詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

引責か、隠蔽か

2017-07-28 10:07:07 | 自民党憲法改正草案を読む
稲田辞任(引責か、隠蔽か)
               自民党憲法改正草案を読む/番外110 (情報の読み方)
 2017年07月22日のブログで「稲田は第二の甘利か」と書いた。その予測通りになった。
 先日の「国会閉会審査」は安倍と加計学園との関係が焦点だったが、稲田の「陸地日報隠し」関与問題が直前に発覚し、野党の追及は分散してしまった。稲田が、いわば「弾除け」になった。
 稲田は安倍のお気に入りだから、安倍が稲田を「弾除け」にするはずがない、と思う人がいるかもしれないが、天皇さえ「生前退位」させ、憲法改正の邪魔にならないようにするのだから、稲田を「弾除け」につかうことなど、安倍にとっては何の問題もない。それまでかばってきたのだから、最後は利用させてもらう、ということだろう。だから自衛隊側から漏れてきた「稲田は日報隠しを知っていた」という情報も、きっと安倍が根回ししてリークさせたものだろう。
 また、きのう発表された「辞意」そのものも、「日報問題」をうやむやにするための工作である。甘利の辞任と引き換えにTPP法案を成立させたように、稲田の辞任と引き換えに「日報問題」を封印する。きょう監察結果が公表されるが、責任者の稲田が「辞任」しては、発表する責任者がいない。内容について、だれが責任を持って質問に答えるのか。稲田が辞任するのだから、もうこの問題はいいじゃないか、と封印されてしまう。
 陸上幕僚長が辞任し、稲田と防衛次官が辞任し、「制服」側も「文民」側も責任者が辞任する。「痛み分け」、あるいは「喧嘩両成敗(?)」のような感じで、何もなかったことにしてしまう。
 これは、ひどい。
 また、もう一つのことも考慮すべきかもしれない。27日、稲田に先立って蓮舫も民進党代表を辞めると表明した。野党ががたがたしている。この機会に、一気に問題を「処理」してまう。なかったことにしてしまえ、ということだろう。少なくとも民進党は稲田問題(日報問題)を追及しようにも、党内のごたごたを整理するのにエネルギーをとられてしまって集中できないだろう。
 安倍は、こういう「政局」の処理の手筈は巧みだ。
 甘利に内閣復帰への「密約」があったように、稲田にもおいしい「密約」があるのだろう。
 読売新聞(西部版・14版)社会面には、稲田の最近の様子が統合幕僚監部の幹部の証言として、こう書かれている。

稲田氏が、今週に入り、満面の笑みで周囲に接するようになった。この幹部は「統幕内でも、『なにかある』と話題になっていた。数日前から決断していたのではないか」と推測した。

 私は、「数日前」に安倍から「次の次の内閣で入閣させるから」という「密約」をもらったのだろうと読んだ。国会審議で「弾除け」になり、日報問題の監査結果が公表される直前に辞任することで、今度は稲田自身がさまざまな追及の攻撃から完全に身を隠してしまう。「辞任」が「弾除け」になる。

 「引責」とは、変なことばである。
 問題の解明は、だれかが辞めることで明確になるわけではない。問題を明確にした上で辞めるのでなければ、「どんな責任」があったのか、「どうすべきだったのか」があいまいなまま処理される。
 すべてを封印して、一個人の身分と引き換えにしてしまう。
 政治とは、ことばである。ことばで説明しなければならないことを、「身分を捨てる」ことで封印する。
 「引責辞任」ではなく、「隠蔽辞任」である。

#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
 
憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー
クリエーター情報なし
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