詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

マーティン・スコセッシ監督「アイリッシュマン」(★★)

2019-11-17 20:33:02 | 映画

マーティン・スコセッシ監督「アイリッシュマン」(★★)

監督 マーティン・スコセッシ 出演 ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーベイ・カイテル

 この映画、監督と出演者の名前を見て、どう判断するか。私はアル・パチーノの大声が嫌い。それでずいぶん迷ったのだが、マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロの組み合わせには「なつかしい」ものがあるので、ついつい見に行った。
 クエンティン・タランティーノの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でも感じたのだが、いま、アメリカは「懐古趣味」の真っ只中にあるのかもしれない。昔の「風俗」(社会情勢)が、とても丁寧に描かれている。「ゴッド・ファザー」のテーマ曲が、原曲のままではなく、編曲されてインストルメントで流れてくるところなんか、ちょっとうれしくなる。
 しかし。
 出演者の名前で気がかりだったことが、すぐにスクリーンで展開された。
 ロバート・デ・ニーロの娘が店員をしている。何があったのかよくわからないが、娘はオーナーに叱られて(殴られて?)帰って来て、家にいる。怒ったロバート・デ・ニーロがオーナーに文句を言いに行く。のではなく、簡単に言うと、殴りに行く。復讐だ。
 このシーン。もう、ロバート・デ・ニーロは動けません。76歳だからむりはない。いつまでも「タクシー・ドライバー」ではない。そうわかっていても、いやあ、もたもたしている。でっぱった腹が動きをさらに鈍くみせる。ふつうの「暴力」シーンが撮れないので、な、な、なんと。倒れたオーナーの手を踏みつぶす。これではまるでゲイの男の復讐。と書くと、偏見だ、と言われそうだが、とても「噂の殺し屋」として有名になる男とは思えない。「殺し」稼業は、「肉体」で戦うのではなく、銃で始末するのだから、とくに腕っぷしが強い必要があるわけではないが、どうもねえ。
 私はこのシーンで、もう完全に「ダメ」。気乗りがしなくなってしまった。
 映画そのものは、アメリカの政治が労組とマフィアがらみで描かれていて、とても丁寧につくられている。「裏事情」を私はまったく知らないのだが、アメリカというのは「政治」が国民のすみずみにまで浸透しているということが、よくわかる。
 メインになっている労組は、トラック運転手の労組だが、トラックがあるからあらゆる商品がアメリカ国内に配送されるという「信念」が「権力」指向となって動くところがとてもおもしろい。日本の「連合」は、悪い意味で、この組織に似ているだろう、というようなことをちらちらと思いながら見た。
 しかし、しかし、しかし。
 やっぱり役者が年寄りすぎる。若い役者が老人を演じるとき、あまり違和感がないが、年をとった役者が若い年代を演じると、絶対にダメ。動きにシャープさがまったくない。さらに見慣れた顔が、見慣れた表情(演技)をするのだから、老人の学芸会という感じがしてしまう。ロバート・デ・ニーロは苦渋の表情と人懐っこい表情をおりまぜて演技しているが、苦渋のときの目に力がない。人懐っこい表情のときは「おじいさんの柔和な目」でもだいじょうぶなのだが、苦渋、懐疑の顔になると、まるで腑抜け。焦点があっていない。まあ、自分の内面をみつめているから、焦点があっていなくてもいいのかもしれないけれど、あの力のない目でどうやって「殺人」を乗り切るのか、見当がつかない。
 アル・パチーノは、やっぱり好きになれない。いつからあんなふうに大声でわめきちらすことを演技と思うようになったのだろうか。「役どころ」は大声で労組をひっぱるボスだから、それなりの意味はあるのかもしれないけれど、声が演技になっていない。説得力がない。威圧しているだけ。大声で喚かないときは、しっかりした声なのになあ。どうしてふつうの声で演技しないのだろうか。
 ジョー・ペシは、自分自身の「肉体」を動かさない役なので、「体型」に目をつぶれば、それなりにおもしろい。とくに、あのしゃがれた声が「裏舞台」を生きている感じがしていいなあ。何か「権力闘争」で精神を使い果たしたような声だ。最後の方のからだが不自由になったシーンの演技はいいなあ。自分のあわれさをわかって受け入れている。悪いことをやって、もう充分、人生を楽しんだ。仕方がない、という顔をしている。
 そのあとに、まだまだロバート・デ・ニーロの人懐っこい目が語り続けるんだけれどね。娘が大好きなのに、娘から愛されないのはつらい、ということを訴える。
 老人映画と思って見ればいいのかもしれない。
 でも。
 若いときのロバート・デ・ニーロやアル・パチーノを知らないからかもしれない、マーティン・スコセッシを知らないからかもしれないが、私の隣の若い男(30代?)は、「うーん、久々に感動する映画を見た」と独り言を言っていた。
 妙なことに、映画を見た直後、他人の感想が、最近耳に入ってくることが多い。

(2019年11月16日、KBCシネマ1)
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桜を見る会の問題点(FBからの転載9)

