自民党の二枚舌(加計学園問題)
自民党憲法改正草案を読む/番外105 (情報の読み方)
2017年07月11日読売新聞(西部版・14版)に「加計学園問題をめぐる国会閉会中審査」の詳報が載っている。詳報といっても1ページだから、大半は省略されていると思う。
まず前川が、加計学園に決まるような仕組みがつくられて、意思決定がされたと主張している。それに対して、原英史・国家戦略特区ワーキンググループ委員が「岩盤規制改革実現のために真剣に取り組んできた。利益誘導に加担したかのようなことを言われているのは残念でならない」と答えている。
私は「国家戦略特区ワーキンググループ」がどのようなものであるか知らないが、前川が問題提起したことは国家戦略特区ワーキンググループとは無関係ではないだろうか。前川は国家戦略特区ワーキンググループを批判しているのだろうか。国家戦略特区ワーキンググループでの審議以前のことを問題にしているのではないのか。
国家戦略特区ワーキンググループで、獣医学部の新設を認めるかどうか、認めるとしたらどこを認めるか、という以前の過程を問題にしている。具体的に言えば、国家戦略特区ワーキンググループに提出されたであろう「資料」、獣医学部の新設を認めるとしたら、「広域的に」獣医学部がない地域、「1校に限り」という条件が、だれによって、どのようなかたちで追加されたのか。それはなぜなのかを問題にしている。その「資料」にもとづいて審議すれば、必然的に(つまり正しく)、国家戦略特区ワーキンググループの結論は加計学園を選定するという結論にたどり着いてしまう。もし、「広域的に」「1校限り」という条件がないのに国家戦略特区ワーキンググループが加計学園を選んだのだとしたら、そのときこそ議論過程が問われる。どのような「基準」にもとづいて「結論」が導き出されたのかが問われる。今回は、そうではないのだ。設定された条件のなかで「正しく」、つまり条件に従って結論を出した国家戦略特区ワーキンググループには、何の非もない。その国家戦略特区ワーキンググループの代表(?)が出てきて、自分たちは間違っていないと主張したって、何の意味もない。無意味な「正しさ」の主張である。こういう「無意味な正しさ」を最初に打ち出してくることろに自民党(安倍)の「二枚舌」の特徴がある。
松野文科相は念押しするように「プロセスにおいてはオープンな場で議論があり、議事録も提出され」云々と言っているが、これも無意味だ。繰り返すが、前川が問題にしているのは国家戦略特区ワーキンググループの「議論/議事録」ではない。その「背後」の「記録」である。国家戦略特区ワーキンググループにおいて、「広域的に」「1校に限り」という条件を追加しようという提案があり、それが「議事録」に残っているのか。違うだろう。国家戦略特区ワーキンググループでの審議の「資料」になった文章に「広域的に」「1校に限り」という文言を追加したのはだれなのか、なぜなのか、それが問題になっている。その「資料」がつくられるまでの間に、だれが、だれに、どのような交渉をしたのか。
この問題を置き去りにして、国家戦略特区ワーキンググループでの審議が正しいから、前川の指摘はあたらない、というのは新手の「二枚舌」のつかい方である。国家戦略特区ワーキンググループの議事録はきちんと残っている。その議事録に問題はない。だから、その審議以前に何があったかは問題ないと自民党(政府)は言うが、問題は国家戦略特区ワーキンググループの審議(議事録)ではなく、その背後にある「交渉」とその「交渉のメモ(交渉過程の記録)」である。
こうした「背後」の記録(文書)について、政府、文科相は「ない」と主張していた。「怪文書」と断定していた。「文書がない」は「交渉はなかった」ということである。そういうふうに政府(安倍)は主張していた。しかし、それはあった。「文書があった」は「交渉があった」という「証拠」である。「文書があった」は国家戦略特区ワーキンググループでの実際の審議の前に、背後で審議の結論を導くための準備がされたという「証拠」でもある。
文科相から出てきた「文書」に書かれていることについては、萩生田など当事者はみな「記憶にない」とぼかしている。文科相が、文書は「確認されなかった」と言ったのと同じである。「確認されなかった」は「存在しない」と違うように、「記憶にない」は「言っていない」という否定とは違う。新たに「証拠」が出てきたとき、「ない」「言っていない」とは言わなかった逃れるための「方便」である。
加計学園の獣医学部新設を認めるという「結論」が問題になったあと、安倍が加計学園だけが問題なら「2校でも3校でもつくればいい」と言った。このことに対し民進党の緒方議員が「どういうデータに基づいて判断するのか」と質問している。安倍は審査会には出席していないので山本地方相が答えている。
