詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

朝日カルチャーセンター福岡の作品

2019-11-16 23:39:29 | 現代詩講座
朝日カルチャーセンター福岡の作品(2019年11月01日)

鏡鳥  青柳俊哉

だれかがわたしを呼ぶ声がして
うすあかりの庭に出る
東の空から鏡の月がふり
裸木の幹の上で小さな鳥がないている
わたしの中にほころぶ小さな光
わたしが懸命にないている

(わたしも あなたも
 (だれでもない ひかり

鳥は広場の高いフェンスの上の光沢に移り
すすきの穂が冴える小川の茂みにきえた
わたしは水辺に行き
霜を被った穂のいくつかを握りしめ
凍みた結い目を解いて
まぼろしを数える

 三行目の「月がふり」。「ふる」という動詞が興味深い。「月の光が降り」と書いてしまえば耳になじんだ日本語になるかもしれないが、「光」ということばが省略されているので、満月そのものが降ってくる(落下してくる)感じがする。そして、それはこの詩に絶対的な透明感を与えている。
 絶対的なもの、絶対的な感覚というのは、一種の「異常」な感覚であり、またそれは「永遠」に通じる何かをもっている。
 「わたし」を「呼ぶ声」とは「永遠」が「わたし」を呼んでいるのだ。
 それは「(月の)ひかり」か、「鳥の声」かわからない。そういうものに呼応する「わたしの中の」「光」であり、「鳥」だ。「ひかり/光」と「鳥」は、「わたしの中」で入れ替え可能なものとなっている。「聡明」で遮るものがないから、そのふたつは入れ替え可能である。ふたつに「わたし」を加えて、三つといってもいい。
 二連目は、鳥の鳴き声、月の光を「翻訳」したものと考えることができる。永遠の「呼ぶ声」を、言いなおしたものである。「あなた」は「月の光」であり「鳥」であり、同時に「わたし」でもある。三位一体の「わたし」が聞き取る「呼び声」である。
 「鏡の月」ということばを手がかりにすれば、月にこそ、世界のすべてが映っていると考えることができる。月のなかで「鳥」と「わたし」がひとつになっている。鳥の鳴き声のなかで「月(の光)」と「わたし」がひとつになっている。「わたし」のなかで「月(の光)」と「鳥の鳴き声」がひとつになっている。そういう「三位一体」である。
 三連目は、鳥が庭から広場へ、さらに川へと動いていくのを追いかけて、「わたし」と「月(の光)」が動いて行く。とても自然な動きである。
 最後の三行の「握りしめる」「解く」「数える」という動詞の変化も、興味深い。霜を被った穂は冷たい。「握れば」手が凍る。凍った(かじかんだ)手を開く。つまり指を「解く」。そして、そのほどいた指をふたたび折ることで数を数える。
 「まぼろし」ということばが指し示すように、そこに書かれていることは「現実」ではないかもしれない。しかし、具体的な手と指の運動が、そのまぼろしを「現実」に変えてしまう。
 そういうおもしろさがある。
 青柳は、「鏡月」に「万物照応/感応/コレスポンダンス」を語らせるという意図をもっていた。月の光は太陽が存在しないことには生まれない。太陽があるから月が鏡となって光を反射する。鳥の声は、その「感応」を受け止めた「わたし」の「ことばにならないことば(ことば以前の声)」ということになるだろうか。
 世界を構成する存在の呼応と、肉体の動きが自然に結びついた作品。



