詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党の二枚舌

2017-07-10 09:41:01 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党の二枚舌
               自民党憲法改正草案を読む/番外104 (情報の読み方)
 きょう2017年07月10日に加計学園問題をめぐり、国会の閉会中審査が開かれる。野党が臨時国会の開催を求めているのに対し、自民党が拒否し、かわりに開かれる。この審査会には安倍は出席しない。G20のあと、ヨーロッパを「外遊」中のためである。ただし、九州豪雨に対応するため、1日切り上げてあす帰国するそうである。10日の審査会はどうしても避けたかったようである。

 この対応をめぐって、現行憲法と自民党の憲法改正草案を比較してみる。

現行憲法 第五十三条
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。
いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

改正草案 第五十三条
内閣は、臨時国会の召集を決定することができる。
いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない。

現行憲法 第六十三条
内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。
又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

改正草案 第六十三条
内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、議案について発言するため両議院に出席することができる。

内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。

 自民党が臨時国会を拒否した理由は、現行憲法には「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」という規定はあるが、何日以内に開かなければならないという規定はない。だから今すぐに開かなくてもいいと主張している。
 現行憲法を、「尊重」している。
 一方、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、(略)答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない」という規定に対しては、それを無視している。そして、「出席しなければならない」という部分に対しては、改正草案の「ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない」を適用しようとしている。G20への参加、その他のヨーロッパ諸国「外遊」を「職務に必要」と判断したということだろう。改正草案を先取り実施している。
 この改正草案の「先取り実施」を第五十三条にあてはめるとどうだろうか。改正案では、「要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」と書いてある。つまり自民党の理想は「要求があった日から二十日以内」の開催である。しかし、現行憲法に規定がないからという理由で拒否している。
 一方で現行憲法を優先し、他方で改正草案の規定を優先する。こういうことをダブルスタンダードという。そのとき、そのときにあわせて、基準をかえている。自民党のつごうにあわせている。

 加計学園問題を、「核心」の安倍への質疑抜きで、自民党はどう説明するつもりかわからないが、安倍抜きでは多くの人は納得できないだろう。森友学園問題も、国民の多くは「解決した」とは思っていないだろう。
 臨時国会、内閣総理大臣、閣僚の出席問題への「ダブルスタンダード」と同じことが、加計学園、森友学園に対して行われていると、私は見ている。安倍に親しい人がいるか、いないかによって対応をわけている。親しい人がいるなら優遇する。いないなら優遇しない。
 これは、ある意味では、強烈な「統一基準」であるとも言える。
 「安倍優先」という基準。
 
 国会運営も同じ。
 安倍が国会で追及されないようにするという「統一基準」で国会を動かそうとしている。そのために、さまざまな「規定」をそれにあわせて運用している。
 このことを忘れないで、きょうの「審査会」の質疑を見守らないといけない。どこで、どういう「基準」を出してくるか。それを、どう運用するか。
 「二枚舌」をチェックするところから「審査会」を見る必要があると思う。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
 

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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マーレン・アーデ監督「ありがとう、トニ・エルドマン」(★★★)

2017-07-10 08:51:47 | 映画
監督 マーレン・アーデ 出演 ペーター・シモニスチェク、サンドラ・フラー

 悪ふざけが好きな父親、生真面目な娘。父親が娘の生き方を心配し、見守り、ちょっかいを出すという映画。
 細部がていねいで、とてもいい。
 特にいいのが、二人がドイツ大使と秘書を名乗って、イースターの準備をしている夫人の家をたずねるところ。娘は「童心」というものをすっかりなくしているからイースターの卵(模様づけ)には関心がない。いやいや作業をしている。その最後に、父親が、「お礼に私がピアノを弾き、娘が歌う」という。娘は仕方なしに歌を歌う。これが投げやり。投げやりだけれど、どこかにほんとうの気持ちが表れてしまう。「自分を信じて、自分に自信を持って」というような歌詞が出てくるが、あ、そういう時代があったと思い出すのである。いまでも仕事をこなし、やり手と思われてはいるが、それは自信ではなく、ある種の「虚勢」かもしれない。自分のしていることが、目一杯とわかっているから、娘はどことなくギスギスしてしまう。
 その直前の、視察先の石油(?)掘削現場近くで、父親が近くの家でトイレを借りるシーンもいいなあ。近くの家の人がリンゴまでくれたりする。まあ、そこには「首にしないで」というような思いもあるんだろうけれど、なんといえばいいのか、人に頼る人の弱さの美しさというものが静かに描かれている。頼っている人を、簡単に見捨てていいのか。娘の仕事はリストラを進める、リストラの方法を企業に教える、いわばコンサルタントなのだが。
 これがあって、イースターの卵づくりへとつづいていく。イースターの卵をつくったからといって誰かがほんとうに幸せになるわけではない。けれど、そういうことをする、みんなで何かを「願う」というところに「しあわせ」というものがあるんじゃないだろうか。人は人を頼りにしている。
 「女子会(?)」で、自分のつまらなかった週末の出来事を自慢し合う、そうやって慰め合うというのも、まあ、それに通じるかもしれない。どこかで自分の弱さをさらけだす。つらかったことをさらけだす。それができることの「しあわせ」。「不幸」なんだけれど、なんとなく「不幸」から吹っ切れる瞬間。
 でも。
 うーん、盛りだくさんすぎる。エピソードが多すぎて、なおかつそのすべてが「ていねい」に描かれていて、映画なのに映画と思えなくなる。それがこの映画の見どころではあるのだけれど、これはつらいなあ。
 ぜんぜんハッピーな感じにはなれないのである。
 娘の誕生パーティー(ヌードパーティー)に、父親が全身毛だらけの着ぐるみであらわれる。公園まで娘が追いかけ、「パパ」と抱きつく。なかなか感動的なのだが、そのあと、着ぐるみが脱げなくなって、父親が近くの事務所(?)に飛び込み、受け付けの女性に着ぐるみを脱がせてくれ、というところなど、そういうことが「事実」であるにしろ、「現実的」すぎて……。

 ペーター・シモニスチェクはすばらしいし、ジャック・ニコルソンがぜひやりたいと言って、リメイクされるみたいだが。つまり、役者にとっては、とってもやりがいのある役どころなのだが、これを3時間も見せられるとちょっとつらい。アメリカ版は、もっともっと整理されて短くなるだろうけれど、でも、そうすると今度は完全に違ったものなるだろうなあといういやな感じもあるし。
 意外と、現実がつらくてつらくてしようがないという人、サンドラ・フラーと同じ立場にいる人には、ぐいっと迫る映画かもしれない。我慢して我慢してエリートであることを維持している人が見ると泣いてしまうかもしれない。でも、そういうひとはこの映画を見ないだろうなあ。見ている時間はないだろうなあ。
                     (KBCシネマ2、2017年07月09日)


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