「ライフサイエンス分野など(略)新たな需要はある。ただ、何人必要かは、だれもはっきりしない」
これは獣医学部を新設するかどうかという審議以前からの問題であったはずだ。獣医師会、獣医学部のある大学は、それがはっきりしないから、新設に反対していた。その反対に封をしたまま強引に審議を進め、加計学園に獣医学部を新設することにしてしまった。審議過程がおかしいと前川は主張している。新設には「4条件」を満たすことが必要なのに、「4条件」を満たすことができるかどうか、きちんと審議もされていないというのが前川の主張である。
獣医学部がほんとうに必要なのかどうか。第三者ではなく、獣医師会、獣医学部のある大学の意見など、それを国会で確認するところからはじめないといけないのではないのか。獣医師会、獣医学部のある大学も、獣医が足りない。すぐにでも獣医学部を新設し、獣医師を育てる必要がある。四国に獣医師が不足しているから四国に大学が必要であるという「認識」を獣医師会や大学がもっているなら、そしてそれを裏付ける「数字」を山本地方相が示せるなら、前川の主張は根底から崩れる。
安倍や自民党が前川の主張を覆そうとするなら、そいういういちばん簡単なところを攻めるべきなのに、そうしない。この問題を、そこまでさかのぼって調べなおすとますます安倍のやっていることがおかしいということがわかる。だから、そういうことには蓋をする。これも「二枚舌」のひとつである。
野党は、安倍や和泉首相補佐官の「出席」を求めているが、同時に獣医師会や獣医学部のある大学関係者の証人喚問を要求すべきである。「4条件」を満たしていると、獣医師会や獣医学部が「証言」するのかどうか。獣医学部が必要と言っているのはどこなのか。その根拠はどこにあるのか。そういうことを「証言」できるひとも呼ぶべきである。「新たな需要はある。ただ、何人必要かは、だれもはっきりしない」というような山本の「意見」では、獣医学部を新設する「根拠」にはならない。
獣医学部を新設する「根拠」が示されないから、加計学園に獣医学部が新設されるのは、学園の経営者が安倍の「お友だち」だからだ、という「結論」になる。「お友だち」のために税金をつかっている。安倍は行政を私物化していると言うのである。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
自民党憲法改正草案を読む/番外105 (情報の読み方)
2017年07月11日読売新聞(西部版・14版)に「加計学園問題をめぐる国会閉会中審査」の詳報が載っている。詳報といっても1ページだから、大半は省略されていると思う。
まず前川が、加計学園に決まるような仕組みがつくられて、意思決定がされたと主張している。それに対して、原英史・国家戦略特区ワーキンググループ委員が「岩盤規制改革実現のために真剣に取り組んできた。利益誘導に加担したかのようなことを言われているのは残念でならない」と答えている。
私は「国家戦略特区ワーキンググループ」がどのようなものであるか知らないが、前川が問題提起したことは国家戦略特区ワーキンググループとは無関係ではないだろうか。前川は国家戦略特区ワーキンググループを批判しているのだろうか。国家戦略特区ワーキンググループでの審議以前のことを問題にしているのではないのか。
国家戦略特区ワーキンググループで、獣医学部の新設を認めるかどうか、認めるとしたらどこを認めるか、という以前の過程を問題にしている。具体的に言えば、国家戦略特区ワーキンググループに提出されたであろう「資料」、獣医学部の新設を認めるとしたら、「広域的に」獣医学部がない地域、「1校に限り」という条件が、だれによって、どのようなかたちで追加されたのか。それはなぜなのかを問題にしている。その「資料」にもとづいて審議すれば、必然的に(つまり正しく)、国家戦略特区ワーキンググループの結論は加計学園を選定するという結論にたどり着いてしまう。もし、「広域的に」「1校限り」という条件がないのに国家戦略特区ワーキンググループが加計学園を選んだのだとしたら、そのときこそ議論過程が問われる。どのような「基準」にもとづいて「結論」が導き出されたのかが問われる。今回は、そうではないのだ。設定された条件のなかで「正しく」、つまり条件に従って結論を出した国家戦略特区ワーキンググループには、何の非もない。その国家戦略特区ワーキンググループの代表(?)が出てきて、自分たちは間違っていないと主張したって、何の意味もない。無意味な「正しさ」の主張である。こういう「無意味な正しさ」を最初に打ち出してくることろに自民党(安倍)の「二枚舌」の特徴がある。
