詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』(2)

2017-07-08 12:08:43 | 詩集
野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』(2)(思潮社、2017年06月30日発行)

 野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』の第7章は「西脇詩学、井筒哲学」である。
 井筒俊彦は、最近、詩人の間で大流行しているようだ。井筒俊彦はあまり読んだことがないし、むずかしくてよくわからない。野村の書いている文章を読むと、ますますわからなくなる。
 この章でわかったことは、
(1)野村は西脇を読んでいる。
(2)野村は井筒を読んでいる。
(3)野村は丸山圭三郎を読んでいる。
 ということである。ほかにもいろいろ出てくるのだが、野村はたくさん本を読んでいる。そのことはわかったが、
(1)井筒は西脇の詩をどう読んでいたか。
(2)西脇は井筒の哲学をどう読んでいたか。
 ということがわからない。
 井筒が西脇の講義を聞いたらしいことが書かれているが、二人の間には交渉があったのだろうか。互いに影響を受けあったのだろうか。一方が他方に影響を与えただけなのだろうか。
 もっと簡単に言うと、
(1)井筒が西脇の作品を取り上げて、彼自身の「哲学」を推し進める手がかりにしたのだろうか。
(2)西脇が井筒の哲学を読むことで、西脇の詩を展開するときのよりどころにしたのだろうか。
 これが、ぜんぜん、わからない。
 もし、そういうことがないのだとしたら、西脇と井筒を結びつけることは、何か意味があるのだろうか。二人の間に、そういう関係(一方的関係でもいいのだが)がないのなら、何のために二人を結びつける必要があるのか、それが私にはわからない。

 たぶん。

 野村は井筒を読み、そこで何かを吸収し、その視点から西脇を読み直した、ということなのだろう。そのことを「正直」に語ったのが、ここに書かれている文章ということになるのだろうけれど。
 うーん。
 「私は井筒を読みました」という「自慢話」のようにしか聞こえない。

 私は井筒俊彦を読んでいないので、野村が引用している井筒をもとに、野村が西脇をどう読んだかを読み取り、そのことに対する感想を書いてみたい。
 野村は、井筒の『意識と本質』を引用している。165 ページ以下に詳しく書かれているが、端折って「概略」を書くと……。
 井筒は認識のあり方を「分節(Ⅰ)=表層意識」と「分節(Ⅱ)=絶対無分節をくぐり抜けた分節」とにわけている。「絶対無分節」というのはロゴス、経験のことば(分節)がおよばない世界。いわば「カオス」。この領域を「アーラヤ識」と呼ぶのか、どうか、野村の引用ではよくわからない。(丸山や道元も引用されている。)
 井筒が重視(?)しているのは「分節(Ⅱ)」である。表層意識としてのことばではなく、カオスをくぐりぬけてきた新しい「分節(Ⅱ)」、いままで人間のことばがとらえてこなかった「世界の見方=表現方法」を指し示すことば。
 これを野村の引用から孫引きすると、井筒はこう言っている。

分節(Ⅱ)の次元では、あらゆる存在者が互いに透明である。ここでは、花が花でありながら--あるいは、花として現象しながら--しかも、花であるのではなく、前にも言ったように、花のごとし(道元)である。「……のごとし」とは「本質」によって固定されていないということだ。この花は存在的に透明な花であり、他の一切に対して自らを開いた花である。

 これを私流に「誤読」すれば。
 花でありながら、花でない。矛盾。これを「カオス」の状態と呼ぶことはできるかもしれない。ただし、その「カオス」の特徴は、互いに自己主張する「矛盾」ではなく、「透明」に交流する。融通無碍に行き交う。それは「花」ではなく「花のごとし」。いわば「花」が「行き交う場」としての「カオス」ということになる。「花」を固定しない。「そこを通り抜ければ」、そこからあらゆる「花」が開く。すべての「花」に対して、「花」になることを支える花とでも言えばいいのだろうか。
 よくわからないが「他の一切に対して自らを開いた花である」と井筒が書いている「自らを開く」という「動詞」のありようが重要な部分だと思う。「自らを開く」とは「自ら」にこだわらない。そこから「自分ではない花」が開いてきても、それを花として生きる、ということだろうと私は「誤読」する。つまり、かってに解釈を加える。「他者」になる。(ここから、きのう書いたランボーの「私とは一個の他者である」の「他者」へつながる何かを探せそうであるが……。)
 こういうときの花のあり方を「現象する」と書いたあと、「他の一切に対して自らを開いた」た状態で、花なら花に「なる」ことと言いなおしていると感じた。

 野村は、私が「誤読」した部分(野村が引用している部分)については、しかし、どう読んだかを説明せずに、次のように「飛躍」する。

 私の見立てでは、禅はこの境地を修行によって果たすが、西脇はそれを諧謔という記号実践によって果たしたのではないかということである。

 えっ、何を書いている?
 私にはさっぱりわからない。「禅」というのは井筒の文章に「道元」が出てきたから(引用されている)からだろう。
 でも、「諧謔」はどこから?
 井筒は「諧謔」について何か書いているだろうか。引用部分からはわからない。
 「現象する」が諧謔?
 説明もなく、西脇の『壌歌』の次の部分を引用する。

野原をさまよう神々のために
まずたのむ右や
左の椎の木立のダンナへ
椎の実の渋さは脳髄を
つき通すのだが
また「シュユ」の実は
あまりにもあますぎる!
ああサラセンの都に
一夜をねむり

 「諧謔」と書いたあと、この詩を引用しているのだから、この部分に野村は「諧謔」を感じたんだろうなあということは推測できる。そして、その「諧謔」をなんとか井筒哲学と結びつけたいと考えていることも推測できる。
 しかし。
 ここで野村は、野村自身で諧謔について語らず、菅野昭正「哀愁と諧謔」のことばを引用する。

