詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(26)

2019-11-24 20:01:26 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (どこにぼくの星々はあるか)

自由な会話がはじまるといつかあなたの心に星はのぼり

 と詩はつづく。この比喩は美しいが、あまりにも比喩的でありすぎる。
 二連目で、ことばは調子を変える。

村々ではどこもかしこも小庭で火をたいていて
穏やかな追憶の日がもう暮れかける

 その空に星は姿を現わす、ということだろう。
 「村々」を直接目で見るのは難しい。だから、この行自体が「追憶」である。想像である。「自由な会話」の一行も、その「追憶」のひとつである。
 「星はのぼり」の「のぼる」という動詞が興味深い。星から見た村々ということなのだろう。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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2019年11月24日(日曜日)

2019-11-24 19:26:27 | 考える日記
2019年11月24日(日曜日)

 生きるとは自由であること。
 自由とは、自由に語ること。自由に思考すること。生きるとは、思考を存在させること。
 「名詞」としての「思想」ではなく、「動詞」としての「思想」を確立すること。「思想」を「動詞」の形で存在させること、つまり「動かす」こと。

 ふつうに日々つかっていることばでは、いろいろなことを明確にするのはむずかしい。「定義」が揺れる。流動的で、あいまいに見える。何も「知らない」ように見える。
 しかし、「何も知らない」まま、ひとは生きられないだろう。「知っている」ことを信じて生きているはずだ。
 だれもが「思想」をもって、「思想」を生きている。
 それを「動詞」として書くことはできないか。ことばにできないか。


 逆のことを考える。

 明確に定義されたことばがある。たとえば外国の、現代思想のことば。そういうことばはすでに固定された意味をもっている。固定されているので「事実」のように見える。そういうことばをつかうと、何かを「知っている」とみなされる。

 「知っている」(知識)は重要だが、知識よりも「考える」ということの方が重要だろう。
 間違っていてもいいから、考える。
 「知っている」ことではなく、考えたことを書く。
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徴用工問題、振り出しに戻る

2019-11-24 13:52:40 | 自民党憲法改正草案を読む
徴用工問題、振り出しに戻る
             自民党憲法改正草案を読む/番外305(情報の読み方)

 きのう、2019年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の一面に「GSOMIA失効回避/韓国が方針転換/日本 輸出管理 対話再開」という大きな見出し。
 そして、きょう2019年11月23日の読売新聞(西部版・14版)の一面には

日韓 来月首脳会談へ調整/外相一致 「徴用工」意思疎通図る

 その記事には、こう書いてある。

 日韓首脳の正式な会談は昨年9月が最後で、韓国人元徴用工への賠償を日本企業に命じた昨年10月の韓国大法院(最高裁)判決以来開かれていない。

 1年間、あれこれやってきたが、「出発点」へ戻っただけだ。いや、もっと悪いかもしれない。この1年間で、GSOMIAと貿易を、いつでも「交渉の武器」としてつかえることが明確になったのだから。そして、そのGSOMIAも貿易も、なんといえばいいのか、互いが互いを必要としている。GSOMIAでは日韓が米を含めて情報を共有する。貿易は相互に輸出入する。互いに「利点」がある。
 徴用工問題は、かなり条件が違う。
 韓国の元徴用工が賠償を受け取る。日本の企業(日本政府ではない)は賠償を支払う。相互に「利点」があるわけではない。徴用工は金を受け取る。企業は金を払う。一方通行である。
 GSOMIAと貿易は、情報の共有、品物の相互購入(輸出入)がなければ、お互いが困る。困り方の度合いは違うかもしれないけれど、あくまで双方が「利点」を受け取れる。
 もし、徴用工問題で、双方が「利点」を受け取るためにはどうすればいいか。言い換えると、日本の企業(日本政府ではない)が徴用工に賠償金を支払わずに、納得するためには、日本政府(日本企業ではない)がどう対処すればいいか。
 これを考えないといけない。
 方法はある。とても簡単である。日本政府が徴用工問題で、ちゃんと謝罪すればいいのである。徴用工を働かせたのは日本の企業だが、そういう政策をとったのは日本政府である。この歴史を認め、日本政府が謝罪する。一度謝罪したから終わりというのではなく、求められれば何度でも謝罪する。それで解決するはずである。きちんとした謝罪がないから、謝罪する気持ちがないなら金を払え(賠償しろ)という要求が起きるのだ。
 安倍は、「徴用工には、ぼくちゃんかかわっていない。ぼくちゃんの生まれる前のことだし、ぼくちゃんには責任はない」という理由で、謝罪を拒んでいる。「悪いのはぼくちゃんではなく、ほかの人」という論理をここでも展開していることになる。それに「ここで韓国人徴用工に賠償金を払ったら、お友達の麻生が困る。だって、麻生は炭鉱で朝鮮人を酷使して金もうけをした。賠償訴訟が起きたから、負ける。麻生が金を払わなければならない。なんとかしろよ、と麻生から責められる」。安倍は、「ぼくちゃん」と「お友達」以外のことは考えないのだ。
 安倍が、日本の歴史をちゃんと認め、韓国に謝罪しないかぎり、この問題は解決しない。1年間かけて、それがわかったはずだと思うが、安倍は謝罪しないなあ。つまり、永遠にこの問題はつづく。