松野文科相は念押しするように「プロセスにおいてはオープンな場で議論があり、議事録も提出され」云々と言っているが、これも無意味だ。繰り返すが、前川が問題にしているのは国家戦略特区ワーキンググループの「議論/議事録」ではない。その「背後」の「記録」である。国家戦略特区ワーキンググループにおいて、「広域的に」「1校に限り」という条件を追加しようという提案があり、それが「議事録」に残っているのか。違うだろう。国家戦略特区ワーキンググループでの審議の「資料」になった文章に「広域的に」「1校に限り」という文言を追加したのはだれなのか、なぜなのか、それが問題になっている。その「資料」がつくられるまでの間に、だれが、だれに、どのような交渉をしたのか。
この問題を置き去りにして、国家戦略特区ワーキンググループでの審議が正しいから、前川の指摘はあたらない、というのは新手の「二枚舌」のつかい方である。国家戦略特区ワーキンググループの議事録はきちんと残っている。その議事録に問題はない。だから、その審議以前に何があったかは問題ないと自民党(政府)は言うが、問題は国家戦略特区ワーキンググループの審議(議事録)ではなく、その背後にある「交渉」とその「交渉のメモ(交渉過程の記録)」である。
こうした「背後」の記録(文書)について、政府、文科相は「ない」と主張していた。「怪文書」と断定していた。「文書がない」は「交渉はなかった」ということである。そういうふうに政府(安倍)は主張していた。しかし、それはあった。「文書があった」は「交渉があった」という「証拠」である。「文書があった」は国家戦略特区ワーキンググループでの実際の審議の前に、背後で審議の結論を導くための準備がされたという「証拠」でもある。
文科相から出てきた「文書」に書かれていることについては、萩生田など当事者はみな「記憶にない」とぼかしている。文科相が、文書は「確認されなかった」と言ったのと同じである。「確認されなかった」は「存在しない」と違うように、「記憶にない」は「言っていない」という否定とは違う。新たに「証拠」が出てきたとき、「ない」「言っていない」とは言わなかった逃れるための「方便」である。
加計学園の獣医学部新設を認めるという「結論」が問題になったあと、安倍が加計学園だけが問題なら「2校でも3校でもつくればいい」と言った。このことに対し民進党の緒方議員が「どういうデータに基づいて判断するのか」と質問している。安倍は審査会には出席していないので山本地方相が答えている。
「ライフサイエンス分野など(略)新たな需要はある。ただ、何人必要かは、だれもはっきりしない」
これは獣医学部を新設するかどうかという審議以前からの問題であったはずだ。獣医師会、獣医学部のある大学は、それがはっきりしないから、新設に反対していた。その反対に封をしたまま強引に審議を進め、加計学園に獣医学部を新設することにしてしまった。審議過程がおかしいと前川は主張している。新設には「4条件」を満たすことが必要なのに、「4条件」を満たすことができるかどうか、きちんと審議もされていないというのが前川の主張である。
獣医学部がほんとうに必要なのかどうか。第三者ではなく、獣医師会、獣医学部のある大学の意見など、それを国会で確認するところからはじめないといけないのではないのか。獣医師会、獣医学部のある大学も、獣医が足りない。すぐにでも獣医学部を新設し、獣医師を育てる必要がある。四国に獣医師が不足しているから四国に大学が必要であるという「認識」を獣医師会や大学がもっているなら、そしてそれを裏付ける「数字」を山本地方相が示せるなら、前川の主張は根底から崩れる。
安倍や自民党が前川の主張を覆そうとするなら、そいういういちばん簡単なところを攻めるべきなのに、そうしない。この問題を、そこまでさかのぼって調べなおすとますます安倍のやっていることがおかしいということがわかる。だから、そういうことには蓋をする。これも「二枚舌」のひとつである。
野党は、安倍や和泉首相補佐官の「出席」を求めているが、同時に獣医師会や獣医学部のある大学関係者の証人喚問を要求すべきである。「4条件」を満たしていると、獣医師会や獣医学部が「証言」するのかどうか。獣医学部が必要と言っているのはどこなのか。その根拠はどこにあるのか。そういうことを「証言」できるひとも呼ぶべきである。「新たな需要はある。ただ、何人必要かは、だれもはっきりしない」というような山本の「意見」では、獣医学部を新設する「根拠」にはならない。
獣医学部を新設する「根拠」が示されないから、加計学園に獣医学部が新設されるのは、学園の経営者が安倍の「お友だち」だからだ、という「結論」になる。「お友だち」のために税金をつかっている。安倍は行政を私物化していると言うのである。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載 | |
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