詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

橋本シオン「今日は晴れているから」

2018-05-04 11:09:39 | 詩(雑誌・同人誌)
橋本シオン「今日は晴れているから」(「現代詩手帳」2018年05月号)

 橋本シオン「今日は晴れているから」は、こうはじまる。

わたしはセックスをする。長屋の二階の、冷
たい板の間の上で、少しだけ知っている男と
セックスをする。十月の空気が冷たくて、裸
のままでは寒すぎる。わたしの性器は濡れそ
ぼる。

 「冷たい」ということばが二回出てくる。「セックスをする」ということばも二回出てくる。それは対になっている。そして「冷たい」が繰り返されると、それは「寒い(寒すぎる)」に変わる。
 ここには明確な形で「動詞」が書かれているわけではないが、「冷たい」から「寒い」への変化には「動詞」がある。
 なぜ「冷たい」が「寒い」に変わるのか。
 「わたし」が「肉体」でつかみとろうとしているものが、「ことば」になろうとしている。あるいは「肉体」でつかみとって、「ことば」を生み出そうとしている。その動きが影響していると思う。
 ここには、また「知っている」という動詞がある。「少しだけ」という限定がついている。「知らない」ということでもある。「知っている」と「知らない」も、変化である。「知らない」が「知っている」に変わるのか、「知っている」が「知らない」に変わるのか。それは「セックスする」という「動詞」のなかで、これから起きることである。
 だが、「起きる」ことが何なのか、わからない。
 「わたし」にわかるのは「性器」が「濡れそぼる」という「動詞」だけである。(この「濡れそぼる」というのは、正しい言い方なのかどうか、私はわからない。)

母曰く、淫乱で売女なわたし、そのからだが
孕む熱をどうか、そのペニスで沈めてくれま
せんか。多くは望まないので、ただここに、
いれてくれるだけで構わないのです。

 「冷たい」「寒い」のかわりに「熱」が書かれる。「からだが孕む熱」(からだの内部にある熱)のせいで、「裸」(空気に晒されている外縁/内部の対極)が「冷たい」「寒い」と感じられる。
 このとき思い出している(つまり、肉体の内部にある)母のことば、「淫乱で売女」は「熱い」のか「冷たい」のか。「冷たい」ことばだから、それが「熱」を意識させるのか。やはり、何かが動いている。
 熱を「下げる」ではなく「沈める」という動詞で橋本はことばをつないでいる。「沈める」は、たとえば「怒りを沈める」という動かし方がある。母のことばに対する「怒り」が「からだ」を熱くしているとは思えないが、「沈める」という動詞は何かしら母のことばとつながっている。この脈絡は、複雑で、興味深い。
 そういうこととは別に、「ペニス」ということばの一方で、「ここ」ということばがつかわれていることが、とてもおもしろい。
 なぜ「ここ」なのか。

インターネットの太い河から、幾多にわかれ
た細い水の流れを、わたしはなぞって、そう
して知り合った男たちは皆、なぜかペニスが
ついていた。わたしには濡れそぼった性器が
ついていて、その性器の名を、わたしは知ら
ない。

淫乱で売女だと教えてくれた母も、正しい名
前を教えてくれない。なんでみんな、教えて
くれないのだろう。あなたにもついて、いな
いのだろうか。濡れそぼるこの性器の、正し
い名前を。

 「性器」であることは知っている。けれど「名前」は知らない。だから「ここ」と呼んだのだ。でも男の「性器」が「ペニス」であると知っているのはどうしてなのか。
 簡単に言えば、「ペニス」で考えないからである。「ペニス」といっしょにことばが動かないからだ。「わたし」の「性器」は「濡れそぼつ」。「わたしには濡れそぼった性器がついていて」と書くとき、「性器」が主語で「ついている」が「述語(動詞)」なのだが、その「性器」の内部(?)で「濡れそぼつ」という「動詞」が動いている。「濡れそぼつ」という動詞が性器を動かしている。しかも「濡れそぼつ」というのは「意思」でどうこうできる問題ではない。(と、私は思っている。女性性器をもっていないので、これは私の空想なのだが。)
 「知らない」と言うしかない理由は、たぶん、ここにある。
 自分の「意思」で動かせないものがある。だから「これ」と呼ぶしかない。ことばになるまえのもの、「未生のことば」としての「これ」。
 「熱」はここから生まれてくる。そして、それに「名前」がついていていない(客観化できない)ために、うごめき、それがさらに「熱」になる。このうごめく「熱」が、外部を冷たい、寒いということばとして浮かび上がらせる。
 「冷たい」「セックスする」が繰り返され「寒い」になるとき、内部では「名前のないもの」が動いている。
 それは「教えられない」。それは自分でつかみとるしかない。
 「教えられた」としても、「淫乱」「売女」のように、「知っていることば」とになるだろうか。「流通言語」として、他人に共有されるものになるだろうか。ならないだろう。それは「わたし(橋本)」だけのものだから。他人には共有できないものだから。
 このあと、詩は、クライマックスというのが、もうひとつの「強いことば」を生み出す。