 二面に「識者の声」が載っている。米ヘリテージ財団上級研究員ブルース・クリングナーの意見が、こういうことを正確につたえている。(日本、韓国の立場ではなく、中立、客観的な事実を解説している。)(番号は私がつけた。)

①文氏は日韓関係を悪化させ続ける危機から抜け出す重要な最初の一歩を踏み出した。
②ただ、決断は条件付きで一時的なものになる可能性がある。
③次は安倍首相が同じように対応し、対韓輸出管理厳格化措置を撤回することを期待したい。
④厳格化は、韓国の歴史問題にからむ行動に対する反応であることは明確だからだ。

 ②については、きのうの「情報の読み方」ですでに私も書いた。韓国はGSOMIA破棄を「停止」しただけであって、「撤回」したわけではない。これに先立って、トランプが「撤回」させようと圧力をかけたと書いてあるが、そこに「撤回」ということばはつかわれているが、最終的には「継続」ということばと、その決断が「一時的」であるということを明確にしている。「停止にすぎない」を、そう言い直しているわけである。
 ③では、明確に「撤回」ということばをつかっている。クリングナーはトランプではないが、間接的に「撤回せよ」と読売新聞をつかって、安倍につたえようとしている。あるいは、トランプは安倍にそうつたえたということを間接的に「公表」している。
 ④は、安倍の「対韓輸出管理厳格化措置」が「歴史問題(徴用工問題)」とリンクしていると認めている。(安倍は、否定しているが。)クリングナーはトランプではないが、やはり、ここでアメリカの基本的態度を安倍に通告していることになる。安倍の「歴史修正主義」を批判している。「人権問題」を放置していては、結局同じことが繰り返される。
 二面には、クリングナーのほかに日韓の「識者」が意見を書いているが、どちらも安倍ベッタリという感じの視点である。そのなかにあって、クリングナーは、アメリカの立ち位置を語っていておもしろい。読売新聞は、よくこんな「客観的」な声を載せたなあ(公表したなあ)、と私は思った。
 2016年年末の日露首脳会談(山口で開催)の直前に、ラブロフが「経済協力は日本が持ちかけてきたもの。ロシアが要請したものではない」という「本番交渉」前の裏話を語ったという記事も読売新聞だけに載っていた。ラブロフは、そう語ることで「だから日本が経済協力をするからといって、ロシアが北方四島を日本に見返りとして引き渡すというようなことは絶対にない」と間接的に告げたのだ。きっと事前交渉した岸田が「日本が金を出すのだから」というような、安倍の金ばらまき意図を口走ったために、ラブロフが怒って内幕をばらしたのだと、私は、そのとき読んだ。そして、日露会談は、大失敗。安倍は日露会談の成果(北方四島の返還)を掲げて年末総選挙する予定だったのだが、それができなかった。読売新聞には、よく読むと、こういう「裏情報」(クリングナー見解、ラブロフ会見)のようなものが載っている。

 いままた年末(年始?)総選挙が噂になっているが、桜を見る会の大スキャンダル、徴用工問題の振り出しへの逆戻り。(安倍はGSOMIA失効回避を「手柄」として強調するだろうけれど。)
 どうなるかわからないけれど。
 この「徴用工」と「桜を見る会」の「根っこ」は同じ。どちらも、「あったことをなかったことにする」(私は関与していない、知らない)と言い張るところに問題がある。
 日本(の企業)は、戦時中、朝鮮人を強制的に働かせ、搾取した。
 安倍は招待者を恣意的に選んで、優遇した(税金をつかって接待した)。
 「桜を見る会」は「資料」がいろんなところに、いろんな形(参加者の声)として存在しているのに、必死になって「名簿」を隠して、恣意的招待がなかったとこにしようとしている。
 徴用工問題と違って、いま、日本で起きていることなので、「歴史修正主義」のように「修正」しようにもごまかせない。目撃者が多すぎる。関係者がいまもみんな生きている、という難問(安倍にとって)がある。
 と、こんなことを追加して書いたのは、「徴用工」と「桜を見る会」には、もうひとつ「共通項」があるからだ。「選挙対策」である。「徴用工」を利用して安倍は嫌韓ムードをあおった。嫌韓ムードをあおって統一選、参院選で勝利を収めた。(参院選は、敗北を免れたといった方がいいのかもしれないが。)「桜を見る会」では地元有権者を800人も招待した。安倍は、選挙に勝てばいいだけなのである。選挙に勝つためなら何でも利用する。独裁者になること以外は考えていない。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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斎藤芳生『花の渦』