2019-11-17 18:20:04 | 自民党憲法改正草案を読む
桜を見る会問題 枝野氏 ホテル側の国会招致も

https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000169405.html?fbclid=IwAR2ZVWPCDH37iWhejWgsWEVigVLhszQOdrUutfp-4t4UD0La1n-ILGsQT1g
↑↑↑↑
参照記事




立憲民主党・枝野代表:「とにかく国会できちっと証拠付きで、資料付きで説明して頂く。安倍さんの説明を前提にすれば申し訳ないけど、とばっちりのようで。ニューオータニにも国会に参考人で来てもらって説明をして頂くことが当然、必要になってくる」

     ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ホテルニューオータニは、ほんとうにたいへんなことになると思う。
安倍の言っていることが、すべてほんとうだと仮定すれば、次のような問題が出てくる。
すでに「料理」の写真が出回っているが、そんなに豪勢には見えない。
5000円にしたためにそうなったのか、それとももともとこういう料理を1万1000円で提供していたのか。
ホテルニューオータニは「客層」をみて料理の質を変えるのか。

ホテルのホームページで紹介されているものは、「立食パーティの食事」ではないようだが、客は、それにホームページにアップされているものに近いものを期待して予約する。
しかし、実際は、それとは「無関係」なもの、「客層」にあわせてテキトウに料理も変更すれば、料金も変更するということが、客の印象になる。

実際、何人かのホテル通(立食パーティ通)が指摘している。
立食パーティーでは予定人数分の料理を準備しないことがある。料理を減らして一人当たりの単価を安くみせかけるということもあるらしい。
ホテルニューオータニの今回の「立食パーティー」も「850人分」はなかったのではないか。さらに質も落としているから「5000円」でもペイできたのではないか、というのである。

政治に関心のない人も、そういうことには関心があるはず。
どのホテルが「良心的」か、ということはあっと言う間に広まる。
「吉兆」が食べ残しの食材を使い回していたという評判が、あっと言う間に広がり、客が激減したのと同じことが起きるのではないだろうか。
「事実」かどうかを、ひとはあまり気にしない。
「風評」というのは、そういうものである。
そして、今回の「風評」の源は安倍である。





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桜を見る会の問題点(FBからの転載8)

2019-11-17 18:20:04 | 自民党憲法改正草案を読む
石破氏「政府が公平か問われている」 桜を見る会めぐり
https://www.asahi.com/articles/ASMCJ739XMCJUTFK00Q.html?iref=comtop_8_05&fbclid=IwAR1wL7GPSVML_F3xu_O52cfP2NsQZBsL8x2DOdmueUBbtfzhzs2Oit45u98
↑↑↑↑
参照記事

「公正に税金を使っていると理解してもらうのは政府の責任だ」とも語った。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
石破のこの指摘は大切。
「予算委」は「予算計画」を立てるためだけのものではない。
予算(税金)がきちんとつかわれているかどうかをチェックしないといけない。
だから、毎日開いても不自然ではないのだ。
家計簿を毎日つけ、つけるたびに、出費はこれでよかったかと点検するのと同じ。

今回の「桜を見る会」は、まさに、このチェック。
出資総額は戦闘機や何かと比較すると「小さく」見えるが、日々の小さな節約が家計の「底力」となる。
どうしても必要な出費というのは、突然、やってくる。
一般家庭なら「病気」、国でいえば「自然災害」。
前もって「予算」を立てておくことも大事だが、日々節約してそなえるということも大事。
「桜を見る会」のような催しこそ、どこまで「低予算」でできるかを考えないといけない。
それが「公正」につながる。
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朝吹亮二『ホロウボディ』(3)

2019-11-17 11:19:15 | 詩集
ホロウボディ
朝吹 亮二
思潮社


 朝吹亮二『ホロウボディ』(3)(思潮社、2019年10月10日発行)

 朝吹亮二『ホロウボディ』の「抒情」について書きたいと思っていたが、寄り道をしている間に、書きたかったことを忘れてしまった。まだ書きたいという思いが残っていることだけを覚えている。
 きょうは「の」について書いてみる。「J・Nに」という副題がついている。西脇順三郎に、ということだろう。


の原初だって、の
の原
始、の

ひろがりをいくしがない語学教師には豊饒な最終講義はありはしないケヤキやイチョウはのびつづけているけれども私の背はのびないどころかちぢんでいる
どんどんちぢんでの

原初の種子

 「の」そのものにもそうだが、いくつかのことばから西脇を思い出す。「原始」にも「豊饒」にも「最終講義」にも。
 たぶん「抒情」とは「記憶」のひとつである。「記憶の感情」を揺さぶられるとき、「感情の記憶」がはじめてのようにして動き始める。生き始める。そのとき、まったく新しい感情であったとしても、まるでどこかで体験してきたことがあったかのように、感じる。
 西脇の詩を読むと、それこそ「の」の一文字にさえ、そういうものを感じる。だれも書かなかった「の」なのに、それがそこにそのまま「存在」している。この「手触り」を、私は知っている、と「誤読」するのだ。
 「最終講義」など、私はだれの「最終講義」も聞いたことがないし、私自身はそういうことをする立場に立ったこともない。だから何も知らないのに、西脇の詩を読むと「最終講義」というものが「存在する」ということが迫ってくる。そして、その「迫り方」があまりにも「現実的」なので「抒情」ということばを忘れてしまうが、朝吹の詩を媒介にして同じことばを読み直すと、あ、あれは「抒情」が精神によって(頭によって)ととのえられる前に噴出してきた「事実」としてそこに「ある」のだ、という感じがする。

