでも、どこでも「二重」だった。「二重」を夢見て、実際に「二重」であったのだと思う。社会そのものも。いまはなくなってしまった(あるという人もいるだろうけれど)、社会党と自民党。労働と資本。反対の意見を持っていても、それは向き合うということで「二重」だった。「二重」であることによって、社会を対立させ、対立させることで統合していた。
それは「感情の小選挙区」ではなく「感情の中選挙区」のようなものだ。否定しながら共存を認める。共存しないことには、互いにいきいきとは動けない。批判の中に肯定があり、「いま」を突き動かすためにあえて軌道を逸する--と書いてしまうと、なんだか違ってきてしまうが……。
「私たち」のことばは「私たち」をまだ持っているのか。あるいは「私たち」を取り戻すことができるのか。対立の共存。抑圧するものを、感情の爆発で再構築できる。感情の暴走は、世界を再生できるか。「私たち」は「祭りのあと」になってしまったのか。「私たち」の「ことば」はどこにいるのか……。
渡辺武信「祭りのあと 小詩集」は3篇の詩。不思議ななつかしさがある。いまは、こういうことばの動かし方をする詩人はいない--ようにみえる。けれども、私の青春時代は、渡辺が書いているようなことばといっしょに動いていた。
私たちは祭りのあとに生きている
平穏に見える私たちの日常は
過ぎし日の歌が
光芒を引いて遠ざかる
その遥かな旅路の長さだけ
深まった感情の容量に耐えている
(「祭りのあと」)
「私たち」なのだ。「私たちの日常」なのだ。そこには「私」と「私以外の人」がいる。そして何かを共有している。たとえば「過ぎし日の歌」を。それだけではなく、その「歌」が「光芒を引いて遠ざかる」という感覚を。さらには、その「遥かな旅路の長さ」、そして「深まった感情の容量」、「耐える」ということ。
何もかもが「共有」されている--と感じるのは、渡辺が「共有」(共感)へ向けて、ことばを動かしているからである。そして、このとき「共感」というのは「日常」にあるのだけれど、「日常」の表面ではなく、「深まった」ところにある。「日常」の深まったところに、「深まった感情」があり、それを掘りあてるようにして渡辺はことばを動かす。掘りあてるための道具は「ことば」であるけれど、その「ことば」には「共通の日常」がある。
その「共通の日常」というのは、たとえば、
唐獅子牡丹咲き誇る
啖呵の修羅場から遠く離れて
ほの暗い隠れ家の中に開花する魂は
まだかすかに緋色の残照を保っている
(「吟遊」)
東映のやくざ映画である。唐獅子牡丹である。
ここでおもしろいのは(と、いまなら言える)、「共通の日常」といっても渡辺はやくざでもなければ博徒でもない。それを読む私もやくざでもなければ博徒でもない。それでも高倉健や藤純子の「映画のなかの行為(日常)」を「自分の日常」に重ねていた。このとき「自分」とは「感情」であった。
「自分の感情」の奥を探っていけばやくざ映画に登場する人物の感情にぶつかる。「社会」から締め出された「感情」にぶつかる。--もちろんこういう図式は「虚構」であるかもしれない。けれど、やくざ映画という虚構をかりて、「日常」を虚構にしたてあげ、虚構ではないのは「感情」だけだと主張するとき、「私たちの魂」は確かに開いた。開いたつもりだった。はかない花を咲かせることで「社会」を告発しているつもりだった。
感情を共有するとき、その向こうに、そういう感情を必要とする「社会構造の日常」(世界の日常)があった。社会によって感情が切り裂かれ、破壊されている。だから、今度は感情によって社会を、世界を切り開き、そこにほんとうの魂を実現する。
「世界」そのものには立ち向かうことができず(世界の巨大さ、強さを感じていたのか)、比喩としてのやくざ、博徒の世界のなかで感情の花を咲かせ、それを共有していたのである。
どういえばいいのだろう……。
開花前線はゆっくりと
時を遡るように北上する
私の歌 きみの声で
その地 その地の春の死者たちの魂を鎮めながら
<どうせ死ぬなら 桜の下で
死ねば屍(かばね)に花が散る>
旋律は低く
しかし豊かな予感を孕んで鳴りはじめる
生まれつつある恋の二重唱や
決闘の血しぶきが走る障子への序曲として
トーチ・ソングのように甘くかすれ
あるいは 演歌のように怨みを唸らせて
多彩な音色で高まっていく
イライザよ お竜さんよ
スペインの平野(プレイン)に雨(レイン)が降れば
一晩中でも踊れただろう
つと差し出された蛇の目傘に包み込まれれば
肩に負う緋牡丹は燃えただろう
(「開花前線」)
「恋の二重唱」。ああ、「二重唱」だったのだ。
「二重唱」と言っても、イライザやお竜さんにあわせて私たちが歌を歌ったとしても、彼女たちの「歌」がかわるわけではない。彼女たちが私たちの歌(声)を聞き、そこに何かしらを感じ取り、それにあわせてくれるわけではない。つまり、私たちの一方的な「二重唱」なのだが、そんなふうには思わないのが「青春」である。イライザやお竜さんにあわせて、私たちが「夢の花」を二重唱の中に咲かせれば、イライザやお竜さんは、その花が輝くように私たちの「肉体」のなかで生きて動いてくれる。「私たちの二重唱」が完成するように、彼女たちも「声」をかえてくれる--という幻の「二重唱」。
いつでも、どこでも「二重」だった。「二重」を夢見て、実際に「二重」であったのだと思う。社会そのものも。いまはなくなってしまった(あるという人もいるだろうけれど)、社会党と自民党。労働と資本。反対の意見を持っていても、それは向き合うということで「二重」だった。「二重」であることによって、社会を対立させ、対立させることで統合していた。
それは「感情の小選挙区」ではなく「感情の中選挙区」のようなものだ。否定しながら共存を認める。共存しないことには、互いにいきいきとは動けない。批判の中に肯定があり、「いま」を突き動かすためにあえて軌道を逸する--と書いてしまうと、なんだか違ってきてしまうが……。
「私たち」のことばは「私たち」をまだ持っているのか。あるいは「私たち」を取り戻すことができるのか。対立の共存。抑圧するものを、感情の爆発で再構築できる。感情の暴走は、世界を再生できるか。「私たち」は「祭りのあと」になってしまったのか。「私たち」の「ことば」はどこにいるのか……。
続・渡辺武信詩集 (Shichosha現代詩文庫) | |
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