詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三井喬子『山野さやさや』

2019-11-02 11:15:34 | 詩集
山野さやさや
三井 喬子
思潮社


三井喬子『山野さやさや』(思潮社、2019年06月30日発行)

 三井喬子『山野さやさや』に「爪」という作品がある。

爪は骨ではない。

爪は骨ではないが、
たわむれに浄い水の裾をつまんで持ちあげると
渚や瀬や滝は声を放ち、

 この書き出しを読んで、何か書きたいと思ったが、何を書きたいと思っていたのか忘れた。たぶん、何か書きたいと思っただけなのだ。何かは、私の中では、まだ具体的になっていなかった。
 「うすやみの中には」まで読み進んで、その二連目。

失語症のうすやみの中には
とり残された寂しい意味が生息していて
液化した悪意として
柔らかに
人の心を窒息させる。

 ふと、思い出すのだ。「爪」という詩を。
 「意味」を、その「意味」をあらわすことば、「概念」ではないことばで書くのが詩ではないだろうか、と。
 「うすやみの中には」には「意味」ということばがしっかりと書かれている。「悪意」ということばのなかにも「意味」が含まれている。「意味」は「意識」かもしれない。そして、「意味」というのは、たいていの場合、「余分」なものである。つまり、「意味」は誰もが持っていることなので(自分の暮らしを生きているので)、「他人の意味」なんかにかかわりたくない。

失語症のうすやみの中には
とり残された寂しいが生息していて
液化して
柔らかに
人の心を窒息させる。

 たとえば、「意味」「悪意」というこばを削除して、こう書き直したらどうなるか。三井が「意味」について何を考えているか、何を「意味」と予防としているかわからなくなるが、わからなくなった分だけ、読者の中に「意味」が動き始めないだろうか。
 詩は「意味」ではない。ことばが「もの」として「意味」を隠したまま動く、ことばが「無意味」になる(意味を拒絶する)ときに、詩は突然あらわれ、隠された「意味」をむき出しにするのではないか。
 その瞬間に似た、何か「拒絶する力」というものが、

爪は骨ではない。

 という一行に含まれている。もちろん「爪は骨ではない。」自明のことだが、その自明をわざわざことばにすると、ことばが「もの」のようにエッジをもって出現してくる。ことばは「知っている」ことしか語れないものなのだ。自明のことをことばにすると、ことばが「もの」に帰っていく。つまり、そんなことは知っている、意味がない、無意味だ、という具合に「無意味」が出現する。そこに、何か、私の「書きたい」という欲望を引き起こすものがあったのだ。
 でも、なぜ、それをすぐに忘れてしまったのか。
 「爪」のつづきを読んでいく。そうすると、こんな具合に「意味」に出会う。

爪は骨ではない、

爪は骨ではないから
オオバコを敷かずヤブガラシをまとわないが
産出される意味は疼き、

 私は、その「意味」に出会うことで、急に気持ちが冷めてしまったのだ。「産出される意味」という「意味だらけ」のことばに出会って、「もの」が消えていくと感じたのだ。「爪」も「骨」もなくなり、「〇〇は××ではない」という「構文」だけが浮かび上がるように感じ、まあ、書かなくてもいいか、と思った。「何か書きたい」と思ったのは、勘違いだったのだと、瞬間的に自分に言い聞かせたのだと思う。
 それなのに、

失語症のうすやみの中には
とり残された寂しい意味が生息していて

 という行を読み、ふっと、「あ、これは書いておかなければ」と思ったのは、「そうか、三井の書きたいのは意味なのか」と気づいたからだ。
 「意味」とは何か。三井は「うすやみの中には」で、こう定義する。

うすやみの中で
瞳だけであなたに出会った
求めて手を差し出すと
触れてくる形のない違和、
……意味だ。

 これは即座に、

いいえ 意味という無残な遺品なのかもしれない
と 青いあなたを揺すった
揺すってみた うながされて。

 と否定される。ここには「〇〇は××(意味)である、いや、〇〇は××ではない」が屈折した形で書かれている。
 「違和が意味である」と定義され、「意味」は「無残な遺品」と否定される。
 屈折するのは、対象(〇〇や××)が「生」ではなく「死」だからだ。「生きて動くもの」は、その動きによってつねに「もの」でありながら「もの」ではない。「死んで動かないもの」は「もの」ではなく「死」である。--これは、説明しなおさなければ「意味」にならないのだが、「意味」にしたくないので、このままにしておく。
 「意味」はさらにもう一度、定義しなおされる。

言葉をなくしたやみの中
流れる川に 藻 まつわり
青いあなたに揺らぎを与えて
関係性を削ぎ取っていく

 「意味」は「言葉」であり、「言葉」は「関係性」である。
 そうであるなら逆に言いなおせば、「言葉」から「関係性」を「削ぎ取った」ら「もの」が詩として出現するということになる。
 「生」が、他人には「死」にみえるかもしれないが、三井だけが知っている「生」、語り継ぎたい「生」が出現する。

爪は骨ではない。

 この一行が「詩」として屹立するのは、そういうことなのだ。
 「老いたる女神」のなかに、こんな三行がある。

否!
と言う
それは言葉ではなく……。

 三井は、詩を、そう定義している。



*

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萩生田報道の仕方

2019-11-02 09:07:29 | 自民党憲法改正草案を読む
萩生田報道の仕方
             自民党憲法改正草案を読む/番外301(情報の読み方)

