朝日カルチャーセンター福岡の作品(2019年11月01日)
三行目の「月がふり」。「ふる」という動詞が興味深い。「月の光が降り」と書いてしまえば耳になじんだ日本語になるかもしれないが、「光」ということばが省略されているので、満月そのものが降ってくる(落下してくる)感じがする。そして、それはこの詩に絶対的な透明感を与えている。
絶対的なもの、絶対的な感覚というのは、一種の「異常」な感覚であり、またそれは「永遠」に通じる何かをもっている。
「わたし」を「呼ぶ声」とは「永遠」が「わたし」を呼んでいるのだ。
それは「(月の)ひかり」か、「鳥の声」かわからない。そういうものに呼応する「わたしの中の」「光」であり、「鳥」だ。「ひかり/光」と「鳥」は、「わたしの中」で入れ替え可能なものとなっている。「聡明」で遮るものがないから、そのふたつは入れ替え可能である。ふたつに「わたし」を加えて、三つといってもいい。
二連目は、鳥の鳴き声、月の光を「翻訳」したものと考えることができる。永遠の「呼ぶ声」を、言いなおしたものである。「あなた」は「月の光」であり「鳥」であり、同時に「わたし」でもある。三位一体の「わたし」が聞き取る「呼び声」である。
「鏡の月」ということばを手がかりにすれば、月にこそ、世界のすべてが映っていると考えることができる。月のなかで「鳥」と「わたし」がひとつになっている。鳥の鳴き声のなかで「月(の光)」と「わたし」がひとつになっている。「わたし」のなかで「月(の光)」と「鳥の鳴き声」がひとつになっている。そういう「三位一体」である。
三連目は、鳥が庭から広場へ、さらに川へと動いていくのを追いかけて、「わたし」と「月(の光)」が動いて行く。とても自然な動きである。
最後の三行の「握りしめる」「解く」「数える」という動詞の変化も、興味深い。霜を被った穂は冷たい。「握れば」手が凍る。凍った(かじかんだ)手を開く。つまり指を「解く」。そして、そのほどいた指をふたたび折ることで数を数える。
「まぼろし」ということばが指し示すように、そこに書かれていることは「現実」ではないかもしれない。しかし、具体的な手と指の運動が、そのまぼろしを「現実」に変えてしまう。
そういうおもしろさがある。
青柳は、「鏡月」に「万物照応/感応/コレスポンダンス」を語らせるという意図をもっていた。月の光は太陽が存在しないことには生まれない。太陽があるから月が鏡となって光を反射する。鳥の声は、その「感応」を受け止めた「わたし」の「ことばにならないことば(ことば以前の声)」ということになるだろうか。
世界を構成する存在の呼応と、肉体の動きが自然に結びついた作品。
*
車椅子にのっていた少女が車椅子から投げ出される。這って、丘を上っていく姿が描写されている。
一連目の「髪を束ねる」の「束ねる」が、そのまま「草を掴む」手の動きになる。「少女の手が草を掴む」でも「意味」は同じなのだが、「髪を束ねる」という描写が「草を(束ねるようにして)掴む」という描写を自然に誘い出している。
ある描写がつぎの描写を誘い出すという動きが自然だ。
二連目の「スカートを汚し」は、汚れていない少女の無垢な手足を感じさせる。
三連目は、雨が降り始める前の描写ということになる。雨が近づいているからこそ、少女は急いでいるのだ。
四連目は、一、二連目の言いなおしというか、そのつづきだ。一連目の「束ねた」髪が「ほつれる」。その変化に、少女の肉体の動きが見える。汗でへばりつく。二連目の汚れた「スカート」から、「白い足」が動く。
五連目は、足から上半身へと視線が動く。手は、ただ草を掴んでいるわけではない。新しい草を掴むためにのばされた手は、天を掴もうとしている。この動きが、明確で強い。そして、その強さが、最終連に結びついていく。少女は天を掴もうとしているが、その天は「家」なのだ。
青柳の作品と同じように、肉体の動きがそのまま精神の動きを引き出している。
*
瞬間的に動いたこころの変化をそのまま書いている。
「ふと」と「別に」の対比が、なんでもないことのようで、なかなかおもしろい。「泣きたくなる」と「悲しいことがあるわけではない」は反対のことなのだが、「別に」ということばが、その「反対」を「反対ではないもの」にしてしまう。奇妙な言い方になるが、「矛盾」しているからこそ、「泣きたくなる」が「真実」になる。「悲しいことがあって泣く」のは「事実」だが、「悲しいことがなくても泣く」とき、ひとは、そのひとだけの「真実」(まだことばになっていない何か)と向き合っている。
この「泣く」は青柳が書いた「鳥の鳴き声」という事実の中にある「青柳の泣きたい気持ち」という真実の関係に似ている。
*
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鏡鳥 青柳俊哉
だれかがわたしを呼ぶ声がして
うすあかりの庭に出る
東の空から鏡の月がふり
裸木の幹の上で小さな鳥がないている
わたしの中にほころぶ小さな光
わたしが懸命にないている
(わたしも あなたも
(だれでもない ひかり
鳥は広場の高いフェンスの上の光沢に移り
すすきの穂が冴える小川の茂みにきえた
わたしは水辺に行き
霜を被った穂のいくつかを握りしめ
凍みた結い目を解いて
まぼろしを数える
三行目の「月がふり」。「ふる」という動詞が興味深い。「月の光が降り」と書いてしまえば耳になじんだ日本語になるかもしれないが、「光」ということばが省略されているので、満月そのものが降ってくる(落下してくる)感じがする。そして、それはこの詩に絶対的な透明感を与えている。
絶対的なもの、絶対的な感覚というのは、一種の「異常」な感覚であり、またそれは「永遠」に通じる何かをもっている。
「わたし」を「呼ぶ声」とは「永遠」が「わたし」を呼んでいるのだ。
