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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中神英子『夢に見し木の名前を知らず』

2017-07-03 08:25:30 | 詩集
中神英子『夢に見し木の名前を知らず』(栗売屋、2017年07月01日発行)

 中神英子『夢に見し木の名前を知らず』を読み始めてすぐ不思議なことばの「手触り」を感じた。どことは言えないのだが、こんなふうには書かないなあ、と感じる。

長い時間が角砂糖の溶けるように消えた             (「野のもの」)
   
火の玉のような赤い赤い門燈を目印にして            (「交番」)

 「ように/ような」というのは「直喩」の方法。特に変わった書き方ではないのだが、ここで私は何となく不思議な気持ちになる。「暗喩」の方になれているので「ように/ような」がまだるっこしく感じるのかもしれない。ことばのスピードが落ち、もったりした感じになるといえばいいのか。「暗喩」にしてしまえば、スピードがあがるのに、と思ってしまう。
 で、詩集のタイトルになっている「夢に見し木の名前を知らず」まで読み進んで、私は「あっ」と声を上げる。

   沼
夜になると輝き始める
小さな沼があった
月光に照らされた白い花を
無数に咲かせた木が映っている

   のはら
雨のようなものが降り注ぐのはらで
あのひとに出会った
うっすらと紡げば白いレースになるようなもの
さわさわと降り注ぐ

 「沼」の部分には「ような」がない。そのために、全体が「象徴詩」のように暗示的に見える。
 「のはら」では一転して「ような」がつづけざまに登場する。そして「ような」ということばのために、詩が「象徴詩」にならずにすんでいる。
 この印象は間違いかもしれないが、私は、そう「誤読」する。
 そして、この「象徴詩」の拒否というか、何か「意味」になることを拒否するために「ように/ような」がつかわれていると気づく。
 「ような/ように」は直喩。「比喩」なのだが、何かの「比喩」というよりも、比喩にならずに、「もの」そのものをことばのなかに取り込んでいる。詩にぶっつけている、という感じなのだ。
 「比喩」を通して何かを言いたいのではなく、「比喩」として書いているものそのものを書きたいのだ。
 「角砂糖の(が)溶ける」「火の玉」そのものを書きたい。「雨」そのものを見えるようにしたい。「白いレース」そのものを描きたい。
 「比喩」だから、もちろん、こういうとらえ方は間違っている。「誤読」である。しかし、私にはそう感じられる。
 「何か」が書きたくて「比喩」を書いているのではなく、「比喩」が生まれてくる瞬間、その「比喩」が指し示すものがあらわれ、同時にそのものを否定し、なおかつそのものに戻って現実と向き合うという感じ。
 うーん、うまく言えないが。
 交番の赤い門灯。それは「火の玉」ではない。しかし「火の玉」として目の前にあらわれ、「火の玉」であることを否定して「門灯」になるのだが、門灯の「比喩」になった瞬間、もう一度「火の玉」として現実にあらわれてくる。
 そういう奇妙な交錯を感じる。
 「暗喩」では重なってしまうものが、重なりながら、重なることを拒んで、ずれるというか、自己主張してしまう。

 うーん。
 唸りながら、読む。そして「花」という詩の、次の部分。

それは花なの?
確かに花だけれど
(そうではない)と言い張る自分がいて
それは正しいと思えるのだ
「誰かにもらったの?」
子供はやっとかすかに頷いた
「それは何?」
「言っちゃいけないっていわれたの」

 「比喩」は何かを指し示す。それは何か「そのものではない」。「そうではない」がその「そのものではない」と重なる。それでは

「それは何?」
「言っちゃいけないっていわれたの」

 この「何」と「言っちゃいけない」という組み合わせ。
 ここに中神の書いている「ように/ような」という「比喩」の「秘密」がある。
 「何か」なのだけれど「言ってはいけない」。そのために「比喩」がある。だから「比喩」は「何か」を否定し続ける。「何か」を指し示しながら「何か」を否定し、違うものになりつづける。

 これは、とてもおもしろい問題だ。

 簡単に答えは出せないのだが、この「ような/ように」の「比喩」を考えるとき、次のことばが参考になる。「象」のなかに出てくる。

「この風景はどこか遠くで壊れてしまったものの生まれ変わりなのです」

 これは「直喩」ではなく、一行全体が「暗喩」である。
 そして、この行にであった瞬間、私は、これを次のように読み替えたい衝動にとらわれる。

「のように、のようなという直喩は、どこか遠くで壊れてしまったものの生まれ変わりなのです」

 もう存在していない。けれど、その存在していないものが「生まれ変わって」、いまここにある。それが中神の「直喩」なのだ、と私は「誤読」する。
 それは「生まれ変わる」ことによってはじまる「対話」なのだ。

