藤森重紀「雪の夜がたり」(「構図」6、2018年04月30日発行)
藤森重紀「雪の夜がたり」に「方言」が出てくる。
「とぜん」は先日読んだ白鳥信也「とぜん」(「モーアシビ」34、2018年01月15日発行)(https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/9dafd7dd64d6758cb8f5c2b3732e7e3a)にも出てきた。いまもつかわれているのだ。
「とぜん=徒然」かどうかは断定できないけれど、「つれづれ」に似た感覚だろう。藤森は「退屈」と註釈をつけているが。
「けなりごせ」には「嫉妬」と註釈をつけている。「けなるい」ということばは西脇もつかっている。私の田舎(富山)でもつかった。「嫉妬」というほど強くはない。「うらやましい」「あれがほしいなあ」というくらいの感じだが。
こういうことばを読むと、ことばは「意味」ではなく「人間関係」なんだなあ、という気持ちがしてくる。人間がいて、その間でことばが行き交う。「意味」は定義する必要はない。「定義」のように厳密ではなく、ただ「関係」をその場でつないでみせるもの。
で。
そこから前半部分を読み直す。
そうか、「ことば」とは「合図」なのか、と思うのだ。ほかの人にはわからなくてもい。ふたりで(?)決めた方法で、何かを相手に知らせる。そこにはかならず「相手」がいる。「相手がいる」ということが、「ことば」の大前提なのだ。そして、相手に知らせることのいちばん重要なものは、「私はここにいる」だろう。相手に対して、ここにいるのは私だ、と告げる。「居場所」を告げる。
だから二連目。
これは雪国で暮らした人ならだれでも体験したことがあるだろう。長靴についた雪を玄関で落としている音が聞こえる、ということは。このときの「どたどた」は「ことば」になっていないが「ただいま」なのだ。「肉体」を動かして、「音」を出す。それがそのまま「ただいま」になっている。「肉体」がそこに「いる(あの)」を知らせる。ここから、関係がはじまる。
さらに三連目。
氷柱が落ちる音は、氷柱を落とす音。音があるとき、そこに「ひと」がいる。それを「聞く」。「聞こえる」時、そこに人がいる。
「聞く」というのは、不思議な距離だ。
ここには、人と人との「距離」のあり方が書かれていると言ってもいい。
そして、その「距離」には「暮らし」というか、その「土地」のすべてがつながっている。方言は「土地」を呼び寄せ、その「土地」に人間を立たせてくれる。「土地」に立って、「私はここにいる」と呼びかけあう。
「独り」であっても「土地」に立てば、「土地」が相手をつれてきてくれる。この、ゆるやかな「強さ」を感じながら「とぜん」とするのは心が安らぐなあ。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
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藤森重紀「雪の夜がたり」に「方言」が出てくる。
独り言をいうと箪笥の取っ手が
かたかた鳴りますけれども
あれはまんつ媼(かあ)さまの合図でありまして
余震なんかじゃござりやせん
話しかけると
ちゃんと応えるから
独りこでいるとは思えんのです
とぜんこでないと 皆さまにいうたび
けなりごぜを焼かれておりやんす
「とぜん」は先日読んだ白鳥信也「とぜん」(「モーアシビ」34、2018年01月15日発行)(https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/9dafd7dd64d6758cb8f5c2b3732e7e3a)にも出てきた。いまもつかわれているのだ。
「とぜん=徒然」かどうかは断定できないけれど、「つれづれ」に似た感覚だろう。藤森は「退屈」と註釈をつけているが。
「けなりごせ」には「嫉妬」と註釈をつけている。「けなるい」ということばは西脇もつかっている。私の田舎(富山)でもつかった。「嫉妬」というほど強くはない。「うらやましい」「あれがほしいなあ」というくらいの感じだが。
こういうことばを読むと、ことばは「意味」ではなく「人間関係」なんだなあ、という気持ちがしてくる。人間がいて、その間でことばが行き交う。「意味」は定義する必要はない。「定義」のように厳密ではなく、ただ「関係」をその場でつないでみせるもの。
で。
そこから前半部分を読み直す。
独り言をいうと箪笥の取っ手が
かたかた鳴りますけれども
あれはまんつ媼さまの合図でありまして
そうか、「ことば」とは「合図」なのか、と思うのだ。ほかの人にはわからなくてもい。ふたりで(?)決めた方法で、何かを相手に知らせる。そこにはかならず「相手」がいる。「相手がいる」ということが、「ことば」の大前提なのだ。そして、相手に知らせることのいちばん重要なものは、「私はここにいる」だろう。相手に対して、ここにいるのは私だ、と告げる。「居場所」を告げる。
だから二連目。
今晩のように
ぼたぼたと雪が積もった夜は
あの夫(ひと)が玄関で
長靴についた雪をどたどたと足踏みして
落としたもんです
どたどたと
これは雪国で暮らした人ならだれでも体験したことがあるだろう。長靴についた雪を玄関で落としている音が聞こえる、ということは。このときの「どたどた」は「ことば」になっていないが「ただいま」なのだ。「肉体」を動かして、「音」を出す。それがそのまま「ただいま」になっている。「肉体」がそこに「いる(あの)」を知らせる。ここから、関係がはじまる。
さらに三連目。
早池峰おろしが止んだ夕(ばんげ)は
氷柱が木琴のような音こして落ちるんでしが
地震ではなりまっせん
あれは死んだ孫のほうが
とぜんこでとぜんこで
いっせいに揺らして遊ぶのであります
ほんとにめごこい おぼこでござりゃんした
氷柱が落ちる音は、氷柱を落とす音。音があるとき、そこに「ひと」がいる。それを「聞く」。「聞こえる」時、そこに人がいる。
「聞く」というのは、不思議な距離だ。
ここには、人と人との「距離」のあり方が書かれていると言ってもいい。
そして、その「距離」には「暮らし」というか、その「土地」のすべてがつながっている。方言は「土地」を呼び寄せ、その「土地」に人間を立たせてくれる。「土地」に立って、「私はここにいる」と呼びかけあう。
「独り」であっても「土地」に立てば、「土地」が相手をつれてきてくれる。この、ゆるやかな「強さ」を感じながら「とぜん」とするのは心が安らぐなあ。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」4月の詩の批評を一冊にまとめました。186ページ
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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