家路     網屋多加幸

少女はきつく髪を束ねた
節くれだった手が草を掴む

小高い丘の中腹に
車いすが転がっている
彼女は腹ばいになりスカートを汚し
丘を勢り上がる

しめった風がふきだし
灰色の雲が覆い遠くの山が鳴りだす

這いのぼる
細い首にほつれ毛がへばり付き
身体を揺さぶる度に白い足が覗く

盛り上がった肩から
突き出す手は交互に伸びると
空へ空へと身体を引き上げる

私は一点を見上げた
そこに家がある

 車椅子にのっていた少女が車椅子から投げ出される。這って、丘を上っていく姿が描写されている。
 一連目の「髪を束ねる」の「束ねる」が、そのまま「草を掴む」手の動きになる。「少女の手が草を掴む」でも「意味」は同じなのだが、「髪を束ねる」という描写が「草を(束ねるようにして)掴む」という描写を自然に誘い出している。
 ある描写がつぎの描写を誘い出すという動きが自然だ。
 二連目の「スカートを汚し」は、汚れていない少女の無垢な手足を感じさせる。
 三連目は、雨が降り始める前の描写ということになる。雨が近づいているからこそ、少女は急いでいるのだ。
 四連目は、一、二連目の言いなおしというか、そのつづきだ。一連目の「束ねた」髪が「ほつれる」。その変化に、少女の肉体の動きが見える。汗でへばりつく。二連目の汚れた「スカート」から、「白い足」が動く。
 五連目は、足から上半身へと視線が動く。手は、ただ草を掴んでいるわけではない。新しい草を掴むためにのばされた手は、天を掴もうとしている。この動きが、明確で強い。そして、その強さが、最終連に結びついていく。少女は天を掴もうとしているが、その天は「家」なのだ。
 青柳の作品と同じように、肉体の動きがそのまま精神の動きを引き出している。



何か?  池田清子

ふと
泣きたくなるときがある
別に
何か悲しいことがあるわけでもないのに

 瞬間的に動いたこころの変化をそのまま書いている。
 「ふと」と「別に」の対比が、なんでもないことのようで、なかなかおもしろい。「泣きたくなる」と「悲しいことがあるわけではない」は反対のことなのだが、「別に」ということばが、その「反対」を「反対ではないもの」にしてしまう。奇妙な言い方になるが、「矛盾」しているからこそ、「泣きたくなる」が「真実」になる。「悲しいことがあって泣く」のは「事実」だが、「悲しいことがなくても泣く」とき、ひとは、そのひとだけの「真実」(まだことばになっていない何か)と向き合っている。
 この「泣く」は青柳が書いた「鳥の鳴き声」という事実の中にある「青柳の泣きたい気持ち」という真実の関係に似ている。













*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(18)

2019-11-16 20:49:57 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (私は疲れているので)

 詩のなかほどに長い一行がある。

限りないひろがりが遠いところでその口を少しずつゆるめている

 「その口」というのは「出口」だろうか「入り口」だろうか。「ゆるめる」と「ひろがり」は大きくなるのか、小さくなるのか。想像力を刺戟される。
 そして、最後の二行。

まだ歌にならぬ音階の上を
はやくも未来がしずかに歩みよる

 「歌にならぬ音階」ということばも刺戟的だ。しかし、「はやくも」ということばが、私にはうるさく感じられる。「しずかに」と拮抗するように感じられる。もうすこし「不定形」のまま、ことばが放り出されている方が魅力的だと思う。









*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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桜を見る会の問題点(FBからの転載7)

2019-11-16 13:41:59 | 自民党憲法改正草案を読む
https://mainichi.jp/articles/20191115/k00/00m/010/323000c?fbclid=IwAR3GPdzvVraaOtA4wuXMHzbtcadG11YvQHo918clBx4xNci8oJvtaoo8GGY
↑↑↑↑
参照記事

前夜祭「会費5000円」で安倍首相反論 官邸幹部も「唐揚げ増やすなどやり方ある」


この毎日新聞の記事はケッサクだなあ。私は会員ではないので見出しを読んだだけだが。

これが事実だとすれば、すごいなあ。
ホテルニューオークラでパーティを開くとき、幹事は「それでから揚げの数は?」ということを確認しないと、参加者から苦情が出るぞ。
「ホテルニューオータニでやるというから、いつもは食べられないものが食べられると期待したのに、から揚げばっかりじゃないか」

いや、うそをつかいな安倍が率いる官邸が言うことなんだから「事実」なんだよね。
この「事実」が知れ渡ると、ホテルニューオータニの評判は落ちるぞ。
「5000円パーティー」を引き受けたばっかりに、客がゼロになるということもあるだろうなあ。

「庶民感覚」で「から揚げ」を例に出したのだろうけれど、庶民の中には「から揚げは嫌い(苦手)」というひともいるからねえ。
「から揚げ」増やされて喜ぶ人が何人いるか。

ホテルニューオータニは経費を節減するためにから揚げを増やしている、と言いふらすのは「営業妨害」にならない?




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桜を見る会の問題点(FBからの転載6)

2019-11-16 12:00:23 | 自民党憲法改正草案を読む

安倍首相が「桜を見る会」問題でありえない言い訳! 地元後援会の大量招待を「長年の慣行」、前夜祭もすべて「ホテルが」
https://lite-ra.com/2019/11/post-5094.html?fbclid=IwAR1kvTLet4AM_G07pJ2w8Ctj2xDtkeBc8LkrqZvwrRtYPb5Xtc1-XNOfyIc
↑↑↑↑
参照記事


桜を見る会「前夜祭」(その4、読売新聞ではわからなかったこと)