2019-11-24 10:15:53 | 詩集
斎藤芳生『花の渦』(現代短歌社、2019年11月16日発行)

 斎藤芳生『花の渦』は歌集。

林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く

 「透ける」と「すはだか」。「す」の音の繰り返される。「素裸」ではなく「透裸」という文字が浮かぶ。無防備よりも、さらにさらけだされた感じ。「さらして(さらす)」という動詞が、非常にいたいたしい。「泣く」が切ない。「泣く」ことで「こころ」をつなぎ合っている。それが「肉体(肌)」に遮られることなく、透明に見える。
 「すはだか」の「す」の効果だろう。ひらがなの「力」だろう。
 私は短歌を読む機会が少ないので、短歌をつくっているひとの読み方とは違うだろうと思うけれど、

林檎の花「の」透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く

 と「の」を追加すると、どうなるのだろう。「の」の繰り返しが、他の音の繰り返しを呼び覚まさないだろうか。「さらして」とい音が孤立して悲しくなりすぎるだろうか。
 私は、また「こころ」にも少し「保留」したい気持ちがある。「意味」が強くなりすぎる感じがする。「泣く」という感情の具体的な行動があるのだから。

ひらきはじめのはなびらにしわあることの羞(とも)しさに木蓮は沈思す

 この歌の「沈思す」ということばも「意味」が強すぎると感じてしまう。「羞しさ」ということば、私は初めて知ったが、「羞恥」のことだと推測して書くのだが、はずかしさを自覚したとき、ひとは「おしゃべり」にはならない。たいてい「沈黙する」「沈黙したまま思う」。「羞しさ」を「しわ」のように静かにみせればそれで充分だと思う。「意味」にととのえてしまわない方が魅力的ではないだろうか。
 この歌でも、私は「ひらきはじめのはなびらに」ではなく、「ひらきはじめのはなびらの」と「の」の方が、私の耳にはなじみやすい。「に」は、なんというか、やっぱり「意味」が強すぎるように感じる。

堪えかねて西日に光りはじめたり川はみちのくの生活(かつき)を濯ぐ

 「堪えかねて」と「光りはじめたり」の呼応が強くていいなあ、と思う。「光る」というのは肯定的なイメージが強い。「堪えかねて」ということばの、苦しさをはねかえす、内側から破るような感じがいい。新しい「いのち」の誕生を感じる。
 でも、この歌でも「生活(かつき)」ということばが「意味」を強調しすぎているように、私には感じられる。「濯ぐ」がさらに追い打ちをかける。
 「意味」は読者がひとりひとりもっているものだから、作者は「意味」を隠した方が世界が広がるのでは、と思う。

未練のような熟柿残れる枝の先さらして冬の枝の撓みは

 「未練のような」は「熟柿」を修飾する。「未練のように」だと「残れる」に結びつく。「未練のような」だと「熟柿」が目に残ってしまい、主役の「枝」が弱くなるのではないだろうか。「枝」が繰り返されているにもかかわらず、「熟柿」の赤が「枝の撓み」という繊細な感じを壊してしまうような気がする。

 「線香花火」というタイトルでまとめられていた歌は、とてもすっきりしている。

集落の遠き冷夏を記憶して群青の朝顔は濡れたり

 「集落」「冷夏」「記憶」「群青」という感じ熟語の響きが印象に残る。

 いろいろ書いたが、イメージや意図はつたわってくる。(私の「誤読」を含めて、なのだが。)ただ、斎藤の「音」には、私がなじめないものがある。「音」の感触は人によって違うだろうから、斎藤の音が好きという人もいるだろう。短歌のような短い文学では、この音の好き嫌いは、影響が大きいと思う。
 すごくいいのに(いいはずなのに)、この音が、このことばが嫌だなあという歌と、とくに鮮烈なイメージや意識が書かれているわけではないのに音がいいなあ、と感じる歌。その二つからどちらを選ぶかというと、私は後者を選ぶ。「音の魔力」には勝てないものがある。
 「林檎の花」の「透けるひかりにすはだかの」の「す」の交錯、「みちのくは泣く」の「く」の切実な近さ。そこに響く「和音」の不思議な美しさ。
 一首選ぶなら、やはり巻頭の「林檎の花」だろうなあ。




*

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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
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