詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎「蝉の暮方」

2017-07-24 10:01:09 | 詩(雑誌・同人誌)
石毛拓郎「蝉の暮方」(「飛脚」18、2017年07月10日発行)

 朝から蝉が鳴いてうるさい。シャワシャワシャワという声はまるで雨のようで、まさに蝉時雨れ。
 で、詩人は、どんなふうに蝉を描いているか。
 石毛拓郎「蝉の暮方」。

うたうには この甲冑が邪魔だ
ぱっくりとわれた背殻を 脱ぎ捨て
蝉は うたっている
風が立ち 初霜が降りてくるというのに
まだ 朝な夕なにうたっている
うしろむきの奴もいる
ああいつのまにか 秋が来てしまった

 「暮方」というタイトルに不安がよぎる。や、やっぱり、夏の終わり、命の終わりの蝉か。蝉は短命の象徴だからなあ。
 ちょっとがっかりするのだが。
 でも、「この甲冑が邪魔だ」という書き出し、それを受けての「ぱっくりとわれた背殻を 脱ぎ捨て」という部分に、破れかぶれのサムライのようなものを感じたので、もう少し読んでみることにする。

こまった
こまった
蝉は 歯がないことを
すっかり忘れていた
樹液は乾き 固まってきた
それでも飢えたまんま 蝉はうたっている
腹がへっても
蝉は 樹の蜜を吸うことはない
木の皮に かじりつくこともなく
短命にへばりつき ただうたうだけだ

 ここは、いいなあ。
 「蝉は 歯がないことを/すっかり忘れていた」って、蝉が忘れていたわけじゃないだろう。蝉に「歯がある/ない」の意識はないだろう、でたらめ書くな、と石毛の頭をゴツンとたたきながら、蝉に人間(石毛自身というよりも、サムライ)を重ね合わせる姿に、なんとなく笑いたいような親しみを感じる。そうか、石毛はサムライ型の人間なのか。
 武士は喰わねど高楊枝。
 「飢えたまんま」「腹がへっても」のくりかえしが切ない。やせ我慢の向こう側に、どうしても守りたいものがある。
 なんだろう。

ただただ ひとつの歌をうたうだけだ
もちろん 情けないほど短い地上の生なのに
歌と 歌の合間をぬって
ちゃっかり 生殖も忘れちゃいないが……

 笑ってしまうなあ。サムライの精神性とは関係ないなあ。「生殖も忘れちゃいないが」というけれど、まあ、蝉は「生殖」かもしれない。でも、人間は「生殖」とは関係なくセックスをする。貪欲なのである。
 貪欲、貪欲の奥に動いている「いのち」そのものを石毛はつかみとってきて、ぱっとほうりだす。それは「いのち」を「精神」に結びつけるというよりも、「精神」というものをたたき壊す、「精神(性)」というものの「嘘っぽさ」を「肉体」そのもので否定する感じがする。
 石毛も「精神性」を求めて書いている、現実のなかから「精神性」をつかみ取ろうとしているとは思う。しかし、その「精神性」は、なんといえばいいのか、「西洋哲学/現代思想」のような「頭」のなかにある「精神性」ではなく、もっと生々しい「肉体」。「頭」に頼らずに生きている「肉体」の奥にある、まだ形として整えられていない欲望、貪欲に根ざしたものだ。
 貪欲の称賛、貪欲の肯定とでもいうべき視点が石毛のことばの基本にある。「生殖」と書いてしまうところが気取りなのか、皮肉なのか、よくわからないが、このことばを踏み台にして、詩は大転換する。ここに詩の華がある。

暗黒の夕暮れ 空腹になると
ノルウェイ人は 鉋屑を喰い
ロシア人は 煉瓦を喰らう
なんと かれらは便利な胃袋をもっている
中世戦乱の飢えが 朦朧をひき起こすと
山形荘内民は 乞食に化け
常陸荘内民は 詐欺師に代わる
なんとなんと かれらは便利な渡世術を
餓鬼の頃から 叩き込まれていた

 貪欲は「便利な胃袋」であり、「便利な渡世術」である。「便利」は、自分にとってという意味。そして、それは自分を変えていく力である。「世界」がかわらない、「世界」が自分の味方をしてくれないなら、自分の都合(便)が利くように自分をかえていくしかない。人間には、そういう力がある。「他人」は関係がない。他人なんか、たたきこわしてかまわない。
 ここに書かれているは、蝉(サムライ)の生き方とは正反対のもの。

 この「起承転結」の「転」のような九行のあと、詩はこう結ばれる。

七日もすれば
蝉は カラカラになって
藪椿花のように 木から落ちる
蝉は みのりの秋というものを
うたわないのだ
ただ ひとつの歌をうたうだけだ

 「蝉」と「歌」にもどってしまう。「精神」を歌う。
 これ、どういうこと? 石毛は、この詩で何がいいたい?
 私は非論理的な人間なので、こういう問題には関与しない。論理的に結論を出したいとは思わない。
 ばかな蝉にかこつけて、「山形荘内民は 乞食に化け/常陸荘内民は 詐欺師に代わる」という「便利な渡世術」の鮮やかな形で提示したかったのだと「誤読」する。書きたいのは蝉ではなく「便利な渡世術」。その奥に生きている「貪欲」。「貪欲の力」。それを書きたいのだ。

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