一般客には値引きに応じられないと言っているのにホテル側が安倍首相にだけ「宿泊客が大半だから半額以下に」「毎年使ってくれるから」などと大幅な値引きをしていた場合でも問題がある。仮に6000円の差額を850人分も値引きを受けていたならば合計で510万円になるが、政治家が高額の値引きを受けていた場合、それは政治献金にあたる可能性があるからだ。刑事責任に問われなくても、総理大臣という立場によって高額の値引きを受け、それによって有権者を買収していたのだから、道義的責任は免れない。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

この指摘は重要だ。

さらに。

安倍首相は会見で「長年の慣行」というワードを連発

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

これは、たいへんなことである。
安倍事務所は「前夜祭」を毎年「会費5000円」で開いてきたことになる。
ホテルニューオータニで、長い間。
今年一回かぎりでは「割引」なんてないだろう。
いったい、いつから?
毎年の人数と、「割引額」は?

これも問いただしてもらいたい。
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桜を見る会の問題点(FBからの転載5)

2019-11-16 11:59:25 | 自民党憲法改正草案を読む
桜を見る会「前夜祭団体割引」(その3)

読売新聞2019年11月16日朝刊(西部版・14版)に、安倍が「異例の記者会見(説明)」をしたことについての記事がある。
すでに書いてきたことと重複するが。
4面に箇条書きにされている「首相発言のポイント」のなかで、私は2点に注目した。(番号は私がつけた。)
①夕食会の参加費50000円は、大多数が当該ホテルの宿泊者といった事情を踏まえてホテル側が設定した
②国会から求められれば、説明責任を果たすのは当然だ。

①で問題になるのは、「大多数が当該ホテルの宿泊者」ということばである。
つまり、そこには「ホテルニューオータニの宿泊者」ではないひとも何人か存在するのである。(前回、私は、「その2」で「飛び入りの客」がいたのではないか、と書いたが、実際に「飛び入り」がいるのだ。)
それを安倍は認めている。
「飛び入り」の参加者が、参加費「5000円」だとすると、その差額(割引額)は、ホテルニューオータニに宿泊したけれど「前夜祭」に参加しなかった人が負担したことになる。
こういうことは「前夜祭」に参加しなかった人の了解をとってのことなのか。
さらに「飛び入り参加者」が「前夜祭に出席しなかった宿泊者」の人数よりも多かったときは、どうなるのか。差額はホテルニューオータニが負担するのか。あるいは「料理」「飲み物」は宿泊者数分(あるいは、事前に参加しないと言っている人数を差し引いた分)しか用意していないとすると、予定数をオーバーした場合、当然のこととして「料理」「飲み物」(さらにサービス)の質は、実質的に低下することになる。「ホテルニューオータニのパーティーはひどかった」という評判が広がることになるかもしれない。そんな「危険」をホテルニューオータニがおかすだろうか。
だいたい「飛び入り」の数を安倍(事務所)は、どのように見込んでいたのか。
「前夜祭出席者」の「総数」がわからないことには「料理」「飲み物」「スタッフ」の数も設定できないだろう。安倍(事務所)ではなく、業者に「セッティング」を依頼したとしたら、なおのこと、「総数」がわからないときはホテルとの交渉ができないだろう。
疑問は、どんどん増えるだけである。

②については、共産党の田村が国会で質問したときから「国会が説明責任を求めている」。
記者会見ではなく、国会でさっさと説明すればいい。
そうしないのはなぜか。
箇条書き部分ではなく、4面の記事の末尾に、読売新聞は、こう書いている。
「今国会はすでに後半に入っており、12月9日の会期末まで残された日数は少ない。自民党の国対幹部は「予算委の日程を確保するのはむずかしい」と話している。」
言いなおすと、予算委を開くだけの日程がないので、国会での説明はしない、と安倍が、国対幹部に言わせており、それを読売新聞は明確につたえているのである。

さて。
では、なぜ安倍は「記者会見」を開いたのか。好意的に考えれば、国会(予算委員会)で質問に答える時間がないので、国民の疑惑を晴らすために、マスコミの記者を通して、国民に語る、ということになる。
しかしねえ。
記者会見と国会審議は完全に別物。
なんといっても、「記者」は一企業の「雇われ人」。上層部から「そんなことは書くな」「この記事の扱いは小さく」と言われたら、それに従ってしまう。
安倍が企業のトップに圧力をかけ、「あの記者を外せ」ということもできる。
国会議員は、そういう「圧力」と無縁なところで発言している。安倍は共産党の志位に「田村に発言させるな」とはいえない。「そんな質問をするな」とは、だれもいえない。さらに、発言はすべて「記録」されている。
で、問題は。
マスコミの記者が、どれだけ真剣に国民の疑問を代弁できるかである。
安倍が、国会ではなく、記者会見を優先してくれている、安倍にマスコミは信頼されている、と思い込んで「有頂天」になっていないか。
読者(視聴者)、つまり国民の疑問をかわりに問いただしているという意識をどこまで持ち続けることができるかである。
「記者会見よりも、国会(予算委員会)で説明するのが先なのではないか」と記者団は問いかけるべきである。
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桜を見る会の問題点(FBからの転載4)

