詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

暁方ミセイ「春の港」

2017-07-09 15:05:17 | 詩(雑誌・同人誌)
暁方ミセイ「春の港」(同人誌名不詳。2017年03月12日発行)

 暁方ミセイ「春の港」は、暁方、そらしといろ、疋田龍乃介、吉田友佳の4人ではじめた「同人誌(紙?)」。本体(?)に名前が書いていない(見つけられない)。封筒に書いてあったのかもしれないが、すぐに処分するので、わからなくなってしまった。
 その全行。

アマリリス、アマポーラ、流れていった
川の中には緑の水草
(考えなしの春がきている、わたしは浴して不愉快に明るくなっている)
そうだここに、北の花畑の思い出を持ち込み
冷たく清めて冬虫の魂を
呼び出したらどうだ
(ばかげた均衡、わたしは浴して不愉快に明るくなっている)
不愉快に明るくなる
空がうす緑で水は甘い茶色
ジギタリス、ルビナス
毒を回せ
そうだそれで、均衡だ この世の春の
ランドスケープだビオトーブだ

 三行目が魅力的だ。「不愉快に明るくなる」。このことばの衝突が楽しい。この衝突は「均衡」として言いなおされている。
 そして、それが均衡として言いなおされているなら、衝突も均衡も「考え」であり、「考えなし」は「ばかげた」均衡になり、さらに「毒を回せ」の「毒」になっていく。「毒」として結晶する。これは「矛盾」なのか「止揚」なのか、わからない。
 詩なのだから、まあ、わからなくていい。
 「不愉快に明るくなる」のなかに「毒」がある。「毒」だけれど「均衡」があるから、人間は死ぬわけではない。何かを覚醒させる力として働く。「覚醒剤」のようなもの。
 だから「不愉快に明るくなる」と「毒」は、エリオット「荒れ地」の「春の雨」と「根っこ」の関係に通じるかなあ、とも思う。「矛盾」というか、予期しなかった「事実」がそこにあり、それが「常識」を壊していく。人間を生まれ変わらせる。

 ことばのリズムも、とてもいい。「ア」マリリス、「ア」マポーラ、「み」どりの「み」ずくさ、ジギタリ「ス」、ルピナ「ス」とか、ランドスケー「プ」。ビオトー「プ」とか。ふゆむ「し」、たま「し」いというところにも、私は反応してしまう。「冬虫」は読み方を間違えているかもしれないけれど、そんなふうに間違えて読んでしまうくらい、そのリズムと音楽に引き込まれている私がいる。



ウイルスちゃん
クリエーター情報なし
思潮社
コメント
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