詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党の二枚舌(加計学園問題)

2017-07-11 09:41:00 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党の二枚舌(加計学園問題)
               自民党憲法改正草案を読む/番外105 (情報の読み方)
 2017年07月11日読売新聞(西部版・14版)に「加計学園問題をめぐる国会閉会中審査」の詳報が載っている。詳報といっても1ページだから、大半は省略されていると思う。
 まず前川が、加計学園に決まるような仕組みがつくられて、意思決定がされたと主張している。それに対して、原英史・国家戦略特区ワーキンググループ委員が「岩盤規制改革実現のために真剣に取り組んできた。利益誘導に加担したかのようなことを言われているのは残念でならない」と答えている。
 私は「国家戦略特区ワーキンググループ」がどのようなものであるか知らないが、前川が問題提起したことは国家戦略特区ワーキンググループとは無関係ではないだろうか。前川は国家戦略特区ワーキンググループを批判しているのだろうか。国家戦略特区ワーキンググループでの審議以前のことを問題にしているのではないのか。
 国家戦略特区ワーキンググループで、獣医学部の新設を認めるかどうか、認めるとしたらどこを認めるか、という以前の過程を問題にしている。具体的に言えば、国家戦略特区ワーキンググループに提出されたであろう「資料」、獣医学部の新設を認めるとしたら、「広域的に」獣医学部がない地域、「1校に限り」という条件が、だれによって、どのようなかたちで追加されたのか。それはなぜなのかを問題にしている。その「資料」にもとづいて審議すれば、必然的に(つまり正しく)、国家戦略特区ワーキンググループの結論は加計学園を選定するという結論にたどり着いてしまう。もし、「広域的に」「1校限り」という条件がないのに国家戦略特区ワーキンググループが加計学園を選んだのだとしたら、そのときこそ議論過程が問われる。どのような「基準」にもとづいて「結論」が導き出されたのかが問われる。今回は、そうではないのだ。設定された条件のなかで「正しく」、つまり条件に従って結論を出した国家戦略特区ワーキンググループには、何の非もない。その国家戦略特区ワーキンググループの代表(?)が出てきて、自分たちは間違っていないと主張したって、何の意味もない。無意味な「正しさ」の主張である。こういう「無意味な正しさ」を最初に打ち出してくることろに自民党(安倍)の「二枚舌」の特徴がある。
 松野文科相は念押しするように「プロセスにおいてはオープンな場で議論があり、議事録も提出され」云々と言っているが、これも無意味だ。繰り返すが、前川が問題にしているのは国家戦略特区ワーキンググループの「議論/議事録」ではない。その「背後」の「記録」である。国家戦略特区ワーキンググループにおいて、「広域的に」「1校に限り」という条件を追加しようという提案があり、それが「議事録」に残っているのか。違うだろう。国家戦略特区ワーキンググループでの審議の「資料」になった文章に「広域的に」「1校に限り」という文言を追加したのはだれなのか、なぜなのか、それが問題になっている。その「資料」がつくられるまでの間に、だれが、だれに、どのような交渉をしたのか。
 この問題を置き去りにして、国家戦略特区ワーキンググループでの審議が正しいから、前川の指摘はあたらない、というのは新手の「二枚舌」のつかい方である。国家戦略特区ワーキンググループの議事録はきちんと残っている。その議事録に問題はない。だから、その審議以前に何があったかは問題ないと自民党(政府)は言うが、問題は国家戦略特区ワーキンググループの審議(議事録)ではなく、その背後にある「交渉」とその「交渉のメモ(交渉過程の記録)」である。
 こうした「背後」の記録(文書)について、政府、文科相は「ない」と主張していた。「怪文書」と断定していた。「文書がない」は「交渉はなかった」ということである。そういうふうに政府(安倍)は主張していた。しかし、それはあった。「文書があった」は「交渉があった」という「証拠」である。「文書があった」は国家戦略特区ワーキンググループでの実際の審議の前に、背後で審議の結論を導くための準備がされたという「証拠」でもある。
 文科相から出てきた「文書」に書かれていることについては、萩生田など当事者はみな「記憶にない」とぼかしている。文科相が、文書は「確認されなかった」と言ったのと同じである。「確認されなかった」は「存在しない」と違うように、「記憶にない」は「言っていない」という否定とは違う。新たに「証拠」が出てきたとき、「ない」「言っていない」とは言わなかった逃れるための「方便」である。