2019-11-16 11:58:10 | 自民党憲法改正草案を読む
桜を見る会「団体割引」(その2)

安倍が桜を見る会「前夜祭」の参加料が5000円だったことに対して、「団体宿泊割引」のようなことを言った。
前回は、「会場料」があるから、そんなに割り引けるはずがない。(100人で同じ会場を借りたとき、5000円になるか、というような疑問を書いた。)
今度は別の角度から。

①安倍(事務所)の文書では、たしかに「前夜祭は別会計」と書いてあった。(その用紙には料金は書いてなかった)
②安倍(事務所)は桜を見る会の参加を受け付けるとき、都内観光コース(複数)と組み合わせていた。

もし「前夜祭」に「団体宿泊割引」というものが適用されるだとしたら、それは②のなかに組み込まれているときだろう。観光業者(?)が間に入って、交通費、宿泊費(食事込み)をセットにすることで「宿泊(食事)+交通」の料金を出し、それによって「割引」が可能になる。
ネットなどで買える個人の「格安セット」というのは、そういう風になっている。業者をひとつにすることで「手数料」がおさえられるのだと思う。

でも、安倍(事務所)は①の方式をとった。
なぜか。考えられることは、
③「前夜祭」の参加者を「宿泊客」に限定しなかった。「飛び入り」を受け付けた。(飛び入りではないだろうが、安倍や側近は、ホテルには宿泊しなかっただろう。その人たちの「料金」も主催者だからといって「無料」にはならないだろう。)
そのために「別料金」にしたのである。
つまり
④「前夜祭」の料金は、すでに②のなかに含まれており、そこからホテルに一括して支払われていた。(先に書いたように、業者が間に入っているのだから、業者が「安倍事務所」であったとしても、一括して支払う方が手間が簡略化でき、安倍が主張するほど割り引けるかどうかわからないが、割引は可能になる)

では、「5000円」はどこに?「5000×850=4250000円」はどこに? 私は
⑥4250000円は安倍(事務所)に入った
のだと思う。見かけは参加者がひとりひとりホテルに払ったという形にして(領収書まで出して)、金の「流れ」をごまかしたのである。
こういうことをすれば、当然、「前夜祭」の料理や飲み物は「安物」になるはず。でも、ホテルはそういうことをしている風には見えない。つまりツアー料金の中だけで「前夜祭」をまかなっているようには思えない。それにツアー客の中には、安倍(事務所)が想定したように、「前夜祭」が別料金なら参加したくないという人もいるだろう。
ということは、
⑦「前夜祭」の料金は、別のところから出ている。安倍(事務所)が自腹を切る? まさか。残るのは、「内閣官房機密費」である。

思い出してもらいたい。
桜を見る会「中止」を知らせるニュースで、読売新聞は「内閣官房が招待者を取りまとめる際」と書いていた。
「実質的主催者」は「内閣官房」である。予算は、そこで「調整」できるのだ。
つまり、安倍(事務所)は、
⑧「前夜祭」に必要な料金(不足分)は「内閣官房機密費」から出させ、(前夜祭料金は「内閣官房機密費」に負担させ)
⑨「前夜祭参加者」から集めた金は、安倍(事務所)のものとして「ネコババ」したのだ。個人がホテルに支払ったという「領収書」を発行しているから、このネコババはばれない。

だいたいねえ。
「団体ツアー」に参加している人なら(私はそういうものに参加したことがないので、あくまで推測だが)、「ツアーなのに、なぜ前夜祭だけ別料金?」と思うだろう。別料金なら別料金でいいけれど、ツアー代金を支払うときにいっしょに支払うシステムにすればいいのに、と思うだろう。

以上は、全部「私の妄想」であって、「事実」はどうか、わからない。
「妄想」は、「疑問」と同じ意味だけれどね。
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桜を見る会の問題点(FBからの転載3)

