監督 エレノア・コッポラ 出演 ダイアン・レイン、アレック・ボールドウィン、アルノー・ビアール
エレノア・コッポラはコッポラの妻だという。自らの体験に基づく映画だそうである。そうすると、ダイアン・レインがエレノア・コッポラで、アレック・ボールドウィンがフランシス・コッポラか。うーん、どっちも「実物」より役者の方が美女、美男だな。エレノア・コッポラは、写真も見たことがないから知らないけれど。
で。
何が言いたいかというと、「実物」よりも「役者」が「美形」だとしたら、この映画では「現実」が「理想化」されているということ。「理想化」が悪いわけではないが、「理想」ほど退屈なものはない。
「理想」は裏切られるためにある。「理想」がこわれるたびに噴出してくる「現実」。これが映画に輝きを与える。役者にしたって、「美形」が一瞬「醜悪」になる。あるいは「ブス」が一瞬「美形」にかわる。そういう瞬間って、おもしろいよねえ。
あの「キャリー」のシシー・スペイシクさえ、ダンスパーティーの「女王」に選ばれた瞬間、「私は美しい」という喜びにあふれた顔になり、「あ、美人じゃないか」と思ってしまうからねえ。
あ、脱線した。
スタートは、まあまあ、よかった。
アレック・ボールドウィンが電話で誰かと話している。「調子はどうだい」みたいな声に、ダイアン・レインが「耳の調子は大丈夫」みたいに答えてしまう。その間合い、それからの展開が自然。実際にあったことなんだろうなあ。リアルだなあ。そのあとダイアン・レインがコンパクトカメラで写真を撮る。細部にこだわり、アップの写真。全体は見た人に想像させる。
この写真が、映画のあちこちで登場する。
おもしろいのは、はっきり言ってしまって、この「写真」だけ。細部の拡大。全体はわからない。でも奇妙に充実している。
でもねえ。写真は、動かない。これが問題だなあ。
映画も、まったく動かない。
あ、カンヌからパリまで車で移動する。動いている?
これは、間違い。映画のなかでは何も動かない。人間は、最初から最後まで「自分」の殻に閉じこもっている。殻を突き破って、新しい人間(感情)が動き始めるわけではない。だから、外部(風景)を動かすことで、ストーリーが動いているようにみせかけているだけ。
もちろん、このロードムービーを気取った「理想化」と見れば、ほんとうは「何か」が隠されているということになる。「理想」を映画化したのであって、「現実」は、いやはや、たいへんだった。くんず、ほぐれつの、行く先々でのはめをはずしたセックスがあった。ようするに、だれもかれもが浮気し放題だった。でも、それをなかったことにして「理想」の男女の旅行を描いた。
でもねえ。
それを感じさせるには、ダイアン・レインは「冷たすぎる」。アルノー・ビアールも色気がなさすぎる。あふれてくるものがない。
これに比べると、イギリス男が二人でローマを旅しながら「グルメルポ」をやる映画の方がおもしろかったなあ。男二人なのに、妙に「色気」があった。漫才みたいに「物真似ごっこ」をやるところがおもしろかったし、料理もイタリアの方がおいしそうだな。
(KBCシネマ1、2017年07月12日)
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