 2019年11月02日の読売新聞(西部版・14版)に、萩生田の「身の丈発言」から急展開した「民間英語試験」の続報が載っている。一面の見出しは

英語民間試験 24年度目標/大学共通入試 来年度見送り発表/是非含め1年再検討

 そして、この記事の最後にこう書いてある。

 文科省は当初、受験生や民間団体が準備をすでに進めていたため、延期に慎重姿勢だった。しかし、受験生機会に不平等が生じるとの批判を懸念した首相官邸の意向も踏まえ、萩生田氏が最終決断した。

 これではまるで萩生田の「手柄」のような書き方であるが。
 たしかに「不平等」を明確にしたのは萩生田の「手柄」である。萩生田がテレビで「身の丈発言」をしなければ、民間英語試験は実施されていただろう。しかし、萩生田は試験を延期する(再検討する)ための問題提起として「身の丈発言」をしたのではない。萩生田は「不平等はあたりまえ」「身の丈にあわせて受験すればいい」と突っぱねたのだ。民間試験に対する批判を、逆に批判したのだ。
 ここが問題。
 だから、

受験生機会に不平等が生じるとの批判を懸念した首相官邸

 これは、読み直す必要がある。つまり、ここには嘘が書かれていると思って読まないといけない。
 「受験生機会に不平等が生じるとの批判」はすでに何度も言われていた。首相(官邸)が心配したのは、「憲法で保障されている教育の機会均等を否定する、萩生田のような人間を文科相にしておくのは間違っている」という批判の高まりである。萩生田への「辞任要求」を心配したのである。「首相官邸」ではなく「安倍首相」が心配したのだ。受験生の混乱も、学校の混乱も、業者の混乱も、気にならない。「お友達」への批判だけが気になるのだ。
 一面の最後の部分に書いていたことを、読売新聞は、3面でも繰り返し書いている。

 文科省幹部は受験生への財政支援などの微修正を主張し、予定通りの試験実施にこだわったが、最後は官邸の支援を得た萩生田が押し切った。

 あくまで「手柄」を萩生田に与えたいらしい。
 しかし、私はこの最後の部分を違った読み方をする。
 萩生田は安倍に「やっと大臣になったのだから、ここで辞めたくない。まして引責辞任なんていやだ」とダダをこねた。安倍は安倍で「お友達の萩生田が辞めさせられるのは我慢できない。萩生田が悪いんじゃない。ちゃんと準備をしたこなかった文科省が悪い。部下が悪い」「そうだ、そうだ、部下が悪い。私は文科相になったばかり。自分に責任はない」「部下に最初から計画を練り直すよう指示することにしてしまえ。萩生田が、そう決断したということにすれば、萩生田の評価もあがる」「そうだ、そうだ」。これが一面の見出しになっていた「是非含め1年再検討」につながっている。
 ここでも、「責任」は「部下」に押しつけられ、トップは知らん顔。「身の丈にあわせて受験すればいい」と言ったことなどなかったかのように振る舞う。「1年間、再検討するよう指示した。萩生田は受験生のことを大切にしている」という印象づくりである。
 社説でも、ご丁寧に

 土壇場での方針転換は極めて異例だ。受験生を翻弄した文部科学省の責任は極めて重い。

 「極めて」を二回も繰り返して、責任を「文科省」におしつけている。この問題に目をつむり続けてきた安倍の責任にはひとことも触れていない。文科省の職員は、安倍、その部下の下村(元文科相)の「狙い」にしたがって仕事をしてきただけだろう。たまたま文科省のトップが交代して、萩生田が「身の丈」と言ってしまったから、何もかもが台無しになったと不満がたまっているに違いない。下村、安倍の狙いとしては、貧乏人は「身の丈」にあわせて二回しか受験できないだろうけれど、金持ちは「身の丈」にあわせて何度でも受験する。その分だけ民間業者がもうかる。業者がもうかれば、自分に還元される金も増える。こんないい制度はない、ということで進められたものなのに、その「意向」を「忖度」して働いたばっかりに、「おまえらが悪い」なんて言われてしまう。それも、萩生田が自分の所に転がり込んでくる金のことを思って浮かれ上がって、金持ち受験生は何度でも受けられるという裏話を「身の丈」ということばで説明したために、こんなことになった。また仕事が増えるじゃないか……。
 やってられないだろうなあ。安倍、萩生田、文科相幹部だけではなく、文科省の職員、さらには民間英語試験の業者(のトップではなく、従業員)の声をきちんと取材すべきだろうなあ。「真実」は、そういう「細部」というか「下部」にうごめいている。

 新聞は、書かれていることばを手がかりに書かれていないことばを探して読む。そうするとおもしろい。テレビでは「話されなかったことば」を想像する間もなくほかの話題に移っていくからね。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(4)

2019-11-02 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (哀しさはどうしてこのように匂うのであろう)

哀しさはどうしてこのように匂うのであろう
あのひとはどうしてこのように静かな距たりをもつのであろう

 「哀しさ」と「匂い」。哀しさは匂うか。匂わないが、「匂う」と書いた瞬間に匂いを持つ。ことばは存在しないものを存在させる。嵯峨は、そういうことばの力について書いているのだ。存在しないものを存在させてしまうのが詩のことばなのだ。
 「静かな距たり」というものも、嵯峨が書くまでは存在しなかった。「静かな」も「へだたり」も、誰もが知っているが、「静かな距たり」は、だれも知らない。
 ふたつの存在しないものが「どうしてこのように」と「のであろう」で繋がれるとき、その存在しなかったものの存在は、いっそう確実になる。







*

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