 そう思った瞬間、また別の何かが私を突き動かす。何かが私を襲ってくる。

 この詩集には丸山瓢(ひさご)の短歌が引用されている。
 「夢に見し木の名前を知らず」の「沼」はその短歌ではないのだが、あの「沼」のように何か他のことばと向き合い、向き合うことで刺激を与えるような形で引用されている。(具体的に説明するには全体を引用しないといけないので省略する。)
 さっき書いた「言い換え」を利用すると、

「引用される短歌は、どこか遠くで壊れてしまったものの生まれ変わりなのです」

 ということになる。
 その短歌は中神の死んだ父の作品ということなので、それを踏まえると、

「中神の詩は、どこか遠くで壊れてしまったものの(死んでしまった父、彼が残した短歌の)生まれ変わりなのです」

 ということになるかもしれない。
 かなり乱暴な、端折りすぎた言い方なのだが、そんなことも考えた。
 そして、とてもおもしろいと感じた。
 ことばがことばと対話して、対話することでことばが「もの」に還っていくような、不思議な「手触り」がある。

 これは、すごい詩集だなあ。
 あれやこれやの「哲学用語」などはどこにも出て来ないのだが、真剣に哲学している。その真剣があふれている。
 栗売社の詩集は小ぶり。この詩集も手から少しはみ出るくらいの大きさで、それもなんといえばいいのか、自分の「肉体」だけで支える「哲学」という感じがして、とても好ましい。とてもうれしい。
 こんなふうに、うれしくなる詩集というのは、傑作ということだと思う。

群青のうた
クリエーター情報なし
思潮社
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自民党大敗(2)

2017-07-03 08:24:11 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党大敗(2)
               自民党憲法改正草案を読む/番外100 (情報の読み方)
 東京都議選について、選挙前議席と比較して、民進党が2議席減らし、その分が共産党に廻ったと書いたところ、フェイスブックで、本田孝義さんから、次の指摘をいただいた。ありがとうございます。

 違うと思います。民進党から11人も都民ファーストに移っていますから、実際は民進党は13議席も減らしています。ですから、民進党惨敗が正しいと思います。

 この民進党の「惨敗」から思うこと。
 これはむしろ民進党にとってよかった。「野党」に徹することができる。
 民進党は一度政権を取ったために「野党」に徹しきれていない。安倍から「反対をするだけでなく代案を出せ」と言われると、おたおたとして「代案」をまとめようとする。
 「代案」は「反対」という意見の中に、すでにある。「反対」のなかにふくまれるものをくみ取って「修正案」をつくるのが「与党」の仕事。
 だいたい「代案」を要求するくせに、安倍自民党は「案」をつくるのに必要な資料を公開しない。各省庁から公開される「情報」はすべて「黒塗り」である。情報・資料は安倍自民党にしか提供されていない。
 だれだったか、情報公開にあたっては、まず与党自民党の了解を得られないとできないと言っていた。各省庁と安倍自民党が政策決定に必要な資料、情報を独占している。
 これでは「野党」に「代案」が作れるはずがない。
 もし作ったとしても、「これこれの部分は、これこれの資料、情報と照らし合わせると実現不可能である。民進党の案は現実を無視している」と否定されるだけである。
 だから、「与党案」のどこに問題があるか、それを指摘し続けることが「野党」の仕事なのである。
 安倍自民党の「案」がどのような問題を含んでいるかを指摘し続ける。そして、安倍自民答案がどのような「資料・情報」をもとに成り立っているか、その「情報公開」を迫り続ける。「案」制作過程に「不正」がおこなわれていないかをチェックする。それが求められている。
 加計学園問題、森友学園問題が顕著な例である。
 なぜ安倍の友人が優遇され、税金がつぎ込まれるのか。その判断の過程で、どういうことがおこなわれたのか。それを追及し続ける。
 こういうとき、「手段」は問わないのだ。問われないのだ。
 「不正」が明確になれば、「不正」をあばく過程(手段)は問題がない。少なくとも、国民は「不正」と「不正を暴く手段」とを比較し、「不正」を暴いた方を正しいと判断する。自分たちの払った税金が無駄につかわれずにすむのだから。
 内閣の人事、あるいは官僚の人事も同じである。
 ほんとうに「適正」な人事なのか。そのことをひたすら追及すればいい。人事の問題点を追及し続ければいい。「代案」など必要がない。「不正」にその地位についている人間をひきずり下ろせばいい。代わりの人事任命権は「野党」にはないのだから。