それは「(月の)ひかり」か、「鳥の声」かわからない。そういうものに呼応する「わたしの中の」「光」であり、「鳥」だ。「ひかり/光」と「鳥」は、「わたしの中」で入れ替え可能なものとなっている。「聡明」で遮るものがないから、そのふたつは入れ替え可能である。ふたつに「わたし」を加えて、三つといってもいい。
二連目は、鳥の鳴き声、月の光を「翻訳」したものと考えることができる。永遠の「呼ぶ声」を、言いなおしたものである。「あなた」は「月の光」であり「鳥」であり、同時に「わたし」でもある。三位一体の「わたし」が聞き取る「呼び声」である。
「鏡の月」ということばを手がかりにすれば、月にこそ、世界のすべてが映っていると考えることができる。月のなかで「鳥」と「わたし」がひとつになっている。鳥の鳴き声のなかで「月(の光)」と「わたし」がひとつになっている。「わたし」のなかで「月(の光)」と「鳥の鳴き声」がひとつになっている。そういう「三位一体」である。
三連目は、鳥が庭から広場へ、さらに川へと動いていくのを追いかけて、「わたし」と「月(の光)」が動いて行く。とても自然な動きである。
最後の三行の「握りしめる」「解く」「数える」という動詞の変化も、興味深い。霜を被った穂は冷たい。「握れば」手が凍る。凍った(かじかんだ)手を開く。つまり指を「解く」。そして、そのほどいた指をふたたび折ることで数を数える。
「まぼろし」ということばが指し示すように、そこに書かれていることは「現実」ではないかもしれない。しかし、具体的な手と指の運動が、そのまぼろしを「現実」に変えてしまう。
そういうおもしろさがある。
青柳は、「鏡月」に「万物照応/感応/コレスポンダンス」を語らせるという意図をもっていた。月の光は太陽が存在しないことには生まれない。太陽があるから月が鏡となって光を反射する。鳥の声は、その「感応」を受け止めた「わたし」の「ことばにならないことば(ことば以前の声)」ということになるだろうか。
世界を構成する存在の呼応と、肉体の動きが自然に結びついた作品。
*
家路 網屋多加幸
少女はきつく髪を束ねた
節くれだった手が草を掴む
小高い丘の中腹に
車いすが転がっている
彼女は腹ばいになりスカートを汚し
丘を勢り上がる
しめった風がふきだし
灰色の雲が覆い遠くの山が鳴りだす
這いのぼる
細い首にほつれ毛がへばり付き
身体を揺さぶる度に白い足が覗く
盛り上がった肩から
突き出す手は交互に伸びると
空へ空へと身体を引き上げる
私は一点を見上げた
そこに家がある
車椅子にのっていた少女が車椅子から投げ出される。這って、丘を上っていく姿が描写されている。
一連目の「髪を束ねる」の「束ねる」が、そのまま「草を掴む」手の動きになる。「少女の手が草を掴む」でも「意味」は同じなのだが、「髪を束ねる」という描写が「草を(束ねるようにして)掴む」という描写を自然に誘い出している。
ある描写がつぎの描写を誘い出すという動きが自然だ。
二連目の「スカートを汚し」は、汚れていない少女の無垢な手足を感じさせる。
三連目は、雨が降り始める前の描写ということになる。雨が近づいているからこそ、少女は急いでいるのだ。
四連目は、一、二連目の言いなおしというか、そのつづきだ。一連目の「束ねた」髪が「ほつれる」。その変化に、少女の肉体の動きが見える。汗でへばりつく。二連目の汚れた「スカート」から、「白い足」が動く。
五連目は、足から上半身へと視線が動く。手は、ただ草を掴んでいるわけではない。新しい草を掴むためにのばされた手は、天を掴もうとしている。この動きが、明確で強い。そして、その強さが、最終連に結びついていく。少女は天を掴もうとしているが、その天は「家」なのだ。
青柳の作品と同じように、肉体の動きがそのまま精神の動きを引き出している。
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何か? 池田清子
ふと
泣きたくなるときがある
別に
何か悲しいことがあるわけでもないのに
瞬間的に動いたこころの変化をそのまま書いている。
「ふと」と「別に」の対比が、なんでもないことのようで、なかなかおもしろい。「泣きたくなる」と「悲しいことがあるわけではない」は反対のことなのだが、「別に」ということばが、その「反対」を「反対ではないもの」にしてしまう。奇妙な言い方になるが、「矛盾」しているからこそ、「泣きたくなる」が「真実」になる。「悲しいことがあって泣く」のは「事実」だが、「悲しいことがなくても泣く」とき、ひとは、そのひとだけの「真実」(まだことばになっていない何か)と向き合っている。
この「泣く」は青柳が書いた「鳥の鳴き声」という事実の中にある「青柳の泣きたい気持ち」という真実の関係に似ている。
*
評論『池澤夏樹訳「カヴァフィス全詩」を読む』を一冊にまとめました。314ページ、2500円。(送料別)
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「詩はどこにあるか」2019年10月の詩の批評を一冊にまとめました。
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(バックナンバーについては、谷内までお問い合わせください。)
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
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『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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