 加計学園の獣医学部新設を認めるという「結論」が問題になったあと、安倍が加計学園だけが問題なら「2校でも3校でもつくればいい」と言った。このことに対し民進党の緒方議員が「どういうデータに基づいて判断するのか」と質問している。安倍は審査会には出席していないので山本地方相が答えている。
 「ライフサイエンス分野など(略)新たな需要はある。ただ、何人必要かは、だれもはっきりしない」
 これは獣医学部を新設するかどうかという審議以前からの問題であったはずだ。獣医師会、獣医学部のある大学は、それがはっきりしないから、新設に反対していた。その反対に封をしたまま強引に審議を進め、加計学園に獣医学部を新設することにしてしまった。審議過程がおかしいと前川は主張している。新設には「4条件」を満たすことが必要なのに、「4条件」を満たすことができるかどうか、きちんと審議もされていないというのが前川の主張である。
 獣医学部がほんとうに必要なのかどうか。第三者ではなく、獣医師会、獣医学部のある大学の意見など、それを国会で確認するところからはじめないといけないのではないのか。獣医師会、獣医学部のある大学も、獣医が足りない。すぐにでも獣医学部を新設し、獣医師を育てる必要がある。四国に獣医師が不足しているから四国に大学が必要であるという「認識」を獣医師会や大学がもっているなら、そしてそれを裏付ける「数字」を山本地方相が示せるなら、前川の主張は根底から崩れる。
 安倍や自民党が前川の主張を覆そうとするなら、そいういういちばん簡単なところを攻めるべきなのに、そうしない。この問題を、そこまでさかのぼって調べなおすとますます安倍のやっていることがおかしいということがわかる。だから、そういうことには蓋をする。これも「二枚舌」のひとつである。
 野党は、安倍や和泉首相補佐官の「出席」を求めているが、同時に獣医師会や獣医学部のある大学関係者の証人喚問を要求すべきである。「4条件」を満たしていると、獣医師会や獣医学部が「証言」するのかどうか。獣医学部が必要と言っているのはどこなのか。その根拠はどこにあるのか。そういうことを「証言」できるひとも呼ぶべきである。「新たな需要はある。ただ、何人必要かは、だれもはっきりしない」というような山本の「意見」では、獣医学部を新設する「根拠」にはならない。
 獣医学部を新設する「根拠」が示されないから、加計学園に獣医学部が新設されるのは、学園の経営者が安倍の「お友だち」だからだ、という「結論」になる。「お友だち」のために税金をつかっている。安倍は行政を私物化していると言うのである。

 

#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
 

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
クリエーター情報なし
ポエムピース
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋山基夫『月光浮遊抄』

2017-07-11 00:50:37 | 詩集
秋山基夫『月光浮遊抄』(思潮社、2017年07月01日発行)

 秋山基夫『月光浮遊抄』は古典と行き来している。ということはわかるが、私は古典を知らない。感想を書こうとしても、どうにも書きようがないというのが正直なところ。

 とはいっても、おもしろいと感じることがあるので、古典は無視して感想を書こう。
 方法論としては「消尽の記」という作品がいちばんおもしろいというか、この詩集の特徴をあらわしている。6の断章(?)からなりたっている。そして、それぞれに番号がふられている。ただし、順序が違う。「3、4、1、2、5、0」と並んでいる。ページ順に読んでもいいし、番号順に読み直してもいいということだろう。
 ということは。
 「時間」というものが「過去-現在-未来」という具合に直線上を動いていっていないということになる。順序をかえても「いま」はある。というよりも、「時間」には「いま」しかない。どんな「過去」も思い浮かべて瞬間に「いま」としてあらわれてくる。一時間前のことも、一年前のことも、千年前のことも、「思い浮かぶる」という「動詞」のなかでは「いま」そのものとして動く。
 「過去」はないし、「未来」もない。「いま」のなかにすべてが融合する。「時間」を自由に動き回り、「いま」をさまざまにとらえなおす。
 でも、こういう方法論というか、理屈に対する感想を書いてもしようがない気がする。とても巧みにできている、と言ってしまえばおしまいだし、こういうことは詩を具体的に読まなくても書くことができるからである。
 で、読まなくても書ける感想というもの、少し書いてみれば、こういうことになる。