 民進党には、開き直って、徹底的に安倍自民党を追及してもらいたい。追及の過程で、国民の声を吸収してほしい。国民の声を吸い上げながら、安倍自民党を批判してもらいたい。
 「気取った声」ではなく、町中にあふれている声を拾い上げることが必要だ。
 現行憲法の「戦争放棄」の文言を支えているのは、幣原喜重郎が電車のなかで聞いた男の声である。

「いったい、君はこうまで日本が追い詰められていたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなければならなかったのか。おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっともわからない。戦争は勝った勝ったで敵をひどくたたきつけたとばかり思っていると、何だ、無条件降伏じゃないか。足も腰も立たぬほど負けたんじゃないか。おれたちは知らぬ間に戦争に引き込まれて、知らぬ間に降参する。自分は目隠しをされて場に追い込まれる牛のような目にあわされたのである。けしからぬのは、われわれをだまし討ちにした当局の連中だ」
 初めはどなっていたのが、最後にはオイオイ泣きだした。そうすると、乗っていた群衆がそれに呼応して「そうだ! そうだ!」とわいわい騒ぐ。(略)
 (略)この人が、戦後組閣したとき考えたこと、また憲法草案について相談を受けたときに考えたことは、バンヤンでも、ミルトンでもなく、カント、ルソーでもなく、電車の中で聞いたこの男の声だという。
 そして、あの光景を思い出して「これは何とかして、あの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく、努めなくてはならぬ、と堅く決心したのだった。それで憲法のなかに未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならぬということは、ほかの人は知らぬが、私だけに関するかぎり前に述べた信念からであった」といっている。

 これは鶴見俊輔の「敗北力」に書かれていることだが、こういう「声」を拾い上げ、組織化するということが民進党に限らず、野党に求められている。
 「代案」を要求する安倍自民党の手口にだまされるな。
 安倍が「こんな人に負けるわけにはいかない」と罵った、「こんな人」、国民の声に身を傾け、そこからことばを組織化してほしいと思う。


#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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自民党大敗

2017-07-03 00:44:04 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党大敗
               自民党憲法改正草案を読む/番外99(情報の読み方)

 東京都議選は自民党が30議席を割る大敗という結果になった。0時過ぎのNHKの速報(確定)では自民党は23議席、公明党と同じである。
 この結果に対し、都民ファーストは結局のところ自民党と同じという声が一部にある。しかし、私はそうは考えない。

 これまでは自民党が1強だったのではない。「安倍1強」ということばがあるが、あくまで安倍の独裁だった。それが崩れた。森友学園で火がつき、加計学園で燃え上がり、さらに共謀罪の強行採決、稲田の選挙違反(自衛隊をつかった脅し)、下村の献金疑惑とつづき、選挙最終日の安倍の「こんな人たちに負けるわけにいかない」という国民を侮辱する暴言があった。もう「安倍1強」というわけにはいかないだろう。
 自民党から小池が距離をおいた。同じことが今後起きる。自民党の内部で「安倍独裁」が崩れるきっかけになる。
 安倍が最後に応援演説をした選挙区で、自民の中村彩が破れた。安倍が応援に駆けつけると「安倍辞めろ」コールが起きる。安倍に来てもらっては困るという状況が今後も起きるだろう。
 中村彩は「(自民党は)人を罵倒したり、お金の問題、恋愛問題、国民の信頼を失い恥ずかしい、情けない」と敗戦について語っている。そういう思いをする自民党議員が増えるだろう。そういう人が、安倍から距離を置き始めるだろう。

 民進党が議席を増やしたわけではない。2議席減らし、その2議席が共産党に廻った形だ。野党が「勝った」とは言えない。
 けれど、「安倍自民党」は大敗したのである。
 このことはとても重要だと思う。
 最終日の安倍応援演説に対する市民の声を報道しなかったマスコミもあるが、マスコミが報道しなくてもニュースはつたわるようになった。
 これも大きな変化だと思う。
 昨年夏の参院選は、NHKを初めとする「選挙報道をしない」という作戦が自民大勝を支えた。報道しないために、自民党以外の主張が国民につたわらなかった。少数意見が抹殺された。
 しかし今回は、マスコミとは違う形でニュースがつたわる部分が多かったように感じた。


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