2019年11月27日(水曜日)
ものの名。木を木と呼ぶとき、木は木である。しかし、木を別の名で呼ぶときがある。比喩である。そこには木ではない何かがある。つまり、「ない」が「ある」。
たとえば木を、直立する精神である、と定義(比喩)する。精神は大地に深く根を張り、どこまでも迷い続け、不明なのもがあることを自覚する。その自覚が純粋化され樹液になって幹を駆け上り、枝や葉、さらには花となって開き、散ろうとする。そうことばにするとき、何が起きているのか。
ことばにする前はなかったものが、つまり「ない」が「ある」として動いている。
逆に言うこともできるにちがいない。「ある」を「ない」にするのが、ことばである。一本の木があり、花を咲かせている。それは散っていくが、それは「もの」ではない。私の知らないところから生まれ、育ってきたもの、形を変えて動き続けるものを、私は「形」と「名」を借りて「ある」ものと考えているだけで、それは「真実(実態)」ではない。
ものの名。木を木と呼ぶとき、木は木である。しかし、木を別の名で呼ぶときがある。比喩である。そこには木ではない何かがある。つまり、「ない」が「ある」。
たとえば木を、直立する精神である、と定義(比喩)する。精神は大地に深く根を張り、どこまでも迷い続け、不明なのもがあることを自覚する。その自覚が純粋化され樹液になって幹を駆け上り、枝や葉、さらには花となって開き、散ろうとする。そうことばにするとき、何が起きているのか。
ことばにする前はなかったものが、つまり「ない」が「ある」として動いている。
逆に言うこともできるにちがいない。「ある」を「ない」にするのが、ことばである。一本の木があり、花を咲かせている。それは散っていくが、それは「もの」ではない。私の知らないところから生まれ、育ってきたもの、形を変えて動き続けるものを、私は「形」と「名」を借りて「ある」ものと考えているだけで、それは「真実(実態)」ではない。