「この野原がいかなる具体的な実像も結ばないということは、ここでは時間や空間も溶解しているということを意味している。古代は現在と重なり合い、遠い異国はわれわれの国とまじりあう。椎の木立がならぶ呉茱萸の実のなる野原は、一瞬にしてサラセンの紺碧の空に切りかえられる。あちらから、こちらへ、そのあいだには煩わしい境界線はいっさい設けられていない。そこではすべてが融通無礙に解け合うのである。」

 「ここでは時間や空間も溶解している」「そこではすべてが融通無礙に解け合う」というのは、井筒の「分節(Ⅰ)」と「分節(Ⅱ)」の間に横たわる領域のことを重なると思う。ただし、菅野が井筒の哲学をどう把握していたか、まったくわからないので、これは井筒とは無関係に考えたことかもしれない。(野村は、菅野と井筒の関係には触れていない。)
 それはそれで理解できないこともないけれど、でも、この文章と「諧謔」とは、どういう関係?
 菅野がどこに「諧謔」を感じたのか、野村がどこに「諧謔」を感じたのか、さっぱりわからない。野村や菅野が「諧謔」をどう定義しているのかもわからない。
 ここからわかるのは、西脇のことばのうごきを、菅野が「融通無礙」と感じ取り、その「融通無礙」に野村が反応し、そこから井筒の(あるいは道元の)「現象する」ということばとつながろうとしていることが推測できるだけである。

 私の書き方は不親切?
 そうかもしれないね。
 野村は、どのことばに「諧謔」を感じたかを書かず、また「諧謔」を定義せずに論をつづけたあと、最後の方で、こんなことを書いている。(最後まで読めばわかる、と言いたいのかもしれない。)

西脇自身の言葉を借りれば、「すぐれたポエジイは諧謔性である」(『詩学』」。しかし、いましがた得た井筒哲学の文脈に乗って諧謔を再定義するとすれば、諧謔とは、「無本質的分節」のあらわれであり、言語=世界から本質(固定制)を抜き、存在者を自由に流動させて交通させる試みである、といえるのではないだろうか。

 「無本質的分節」ということばを井筒がつかっているかどうか、私は井筒の読者ではないので知らないが、野村は「無本質的分節」ということばで「分節(Ⅱ)」をあらわしているのだろう。「自由に流動させて交通させる」というのは菅野の「融通無礙」に通じるが、よくわかからない。
 「存在者」ということばを井筒がつかっているかが、このときの「存在者」の定義が野村の引用からだけではよくわからない。野村が井筒の「存在者」ということばを借りてくるとき、人間を対象にして発しているのか、「存在」を含めてのことなのかもわからないのだが……。

 ちょっと、飛躍する。

 私は、この最後に出てきた「存在者」から、きのう触れたランボーのことを思い出す。
 「私とは一個の他者である」
 どうせなら、この「他者」と井筒の「分節(Ⅱ)」を結びつけて考えてみてはどうだろうか。
 ランボーの文の冒頭の「私」は「私」そのものであるというよりも、この場合は「テーマ」。
 詩における「私」というものは、「分節(Ⅰ)としての私」ではなく「融通無礙の混沌(カオス)」を通り抜けたあとの「分節(Ⅱ)」としての私」。つまり「分節(Ⅰ)の私」を否定して、新しく「現象する私」。
 それは「定冠詞つきの私」ではなく、「不定冠詞としての私」、つまり「意識として固定化されていない私」のことである。
 これをさらに言いなおすと、「定冠詞つきの存在」を描くのではなく、「不定冠詞付きの存在」を描くと詩になる。詩は、「定冠詞つきの存在」から「定冠詞」をはぎとり、存在を「不定冠詞つきの存在」にかえるもの。「不定冠詞つきの存在」を「現象」させることばの運動ということにならないか。
 (井筒は、どこかで「定冠詞」「不定冠詞」の違い、西洋文脈と日本語文脈の「意識」のあらわし方の違いについて、何か書いていないだろうか。井筒の読者に教えてもらいたい。)
 すぐれた詩を読み、驚きを感じるとき、その驚きは、私の場合、いつでも「定冠詞のない存在」に出会うからである。
 『壌歌』について、野村の引用している菅野は「この野原がいかなる具体的な実像も結ばない」と書いていた。野村はこれに同意しているから引用していると思うのだが。私は逆だ。
 なまなましく「具体的」な野原が見える。その野原は私の知っている野原、言い換えると意識のなかにある野原、意識としての野原ではない。
 最初、私はたとえば古里の原っぱを思い浮かべる。椎の木を思い浮かべようとする。すると、その野原を突き破って新しく椎の木がにょきにょきと生えてくる。全部、見たことがない。しかし、全部、それが「ほんもの」だと感じる。「サラセン」なんて、どこにあるのかも知らないくせに、その知らない異国の街がありありと感じられる。この「ありあり」を私は「具体的」という。そのとき思い浮かんだ街の絵を描けば、それはほんもののサラセンとは全く違っていたとしても私にとってはそれがサラセン。「間違い」はない。西脇のことばとともに、新しい「存在(いままでなかったもの、他者)」が「現象」してくる。
 この「現象する」は、私には「現成する」とも響いてくるが、十年以上も前にどこかのお坊さんが話しているのを小耳に挟んだだけなので、よくわからない。よくわからないけれど、気になるのでメモとして書き添えておく。

哲学の骨、詩の肉
野村 喜和夫
思潮社
コメント (1)
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