 あることばがある。それは「過去」の文脈のなかで「ひとつの意味」をもっている。それを「過去」から引き剥がし、別の「時間」にもってくる。「いま」にもってくる。「いま」のことばに「過去」のことばが結びつけられると、そこには新しい「意味」が動き始める。その「新しい動き」は反作用のようにして、「いま」ある他のことばにも影響し、その「意味」を少しずつかえていく。つまり「意味」の領域が動き始める。
 とはいうものの、どのようなことばも単独で存在しているわけではない。それぞれのことばがいくつものことばと結びついて、一定の「文化」のようなものをつくっている。
 だから「意味の領域」が動くということは、「文化(世界)」のあり方が動くというとこでもあるのだが、このときの「世界」の交渉には、単独のことばだけを見ることではとらえきれないものがある。無意識の「連続性」というものがあり、それがどうしても「世界」を限定してしまうという側面がある。
 これを破るのがほんとうの詩だが、限界を(領域を)破ろうとして、逆に「敗れてしまう」ときもあって、それはそれで詩という形をとってしまう。破ったのか、敗れたのかは問題ではなく、交渉し、そこで何かが動いたということが詩なのだと言いなおしてしまうと、もう何を言っているのかわからなくなる。
 こういうことが「論理」というか「批評」の一番の問題点である、と別なことを書いて、読まずに書く「感想」をいったん閉じておこう。
 「消尽の記」については、これ以上書かないことにする。



 美しい詩だなあと感じたのは「河童池の昼と夜」。ほんとうに美しいのか、会社の近くの堀にはハスの花が咲いていて、月の出ていた日にそれを見たために美しいと感じたのかよくわからない。どんな「ことば/詩」も「現実」とどこかで交渉してしまうところがあるからなあ、と思う。
 あ、余計なことを書いたか。
 全行引用する。

日が昇ると睡蓮の花は目を覚ます
日が西に傾くとまた眠りにはいる
かすかな風が池の面を吹いて行き
浮かんだ葉っぱもいくぶん揺れる

月が昇ると暗い池の水が光りだす
睡蓮の花は闇を内部に抱きしめる
蛙らは葉っぱに乗っかり眠りこみ
白い皿のような月が水中で揺れる

 「対」の構造がとてもおもしろい。
 「日が昇ると睡蓮の花は目を覚ます/日が西に傾くとまた眠りにはいる」には「朝日」と「夕日」の「対」があり、それが「目を覚ます」「眠る」と「対」を強調する。このとき「眠る」を「眠りにはいる」と書いているのがとても刺激的だ。「眠る」という動詞をつかわず「眠り」という名詞にしたあと、「入る」という新しい動詞で動かす。
 そのとき「入る」の「主語」は何?
 文法的(?)には「睡蓮の花」ということになるが、妙に「肉体」が刺激されて、私の場合は、私が「はいる」という感じに受けとめてしまう。そして、その瞬間、私は「睡蓮の花」になって動いているように思えるのだ。
 「眠る」「眠り込む」という動詞だったら、「睡蓮」の客観的(?)描写に見えただろうと思う。でも、そこに「予想外」の「はいる」という動詞があったために、私は不思議な感じで詩に取り込まれたのである。
 この一連目の「日」は二連目の「月」と「対」になっている。
 「日」も「月」も「明るい」のだが、月は「暗さ」といっしょにある「明るさ」である。だから、「月」は「暗い」ということばと結びつきながら「光(光りだす)」ということばを揺り動かし、目覚めさせる。「月」と「暗い」が「対」になり、「月」のある「天」と地上の「水」がまた「対」を生み出す。
 この「暗い」は「闇」となって二行目を動かすのだが。
 このとき「闇を内部に抱き締める」ということばの「つながり」--これがねえ、なんともいえず「文化的」なのだ。そこに「文化の領域」(伝統の領域)というものを私は感じるなあ。
 闇を内部に抱きしめることで、睡蓮の花の表面(外側)が逆に光を発するような錯覚を抱く。月が昇ると水が光るように、睡蓮は闇を抱くと光る。美しい色になる、というような錯覚に誘われる。「対」が生み出す幻が開くのだ。
 そのあと「葉っぱ」が出てきて、これは一連目の「葉っぱ」と「対」なのだが、睡蓮の花の夢(内部に闇を抱きしめ、その外側が光る)、睡蓮の眠り込んだ姿を浮かび上がらせながら、もう一度「月」に戻る。
 「月」は昇ったはずなのに、いま「水中」で揺れる。「天」と「地(水)」が「対」になっているだけではなく、「月」は「水」に浮かぶことを超えて、「水中」で揺れる。この「水中」ということばには、ほら、「眠りにはいる」の「はいる」が動いていない? 「月」は水のなかに「はいる」。
 睡蓮が「闇を内部に抱きしめる」とき、水は「月を(ひかりを)内部に抱きしめる」、あるいは「水の中に抱かれて月は光る」。このどこまでもどこまでも「対」を誘うように動くようなことば--これがとても美しい。

月光浮遊抄
クリエーター情報なし
思潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする