瀬々敬久監督「楽園」(★★★)
監督 瀬々敬久 出演 綾野剛、杉咲花、佐藤浩市
平山秀幸監督「閉鎖病棟 それぞれの朝」(★★★)
監督 平山秀幸 出演 笑福亭鶴瓶、綾野剛、小松菜奈
瀬々敬久監督「楽園」、平山秀幸監督「閉鎖病棟 それぞれの朝」を見たが、すっきりしない。日本の映画に綾野剛が出ているせいか、どうも一本の映画に見えてしまう。根岸季衣も二本の映画に出ていた。そういうことも影響しているかもしれない。やっている「役どころ」が似ていて、ちょっと気持ち悪い。綾野剛、根岸季衣は、こういう人間と思われているのか、ということが前面に出てくる。ほかの役者もそうだが、「存在感」というよりは、「定型」を利用している。新しい人間を見ているという気がしないのである。
「楽園」は、少女がクローバーで花の冠をつくったあと田んぼ(?)のなかの道を歩くシーンのカメラの移動の感じが妙に宙に浮いたような気持ち悪さがあって、出だしとしてはおもしろいのだが、そういう不気味な感じが持続しない。
佐藤浩市が「村八分」にあう感じが、いかにも「限界集落」で起きそうな出来事で興味深いといえば興味深いが、これを利用してラストシーンへ持っていくのは、「安易」という感じがする。綾野剛の受けている差別とは別のものなのに、それをいっしょにしてしまうのは「強引」というより、ストーリーを分かりやすくするための「安易」な展開としかいえない。これが「楽園」のいちばんいやなところかなあ。
佐藤浩市の物語だけを、もっとていねいに描けばおもしろい作品になったと思う。中年男が村八分にあう物語では、だれも見るひとはいないと思ったのかもしれないけれど。しかし、それならそれで、佐藤浩市の物語を省略した方がよかったのではないか。
綾野剛と佐藤浩市を重ねること(通わせること)で、現代の抱える問題を押し広げたつもりなのかもしれないが、私はこういう重ね合わせは、どうも納得ができない。
「閉鎖病棟」もある意味では、人間の重ね合わせである。ひとりでいるときは突破できなかった「壁」というか、自分自身の生き方が、他人に触れること(他人の悲しみと自分を重ね合わせること)によって、「自立」へ向かって動き出す。感動的といえば感動的なのだけれど、ちょっと「感動的すぎる」。つまり、作為を感じてしまう。
で。
私は田中裕子が出演する「ひとよ」を見ようか、見まいか、迷ってしまった。三本の映画に共通するのは「殺人」なのだが、殺人は経験したことがないだけに、殺したいという気持ちを役者と共有できるかどうかが問題なのだが、私は、どうも苦手だなあ。血が飛び散ったり、悲惨な殺人シーンは笑いだしてしまうほど好きなのだけれど。あれは現実には見ることのないシーンを見る興奮だな。「未知との遭遇」で宇宙船が山を越えながらひっくりかえるシーンのような。「殺人」も、私の予想できないような「動機」で起きるのなら、それは見応え(?)があるのかもしれないが、たいていは「殺してしまうのは、やっぱりやりすぎでは?」と思ってしまうからねえ。
監督 瀬々敬久 出演 綾野剛、杉咲花、佐藤浩市
平山秀幸監督「閉鎖病棟 それぞれの朝」(★★★)
監督 平山秀幸 出演 笑福亭鶴瓶、綾野剛、小松菜奈
瀬々敬久監督「楽園」、平山秀幸監督「閉鎖病棟 それぞれの朝」を見たが、すっきりしない。日本の映画に綾野剛が出ているせいか、どうも一本の映画に見えてしまう。根岸季衣も二本の映画に出ていた。そういうことも影響しているかもしれない。やっている「役どころ」が似ていて、ちょっと気持ち悪い。綾野剛、根岸季衣は、こういう人間と思われているのか、ということが前面に出てくる。ほかの役者もそうだが、「存在感」というよりは、「定型」を利用している。新しい人間を見ているという気がしないのである。
「楽園」は、少女がクローバーで花の冠をつくったあと田んぼ(?)のなかの道を歩くシーンのカメラの移動の感じが妙に宙に浮いたような気持ち悪さがあって、出だしとしてはおもしろいのだが、そういう不気味な感じが持続しない。
佐藤浩市が「村八分」にあう感じが、いかにも「限界集落」で起きそうな出来事で興味深いといえば興味深いが、これを利用してラストシーンへ持っていくのは、「安易」という感じがする。綾野剛の受けている差別とは別のものなのに、それをいっしょにしてしまうのは「強引」というより、ストーリーを分かりやすくするための「安易」な展開としかいえない。これが「楽園」のいちばんいやなところかなあ。
佐藤浩市の物語だけを、もっとていねいに描けばおもしろい作品になったと思う。中年男が村八分にあう物語では、だれも見るひとはいないと思ったのかもしれないけれど。しかし、それならそれで、佐藤浩市の物語を省略した方がよかったのではないか。
綾野剛と佐藤浩市を重ねること(通わせること)で、現代の抱える問題を押し広げたつもりなのかもしれないが、私はこういう重ね合わせは、どうも納得ができない。
「閉鎖病棟」もある意味では、人間の重ね合わせである。ひとりでいるときは突破できなかった「壁」というか、自分自身の生き方が、他人に触れること(他人の悲しみと自分を重ね合わせること)によって、「自立」へ向かって動き出す。感動的といえば感動的なのだけれど、ちょっと「感動的すぎる」。つまり、作為を感じてしまう。
で。
私は田中裕子が出演する「ひとよ」を見ようか、見まいか、迷ってしまった。三本の映画に共通するのは「殺人」なのだが、殺人は経験したことがないだけに、殺したいという気持ちを役者と共有できるかどうかが問題なのだが、私は、どうも苦手だなあ。血が飛び散ったり、悲惨な殺人シーンは笑いだしてしまうほど好きなのだけれど。あれは現実には見ることのないシーンを見る興奮だな。「未知との遭遇」で宇宙船が山を越えながらひっくりかえるシーンのような。「殺人」も、私の予想できないような「動機」で起きるのなら、それは見応え(?)があるのかもしれないが、たいていは「殺してしまうのは、やっぱりやりすぎでは?」と思ってしまうからねえ。