東京の空を、十月の薄い雲が覆い隠して、こ
ぼれた日差しが長屋を埃っぽく映し出す。男
の裸は肉がたくさんついて、ナイフで切り取
り炙ってやりたい。わたしの上で腰をふって、
苦しそうな顔が、板塀に吸い込まれる。これ
が真実なら、きっとあれも真実だ。

 「これ」とは男が「わたしの上で腰をふって、苦しそうな顔」をしてるということだ。「あれ」とは「わたしの性器(ここ)」の内部で動いていることばにできないこと、まだ名づけられていないこと、である。
 「ここ」も「あれ」も「わたし(橋本)」には何のことかわかる。それは自分の「肉体」そのものだからだ。だが、それは「正しい名前(他人と共有できることば)」にはならない。共有できる「正しい名前」にしてしまえば、きっと「肉体」が「それは違う」というだろう。「ここ」「あれ」と呼ぶしかない。
 「あれ」と「遠く」をさすことばがつかわれているのは、それが「いま」はじめてあらわれてきたもの、まだ完全に自分のものとしてはつかみきれていない「恐れ」のようなものが、そう呼ばせるのだろう。うまれたばかりのことばなのだ。

 ことばにならないからこそ、そこに「正直」が動いている。



*

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きのう書き漏らしたこと

2018-05-04 00:37:25 | 自民党憲法改正草案を読む
きのう書き漏らしたこと
             自民党憲法改正草案を読む/番外212(情報の読み方)

 自民党の改憲案でいちばん注目をあつめているのが「憲法9条」と「自衛隊」の問題。安倍は「自衛隊を憲法に書き加える」と主張している。そのときの「根拠」は、「災害救助にがんばっている自衛隊が、違憲であるといわれるのはかわいそう。自衛隊の子どもたちがかわいそう」というものである。
 このことは、よくよく考えてみる必要がある。
 もし、自衛隊が憲法に書き加えられたとしたら、その後「自衛隊は違憲である」という意見はなくなるのか。
 きっとなくならない。
 安倍がむりやり憲法に書き加えたものである。この改憲は許せないという意見が出るはずである。
 安倍が、現在の憲法がアメリカ(連合軍)の押し付けである、と主張するのと同じように、安倍によって押しつけられた改憲である、という主張が起きるはずである。
 そのとき、安倍はどうするか。
 「憲法に自衛隊が書かれているのに、違憲であるという主張をすることは許されない」と言うに違いない。
 憲法が、違憲弾圧に使われるのである。

 憲法は、思想、表現の自由を保障している。
 しかし、「自衛隊は違憲である。憲法改正は安倍が強引に仕組んだ犯罪である」というような主張は、きっと弾圧される。
 弾圧に利用するための、憲法改正である。
 安倍が自衛隊の最高指揮者として、あらゆる機会に自衛隊を出動させる。選挙の監視にも動員されるだろう。選挙妨害がおきては秩序が保てない、というように理由はいくらでもつくりあげることができる。
 選挙公約に「自衛隊を憲法から外す、9条をもとのかたちにもどす」というようなことをかかげれば、即座に「憲法違反の主張だ。犯罪者だ」とレッテルがはられるだろう。

 ほんとうに危険なのは、自衛隊を憲法に書き加えることではなく、改憲後の憲法は絶対である。それに反対することは許されない、という主張が大手を揮うことである。
 思想、信条の自由、言論の自由は、改憲と同時に加速する。
 独裁、全体主義が加速する。それを軍隊(自衛隊)が監視する。
 

 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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松井久子監督「不思議なクニの憲法」上映会。
2018年5月20日(日曜日)13時。
福岡市立中央市民センター
「不思議なクニの憲法2018」を見る会
入場料1000円(当日券なし)
問い合わせは
yachisyuso@gmail.com

憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー (これでいいのかシリーズ)
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