のようなものとしてころがっているのか私の茎はスミレの茎ほどもかぼそく折れて千切れそうだ私の存在はかぼそい茎か安いキザミタバコかタバコをやめていくひさしいがすわないって叫んでみてもやはりゴールデンバットはすいたい両切りタバコの紙のくちびるにやさしい感触にがい煙のかたまりの抵抗感やがて煙はたゆたう煙のようなののなんにもない

 「スミレ」とか「ゲールデンバット」とか。西脇のためのことばではないが、西脇を思い出すのである。
 思い出しながら、西脇と朝吹はどこが違うのか、とも考える。ちょっと西脇と吉岡実との違いも考える。朝吹と吉岡の違い、とか。

 西脇のことばは、一見、デタラメに見える。そしてほんとうにデタラメなのかもしれない。でも、私はそのデタラメを「事実」と感じる。世界には、あらゆるものが存在する。それは「関係」をもっているのかもしれないが、たいがいは「無関係」に、ばらばらに存在している。ばらばらなのに、ゆるぎがない。これが私の言う「デタラメ」。
 吉岡の場合も、朝吹の場合も「デタラメ」とはいえない。
 たとえばこの詩には、さまざまなことばが出てくるが、先に書いた「の」とか「原始」「豊饒」「最終講義」「スミレ」「ゴールデンバット」、「すいたい」という動詞さえ、西脇のことばとつながっている。ばらばらに存在するのではなく、西脇の詩の記憶とつながっていて、「頭」でととのえられて、詩として書かれている。「デタラメ」になりようがないのである。そして、「デタラメ」になりきれない分だけ弱くなっている。「頭でととのえられた」ことによってニセモノになっている。ニセモノというのは、まあ、方便であって、西脇の「ホンモノ」と比べるために、むりやりニセモノと書いているのだが……。
 言い換えると、西脇のことばは「独立」している。「孤立」している。「出典」があったとしても、出典を蹴飛ばして、なかったものとして「もの」を新しく存在させている。百人一首のパロディーみたいな詩が西脇にあったが、あの百行など、百人一首の「意味」を完全に無視している。そういう「デタラメ」な強さがある。
 朝吹の書いている「最終講義」も「スミレ」も「ゴールデンバット」も西脇のことばを蹴飛ばしたりはしていない。むしろ大事に抱え込んでいる。言い換えると、批評していない。そこに「弱さ」がある。「頭でととのえている」のだから「批評」であるはずなのだが、「批評」になっていない。簡単に言いなおすと、「出典」をバカにしていない。見下していない。穏当なことばで言いなおすと、朝吹と西脇を「対等」とは見ていない。「平気さ」というものがない。だから、存在への「共感」が弱くなっている。
 西脇は、なんとでも「対等」に向き合っていたと思う。「学問」に対してもそうだが、田舎で生きている女に対しても「対等」をくずさない。「方言」に対しても「対等」を譲らない。その結果、そこにあるものがすべて「独立」して存在し、「独立語」になる。同時に、「共存」する。「の」という「もの」ではないことばさえ。まるで、「暴力」のようになまなましく、手のつけられないものとして、「対等な共存」を主張して、そこに存在している、と。
 そういうことを思うからこそ、感じてしまうのだ。朝吹の詩はおとなしい。暴力がない。アイデンティティを「西脇を知っている」という「頭」に頼っている。この「頭」への依存が、たぶん「抒情」のひとつの姿なのだと思う。その「ととのえ方」(ととのえられ方)が非常にスムーズにおこなわれているので、気持ち良く読んでしまうが、この気持ち良く読めるというのは、そのまま肯定するのではなく、問題点としてみつめる必要があるだろうと、私は感じている。




*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(19)

2019-11-17 10:04:43 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (いちど立ちどまつてまた歩きはじめた)

 「いちど立ちどまつてまた歩きはじめた」という冒頭の一行は、なかほどで不思議な形で反復される。

一つの唄が唇に浮かんできたがそのまま消えてしまつた
唄はぼくの孤独のころを想いだして消えてしまつたのだろう

 「唄」は「唇」まで歩いてやってきた。けれど、そこで止まってしまった。歩き続けなかった。ふたたび歩くことはなかった。
 これだけなら一行目とは逆の動きになる。
 しかし、そのあと「唇」は「想いだす」という動詞として動いていく。思い出の方へ歩いていったのだ。
 「浮かんできた」は「想いだす」と同じ意味を持っている。過去(思い出)からやってきて、立ち止まり、思い出(過去)の方へと歩き始める。
 一行目も同じ「感情」を持った行である。「高鍋町」と、最後に書かれている。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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