詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

朝吹亮二『ホロウボディ』

2019-11-04 21:35:48 | 詩集
ホロウボディ
朝吹 亮二
思潮社


朝吹亮二『ホロウボディ』(思潮社、2019年10月10日発行)

 朝吹亮二『ホロウボディ』の「少年期」に、「リズム」ということばが出てくる。

リズム(四つ打ちの鼓動だね、ジャスミン、黄金にしたたる
歯車やピストン)に

 ということばがある。「四つ打ちの鼓動」「ピストン」は「リズム」につながるが、「ジャスミン」「黄金にしたたる/歯車」(「黄金にしたたる」は連体修飾語と読むことも、独立したことばと読むこともできる)は「リズム」とは直接つながらない。もちろん、ジャスミンの開くリズム、黄金がしたたるときのリズム、歯車がつくりだすリズムという具合に読むこともできるが、すぐにはつながらない。そして、すぐにはつながらないのだが、いったん「ジャスミンの開くリズム」のようなことばに誘い込まれると、聞こえないはずのものが聞こえるものよりも強く肉体に響いてくるという奇妙なことが起きる。ことばにならないことば、生まれる前のことばが結びついて、さらに何かを生み出そうとしている。その「うごき」に揺さぶられるような感じに誘われる。
 こういうとき大事なのが「リズム」だ。ことばとことばを切断し、その切断が逆に接続を誘うような「錯乱」がないとことばに「誘われる」ということが起きない。朝吹のことばには、その「錯乱」を呼び覚ます力がある。

ジャスミン、きみは知っているかい、茜色という色彩、少年の疵に
もにた色、機関車のしずかに眠る鋼鉄の色、精妙でありながらさわ
ることのできる熱さや冷たさ、太陽の、肉体の。眠っているのなら
いつか目覚めるのだろうか、蒸気でいっぱいになり、器官ではなく
未知の径を指でなぞるようにたどってゆけば、新しい旋律と律動で
揺れはじめ、アパトサウルスの化石もいつかは目覚めるのだろうか

 「ジャスミン」と呼ばれているのは、花か少女か。花だけれど、擬人化されて「きみ」と呼ばれているだけなのか。そういう「錯乱の誘い」は「少年」を呼び、「茜色」は「疵」の色を呼ぶ。ここには先に引用した「したたる」も影響しているだろう。さらに「機関車」は「歯車」「ピストン」と呼応しながら、「鋼鉄」「精妙」ということばのなかへ増殖していく。いや、ことばが「機関車」を利用して、「鋼鉄」「精妙」へと増殖していくのか、あるいは微分されていくのか。微分を装いながら、積分されていくのか。「熱さや冷たさ」と朝吹は平気で矛盾するものを併記しているが、ここには微分と積分が同時におこなわれるという「リズム」が動いているのである。「万華鏡」を除いているみたいだ。華麗だ。そして、その華麗が何のために華麗かわからない。わからなくていい、という華麗さもあるが……。
 こういう作品は、つづけてたくさん読むのはつらい。つづけて読んだ方が、「酔い」を乗り越えることができるかもしれないが、そのためには「体力」がいる。
 「せいおんのあさ」は、もっと「体力」がいる。

わたわたわたしはとわたしはさん
かいくりかえすくりくりくりっと
くりかえすいつもていたいするい
つもひとりいつもひとりというふ
たりさきさきさきへおくるためそ
れともきおくのとおとおとおくに
のこすためさらさらさらっとさら
さのひかりさされるししにさらさ
のしりにひかりのさきさきさきか
らわたわたわたしはきえつつある
あしさきからこしのいくつものし

 途中までの引用だが、たとえば「さのひかりさされるししにさらさ」という行のは、「光刺される詩」「詩に」という具合につづいているのか、「光(に)刺されるし、詩に」という具合に読むのか。「刺される」ではなく「指される」かもしれない。あるいは「光さ、される」と口ごもる動きの中には「光にされる(使役)」という形で意味になろうとするものもある。「詩、詩」と読んだ場合、それは「吃音」現象なのか、英語や何かでいうような「関係代名詞」の変わりをしているのか。
 引用を中断した「あしさきからこしのいくつものし」は「足先から腰のいつくもの詩」なのか「し」は別なことばにつながっているのか。別のことばとつながっている(別のことばの一部)なのに「詩」と読んでしまうのは、「ひかりさされる詩」と読んでしまったことが影響しているのか。
 こういうことは、読むときの気分(体力)しだいである。どんな切断と飛躍(した接続)を受け入れることができるかは、作者の意図とは関係がない。読者の問題である。
 私にわかるのは(私が「誤読する」のは)、こうした「切断/接続」の「リズム」が「少年期」では「鼓動」「ジャスミン」「黄金」「ピストン」というような、あきらかに違う「名詞/意味」を利用していたのに対し、「せいおんのあさ」では「音/無意味」を利用しているということである。
 朝吹の詩にはふたつの要素がある。
 視覚は「形象(意味)」をとらえ、聴覚は「音(リズム)」をとらえ、そのふたつはことばの切断と接続の間で強固になって広がっていく--ということから、私はどこまで朝吹の詩を読みつづけることができるか。

 (きょうは、こで中断する。中断したまま終わるか、また書きつぐか、私にはわからないが。)






*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(6)

2019-11-04 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (瞶めていると真ん中が小さな黄色に光る星)

転居してから一通の手紙もこない
まだ埃っぽい部屋にはいると
葡萄棚のむこうの遠い空に
蜘蛛の糸のように葡萄蔓に絡んだ金星が輝いている

 「まだ埃っぽい部屋」という具体的な描写が強い。転居してきたが、まだ嵯峨の「匂い」が部屋になじんでいない。人が住んでいなかったときの、無人の匂いが居すわっている。それが肉体を刺戟してくるのは、嵯峨がひとりだからだろう。
 「部屋にはいると」の「はいる」という動詞が、とてもおもしろい。無人の部屋にはいると、ひとりであることがさらに実感される。部屋にはいった嵯峨を、無人だった部屋がつつみにくる。それは絡みついてくるような「しつこさ」があるかもしれない。だから「蜘蛛の糸」「葡萄の蔓」という比喩が選ばれ、さらに「絡む」という動詞がつかわれるのだろう。





*

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