2019-11-16 11:55:00 | 自民党憲法改正草案を読む
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6342564?fbclid=IwAR0YH0sRW4hzpQICeL1eFTksniXxgh6a0lV34m9-7xsHH0HYk0HMl6yHN3M
夕食会費はホテル側が設定と安倍首相
 安倍首相は、桜を見る会前日に都内のホテルで開いた夕食会の会費が1人5千円だったことについて「安すぎるとの指摘があるが、大多数がホテルの宿泊者という事情を踏まえてホテル側が設定した価格だ」と述べた。
↑↑↑↑
参照記事

団体宿泊だから割り引く、割り引いた、というのなら、もっと早く言うべきことだったのではないだろうか。
なぜ、「団体割引」という説明が出てくるまでに、こんなに時間がかかるのだろうか。

疑われているとき、そしてその疑いにきちんと反論できる「事実」があるのなら、そういうことは真っ先に言うのがふつうだと思うけれど。

それに。(これ、シロウト考えかもしれないが)
いくら「団体割引」とはいえ、安倍の説明には無理がある。
パーティーは「食事」「飲み物」だけで成り立っているわけではない。
「会場」が問題。
1000人規模の会場には「維持費」が必要。
たぶん毎日、フルタイムでつかわれることはないだろう。
つまり「空き」の時間がある。
たまにしかつかわれないけれど、そういう「会場」を持っているということが一流ホテルの証。
どうしたって、つかわれていないときの「維持費」をつかわれたときに回収する必要がある。
つまり、ホテルニューオータニのいう「1万1000円」というのは単に「食事」「飲み物」以外に、「会場の維持費」を含んでいる。
団体だからといって割り引いていたら「維持費」を捻出できない。

「団体割引」というようなことを思いつくところが、どうも、納得できない。

言い換えると、「1万5000円出すから、安倍がつかった会場を100人のパーティーにつかわせて」と言ったとき、ホテルニューオータニが受け入れるかどうかを考えてみればいい。
同じ料理、同じ飲物でも、3万円でも100人のパーティーにはつかわせてくれないだろう。

どこでも「利益率」を考える。
それは何も「食事」「飲み物」の単価だけで計算できるわけではないだろう。

ほかの「記事」についても書いたけれど、こういう「コメント」を聞いたとき、記者は疑問に思わないのだろうか。
記者の質問能力に、私は、疑問を感じる。
「広い会場にはそれなりの料金がかかるから、簡単に団体割引(宿泊割引)と適用できないのではないか」(だれでも団体で利用すれば割り引いてもらえるのか)ということくらい聞いてみればいい。
もちろん安倍は、それはホテルに聞いてくれと言うだろうけれど。

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桜を見る会の問題点(FBからの転載2)

2019-11-16 11:52:44 | 自民党憲法改正草案を読む
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191115/k10012178501000.html?fbclid=IwAR2V44IWw8DEStA0rE4WDVMFK1AlgoUH7SnyDkAdb6IMjuOBUUmufOV1i0A
↑↑↑↑
参照記事


共産党・田村智子が質問した段階で、「国会が説明を求めている」状態になっている。
田村の質問に答えられなかったから、こういう自体が起きている。
安倍の「国会から求められれば」というコメントを聞き出した段階で、記者は「共産党・田村智子の質問は、安倍に説明を求めていることにならないのか」となぜ追及しないのか。
記者の質問能力が甚だしく低下している。
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桜を見る会の問題点(FBからの転載1)

2019-11-16 11:48:20 | 自民党憲法改正草案を読む
桜を見る会「前夜祭」の問題点について、FB(フェイスブック)に何回か、連続して書いた。
散逸しそうなので、こに転載しておく。今回は一回目。

https://johosokuhou.com/2019/11/15/20875/?fbclid=IwAR2Vj_R2xXVykEz88SPNl77szXyQRb0EC5zKq21nxZZuu1VJMgVIWVQw2os
↑↑↑↑
参照記事

いちばん簡単な方法は「領収書」を点検ではないだろうか。
「領収書」は支払った人(支払った側)にあるのがふつうの点検の仕方だけれど、受け取った側にも「控え」があるはず。

安倍は、参加者が個別に(5000円ずつ)ホテル側に支払ったと言っているが、「個別の控え」が850枚なかったとしても、当日の「売り上げ集計」の記録が残っていると思う。
ホテルのことは知らないが、ホテルニューオータニのように大きなホテルが、その日の「宿泊客数」や「パーティーの売り上げ」の記録を残していないはずはないと思う。
だいたい、いまはどこでもコンピューターで処理するだろうから、「紙」が残っていなくても電子データはあるはず。

安倍が問題なく処理しているというのなら、安倍(事務所)は、ホテルニューオタニに、そいういう「資料」を提出してもらえばいい。
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